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「インセプション」 映画 2010年

 大学の卒業論文のために取材をした世界的な小説家に、縁あって彼が亡くなるまでの7年間、師事した。難解な宿題を出され、ウンウン言いながら書き、書いたものを郵便で彼の仕事場に送り、電話で評価を受ける。それだけの関係であったが、評価を受けるために箱根大芝の彼の仕事場に電話するときには、大変緊張したこと今でも思い出す。その彼があるときこう言った。

 「小説を書くのであれば、言語でなくては出来ない、まったく新しい状況表現や表現形式を、産み出すべく書くという行為を追求する。舞台も映画も同じだ。映画でしか出来ない視覚効果や音響効果を追求すれば、必然的にそれはまったく新しい表現にたどりつくはずだ」と。

 世界最前衛という表現がピタリと当てはまる彼が繰り出す小説は、そういった思考から編み出される故と感嘆した記憶があるが、2010年に初めて封切られた映画「インセプション」の開始30分、エレン・ペイジ扮するアリアドネの、「もし物理的なルールを無視したら?」というセリフに続いて出現したシーンの視覚効果は、正に彼が言うところの、映画界における新たな表現形式の創造により、新しい扉を開いたと言っても過言ではない、圧巻的なシーンであった。これこそ彼の言うところの、“映像における、まったく新しい表現”であり“映画という表現形式でしか出来ない視覚・音響効果の追求”そのものであろう。

 そのような状況表現の自然な連続性。それ一つとっても作品としてのクオリティとして、卓越した作品といえる。

 インセプション、作中では“植え付け”と称している。目覚めると大半を忘れてしまう、もしくは、起きた瞬間から言語化による歪曲が始まってしまう夢という現象を、本作においては、そのまま生け捕りにして表現することで矛盾のない現実そのものと仮定し、それが潜在意識の表出そのものであるという認識を、最低限のセリフ=言語と最大限の効果を発揮する映像と音声で植え付けた。これも映画という表現形式にあって、本作が到達した、卓越した成果の一つと言えよう。さらには、夢は言語化を始めれば歪曲するという事実の通り、プロットが難解なのも良い。説明しすぎては、良質な現実とは言えないがからだ。

 何故か。

 現実とは、言語によって解釈する以前の、意味を持たない原型そのものであって、良質な創造的現実=作品は、意味や解釈に到達する前の原型を見手に提供し、体験させるものだ。つまりは、稀代の前衛小説家が言うように、見手によって様々な解釈があり得る作品が真に良質な作品なのであり、時に難解と揶揄される映画「インセプション」のその、揶揄こそが、この映画の、クオリティへの賞賛そのものと言わなければなるまい。

 2010年に封切られた本作品は、第83回アカデミー賞4部門獲得の栄誉に輝いた。

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