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無自覚の反省が、あなたを窮屈にしていく。

人間は反省が大好きなようです。

と言っても、
そんな毎日反省してませんよ、
という方がほとんどかと思いますが、

日々いろいろな方と向き合っていると、
無自覚な反省が多くあるように感じています。

なんとなく自分が好きになれない(嫌い)。
自分の毎日がどんよりと曇っているように感じる。
隣の芝が青く見える感じで、うっすらと嫉妬心などがありつつも、
色々と自分に言い聞かせて蓋をしている。など

そういう方は「無自覚な反省」が多い傾向があるように感じます。

 "反省"を辞書で調べてみると・・・

自己の過去の言動についての可否、善悪などを考えること。
自分の行為をかえりみること。

ここに書いてあるように、
自身の言動を、良かった、悪かったと、判断し(裁き)
これからはこうしていこうと思うこと次に繋げる。

反省して次に活かしていくことは、時に大切です。

しかし、現象を見て、現象をジャッジし、現象を変えようとする。
ここに、反省の限界
があるように思います。

反省の限界

ひまわりの種を蒔けば、ひまわりが咲きます。
この咲いたひまわりという現象を見て「紫陽花のように咲いた方がいい」とするのは無理があります。

これと似たような構造になっている「反省」は多くあります。

現象をあるようにする私を蔑ろにしたまま、現象を変えようとする。
現象だけは繕えますが、内側では葛藤が起ています。

我慢や抑制が増えていく。
ここに反省の限界があるように思います。

また、反省したはずなのに、
何度も同じことを繰り返してしまうということも、よくあるかと思います。

そして、その繰り返す自分を見て、「私は意志が弱い」とか「ダメなやつだ」と裁いては、自己嫌悪に陥るということも少なくないようです。

ルールに縛られることによって、現象をあるようにする私を、我慢や抑制でどうにかしようとしても、表面上は繕えても、火種はいつも内側で燻り続けていますので、気が抜けた途端に噴出してきます。

現象を、ルールという別の現象で無理やり押さえ込もうとするから、
繰り返してしまう。

起きることが、起きるべくして、起きているだけのことであり、
意志が弱いからでも、ダメなやつでもないのです。

自覚的反省。

やったこと、言ったことを反省するのは、
起きた現象を反省しているということになります。

現象から学び、次に活かすことは大切ですが、
そうして学んだ時、そこで一つルールを採用していることになります。

あれはやっちゃダメ
これやると怒られる
これをしたら嫌われる
こうやったら上手くいかなかった、等々

現象を見て 現象をジャッジし、ルールとして握り込む。
反省の度に新たなルールを握り込み、 それで自分を戒める。

それを「成長」とも言えなくもないですが、
それによって、だいぶ窮屈になり、行動がこぢんまりとしてきます。

ルールを持つことが悪いのではありません。
国でも、法律というルールがあったり、
企業の中にもルールがあります。

国民や社員をルールで縛っているという側面はあるものの
それによって、それなりの品質を担保することもできます。

しかし、前述したように、
現象をあるようにする私を蔑ろにしたまま、現象を変えようとする。
現象だけは繕えますが、内側では葛藤が起ています。

自覚では、
どんな私も蔑ろにせず、
どんな私にも敬意を払い、
どんな私も肯定も否定も判断もせずに、向き合っていきます。

現象をあるようにする私と向き合い、
そこから自由になっていく。

パートナーとの喧嘩で、言い過ぎてしまったと反省するなら、
言い過ぎないように抑えるのが反省です。

自覚的な反省をしていくなら、
言い過ぎだとしても言いたい私を蔑ろにせずに、ただ向き合っていきます。
言いたい私から自由になっていくと、自然と言い過ぎることはなくなっていきます。

現象をどうこうするのではなく、
現象をあるようにする私から自由になっていきます。

一切唯心造。

あらゆることから自由な私で在る時、
そこにルールは不要です。

自由というと、
傍若無人になったり、わがままになったりしそうなイメージがありますが、どうやってもそこに在る私からはそういうものは出ようがないのです。

ルールで縛り、こぢんまりするのではなく、
あらゆることから自由で在る時、ルールは不要にな私になっていきます。

なんとなく自分が好きになれない(嫌い)。
自分の毎日がどんよりと曇っているように感じる。
隣の芝が青く見える感じで、うっすらと嫉妬心などがありつつも
色々と自分に言い聞かせて蓋をしていたりしている方。

無自覚の反省で、私を縛り付けていませんか?
自由はあなたの足元にあります。

向き合いましょう。


「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。

思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。

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