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閉鎖病棟体験記1-1

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■閉鎖病棟体験記序章

まず初めに閉鎖病棟には中々入る機会がないものであり、入っている人は相応の理由がある人である。

私が入った中で知り合った人は以下のような人達であった。

・統合失調症により暴力をふるってしまった。
・摂食障害の悪化
・双極による躁状態の悪化
・自閉症、認知症の悪化でどうにもならない
・うつ病、適応障害
・アルコール依存症
・統合失調症による妄想の悪化
・自殺企図

だいたいこのような人達である。

中には自分で体調の悪化を察知し、任意入院する方もいるので全員が酷い状態でもない。

しかしながらこの状況を例えるなら精神病の蠱毒…と言えるだろう。

私は自殺企図で入院ということであったが実際には処方薬物の乱用というところが正しい。

ODにより錯乱してしまっていた。

閉鎖病棟は一番酷い保護室で監視カメラ、また厳重なロックがされた部屋だ。

酷い場合拘束されてしまう区画であり、軽い気持ちでODしてしまった人が入り込むと間違いなくPTSDになってしまう。

次に解放区、ここは患者同士で自由に話せたり、オセロやトランプ、テレビなどがある場所であり、比較的自由である。

私は閉鎖病棟の保護室に5日間いた。

今回はその話をしたいと思う。

■閉鎖病棟に入った理由

私は当時コンビニの夜間勤務をしていたのだが、やはりコンビニの同僚という人達とは気が合わず勤務する度にストレスが溜まっていた。

さらにそのストレスを加速させるかのように、近所でバイクの暴走が5ヵ月ほど続きかなりまいってしまっていた。

そのようなストレスが続く中、私は処方薬物を過剰摂取して日々を持ち堪えていたのだが、ある日、接触事故を起こしてしまう。

この相手が非常に悪く、いわゆる当たり屋であり私は追い込まれていく。

私は深夜の勤務に向かうまで寝ているのだが、だいたい6倍ほどの処方薬物を当時飲んでいた。

少し風邪気味になった状態の時に早く治したいがために葛根湯や市販の風邪薬を飲んでコンビニに向かった。

そして、そのまま勤務していたのだが、レジにて財布を忘れた客がいて財布を保管していたのだが魔がさしてしまい、休憩時間に財布を持っていってしまったのだ。

さらに悪いことに割り箸を入れた客と小競り合いになり客にコーヒーがかかった。

その後は自主的にバイトを辞めたのだが、財布の持ち主、コーヒーをかけた客の賠償などが発生してしまい困惑してしまった。

・おおまかな原因はこれである

後日コンビニから賠償に関する内容証明が来たことに激怒し車を走らせ、ガードレールに車をぶつけたり、煽り運転で車を止めさせ暴れたりしました。

この際に警察を呼ばれ両親が迎えに来たのだが、走行中の車から飛び降りそのまま血だらけでコンビニに行き気に食わない同僚にクレームを言いに行き帰宅しウォッカ一本と薬を飲み部屋で首を吊る、ということをしてしまい閉鎖病棟に措置入院することになりました。

今思うと自殺する気は無く、錯乱していただけだと感じる。

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■閉鎖病棟の保護室へ

私は救急車の中で目を覚まし、病院に着くなりストレッチャーで運ばれていた。意識はあまりなく服は血だらけだった。

胃洗浄をされた後だったらしく喉が少し焼けていた。

私の前にスキンヘッドに髭を蓄えた白衣の人物がいて、彼と少し話をしたのだが何を話したのか記憶が曖昧だが

「次生まれ変わるなら戦国時代や無法地帯に生まれて自由になりたい」
「自殺の方法はカートコバーンの自伝映画ラストデイズを参考にした」

といったことを話していたようだ。

そして保護室の中にいる私。

広さは八畳ほどで丸裸のトイレに頑丈なドア、頑丈なガラス窓、そして食事を食べる簡易の台が高さ30センチくらいのところにある配給口にある。

私はマットレス一枚とまくら、毛布をもらい休むように言われた。

横になると唇にかさぶたができていて鉄の味がする。

ひじや膝、腰に傷みを感じさせるすり傷。

前歯に激痛が走り折れたんだなと実感した。

■保護室での生活

看護師さぁぁぁん!ねぇ看護師さぁぁぁんッ!

壊れたレコードのように叫びつつける声がずっとしている。

私は騒々しい声で目覚める、そして同時にやってくる後悔…

やはり私は来てはいけないところに来てしまったと痛感した。

保護室の中を少しグルグル回っていると看護師さんがやって来て、検温や血圧などを測りに来た。

私は

もう大丈夫なので帰して下さい

と訴えたが、看護師さんも慣れているようでいくつかの紙を提示してきた。

そこには私が措置入院させられ治るまで出られないと…

目を通すと治療には一月以上かかると書いてある。

私は唖然とした。

看護師さぁぁぁん!来いや!オラァァ!

と、隣で暴れ回る音が悲しく響いていた。

私は布団をかぶり横になってやりすごそうと考え壁を見ながら眠ろうとしたのだが、壁には爪後と思われる傷がありなんとも不安を掻き立てられるのであった。

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■食事の時間

初めての食事は夕食だった。

献立としては

・スープなど
・ご飯
・肉魚
・サラダ

といった感じだ。

魚に関しては骨が抜いてあり食べやすかった。

ただ、食事に使うのは箸でもなく、スプーンでもなく、赤ちゃんがつかう柔らかいシリコン製のフォークスプーンのようなものであった。

おぼつかない手で食べ物を口に運ぶのだが何が悲しくて刑務所のようなところで食事をしてるのだろうと憂鬱になってくる。

折れた歯でご飯を噛むと痛みが走りさらに憂鬱さは増した。

することもないので食器を持ちやすいように積み重ね看護師が来るのを待ち、ごちそうさまでした、と言って印象をよくしようと努めてみた。

■食後の退屈な時間

食事が5時からで消灯は9時までなのだが、この時間とくにすることもなく保護室で軽くストレッチをしたり外を眺めて過ごすことにした。

また、少しでも人と話したいので看護師さんにお茶と水を汲んできて欲しいと頼んだ。

お茶と水は紙コップにいれたものを都度運んできてくれる。

ホットとアイスがあり、私はホットとアイスの水二つとホットのお茶を二つの計六個を頼んで配給口に並べていた。

冷房が効き乾燥していたこともあり喉が渇く。

することもないのも拍車をかけたのであろう。

ふと時計を見たが、まだ5時20分。

時がすぎるのが遅く私は布団に入って休むことにした。

隣の患者は相変わらず叫んでいる。

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■就寝時間

夜の8時半くらいだろうか、私は看護師さんに呼ばれ起きた。

薬を飲む時間と言われた。

見たことも聞いたこともない薬を提示され薬の内容について尋ねたのだが返ってくるのは楽になる薬なので飲んで下さいとの定型分しか返ってこない。

私は痛感した…ここでは患者に与えられた選択肢はYESのみなのだと。

この時に飲んだ薬はクエチアピンという薬だった。

薬を飲んだあとに消灯されたのだがなかなか寝れずにトイレに立ったのだが、便器の真上の天井に監視カメラがあるのが見えた。

トイレは外側から死角になるとは言え、あんまりだろ…と…

悲しくなった。

軽くストレッチをしようとガラス窓に足をかけたり押したりしていたのだがガラス窓はやはりとても厚い…

時折外からも叫び声が聞こえて来る。

保護室の中では暗がりの中で黄色くぼんやり浮かんだ時計が秒針を刻む音が乾いた無機質なリズムを正確に刻んでいたのです。

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