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【Archive】母校を訪ねる意味(2020/11/29)

 4月からずっと見ていた朝ドラ「エール」が先日、最終回を迎えました。朝ドラを全話見届けたのは初めてで、今となっては序盤の子役パートが懐かしいです。主人公・裕一(モデルは作曲家・古関裕而)を音楽の道に導いたのは、小学校で出会った藤堂先生だし、やがて裕一は、同級生の久志や鉄男とタッグを組んで仕事をしたりもします。母校での経験が、のちの人生に大きな影響を与えることは、珍しくないはずです。

 ここ最近、かつての学び舎たちを訪ねる機会がありました。まずは中学校・高校。同窓会が中止になってしまったことを報告したりするため、自分たちの代に携わってもらった先生たちに会いに行き、話をしました。

 高校を卒業してからは約2年。その間に転任なども重なり、いま高校にいる先生で自分のことを知っている人は、全体の半分以下くらいになってしまってる気がします。中学校の場合は、なおさらです。

 やがて母校の職員室から、自分のことを知っている先生がいなくなってしまう日が来る。ならば、時が経つにつれて、母校へ足を運ぶ意味も無くなってしまうのか。そんなことを考えつつ、今日は卒園した幼稚園へ。

 僕が通っていた幼稚園は、キリスト教の幼稚園でした。新園舎が完成しつつあるそうで、取り壊される前の旧園舎が、卒園生に開放されていました。

 このホールで礼拝をした、このドアをゴールにしてサッカーをした、このプールで溺れそうになった、この庭で焼き芋パーティーをした、このうさぎに家から持って行った野菜をあげた、このバスに乗って通学した…。教室の「におい」も覚えていました。その場にいるだけで、たくさんの記憶が呼び起こされました。

 懐かしさに触れ、無邪気で純粋だったあの頃の気持ちを忘れてはいけないな、と感じさせられたひと時でした。やっぱり、たとえ恩師がいなくなったとしても、母校を訪ねる意味はあるのかも。過去を振り返るのはよくないけど、懐かしむのはいい。かつてと同じ場所に立って、初心に戻るような作業も必要だと思います。

 幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校に限らず、予備校だって自動車学校だって、言ってしまえば母校。今通っている大学や専門学校も、いつかは母校になる。たまにはみなさんも、母校に足を運んでみてはいかがですか。

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