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『傲慢と善良』 ○○活と呼ぶことで迷走するもの

『傲慢と善良』,辻村深月著,朝日新聞出版発行,2019年刊行

 友人内で定期的に行っている読書会で、先日の課題図書になったのがこの『傲慢と善良』であった。何でも累計70万部、映画化も決定、「人生で一番刺さった小説」と絶賛する人の多い小説なのだそうだ。

 この小説を読んでいて、「考える」という時間が全然なかった。
 考えなかった理由は明確で、この小説は、とにかく全部説明してあるのだ。
 登場人物の外見や行動や風景はもちろん、彼女らが内面で何を考えてどう感じたのかが、全部緻密に書き出してあるし、もっと言えば作者が何を言いたくて何を訴えたくて何が善であり何を是としているのかまで、読めばわかるように書いてある。『傲慢と善良』というタイトルの意味まで、きっちり登場人物が説明的に解説する徹底ぶりだ。
 なので、小説を読むというよりも、大学のゼミのプレゼンを聞いているような感じで読んでいた。あーはい、そうですね、うん。そんな読後感である。

 そして、緻密に描写された人間の内面、善良さと傲慢さについて、私としては特に新発見というものはなく、「人間てそういうものですよね、こういうところもありますよね、知ってましたし、こうして改めて提示してもらいました、よくまとまってると思います」という感じで、すーっと終わってしまった。

 人間が自分のことを平均以上の存在だと高く見積もりがちなことや、人生の選択において自分の意志と思っていることに様々な要素が混入してくることや、何が幸せなのか自分はよくわかっている気がしているが実はよくわかってないこと。
 これらはヒューリスティックバイアスの典型事例としてよく取り上げられる定番だが、こうして物語に落とし込んでもらって初めて腹落ちするという人も多いんだな……と思った。

★★★

 私は婚活というものをしなかったが大切に思える人と巡り合って結婚し、それとは別に就活には失敗したがそれが自分の人生の失敗とは思わなかった。そういう意味では、私はこの物語で繰り返し言及される「何が欲しいのかを知っている人」だったのかも知れない。あるいは、とてつもなく運のいい人間。

 なので、「婚活という人間をジャッジする活動」という描写に非常な苦しさを覚えると同時に、結婚を前提に交際する人を探すことが「ジャッジ」になってしまうことの違和感も拭えなかった。

 婚活、という名前をつけると、結婚しないという行為が結婚「できない」という未達の表現になってしまう。
 自分に合わない人としか巡り合わなかったので、結婚しなかった。それ以上でもそれ以下でもない。別にそれでいいではないか、相手や自分の人間としての価値はそれと無関係なのだし……などと私は思うのだが、婚活の渦中にいる人からすれば、〝結婚できた人間〟の上から目線の放言にしか聞こえないのだろう。

 ○○活という表現はとてもよく聞くけれど、「活動」という合理的計画性の枠に入れることによって、それに打ち込む道筋がわかりやすくなる利点がある反面、成功/失敗や序列や評価という軸が生まれてしまって、その行動自体を味わうことが難しくなり、意味を見失う危険性が高まる。
 内発的動機付けが、外発的動機付けに食われてしまうパターンのひとつが、この「○○活にする」ことだけど、この危険性に言及する人を案外見かけない。知らないだけでいっぱいいるのだろうが。

 真実と架の関係は、終盤で明らかになるように、シンプルな「大恋愛」なのだが、婚活という合理的計画の枠組みに互いの感情をおさめようとして迷走する。
 恋愛を阻む障害として、社会的地位でも感情の食い違いでもなく「合理的計画性の陥穽」を用意したところが、この恋愛小説の最もユニークなところであり、そして多くの人に刺さったところなのだろう。
 この小説は独自性をそこに一点賭けし、それ以外のところはほぼほぼ定番パーツを組み立てて作っている。それに気付いた時に、非常に技巧的に上手く作られた恋愛物語だなぁと唸った。

★★★

 個人的には、一番「病んでて可哀想だなー」と感じたのは、主人公の真実でも、真実に過干渉する母親でも、鈍感過ぎる架でもなく、架の友達の美奈子だった。
 架に好意を持っていて、その架が連れてきた彼女にケチをつけて悪口を吹き込み、余計なお世話と嘯きつつ架に交際を止めるよう迫るが、さりとて自分の安定を投げ打って架と真剣に向き合うつもりもない、という小姑心理の権化として造形されていて、彼女が自己救済・成長できそうなきっかけが作中になさそうのが気の毒である。

 この物語の締めくくりで、一皮剥けて成長した真実や架、彼女らと関わることで恐らく変化せざるを得ない真実の母親などに比べて、美奈子には今後、フツーに架から疎遠にされるという未来しか待っておらず、自分がどうしてああいうことをしたのか、そもそも自分が何をしてしまったのかということを内省するチャンスすらなさそうだ。
 何より、彼女のしたことは特に独創的な悪事という訳ではなく、恋愛物語における「あるある言動」ですらある。真実に対する悪評価の内容も、自己弁護も、何もかも凡庸な内容で、その凡庸さに痛々しさすら覚える。

 真実や真実の母親、架の至らなさや愚かさや傲慢さについては、作中で明確に指摘されているので、そこでのたうちまわることによる成長と浄化が約束されているのだけど、美奈子たちにはそういう場が用意されないので「主人公に意地悪して物語のきっかけを作る心が歪んだモブ」以上の存在にはなれない。
 そういう意味で、作者の意図したことではないのだろうが、私は勝手に憐れみを覚えてしまった。
 自分の悪性に真正面から指を向けられないことは、長期的には、結構しんどいものだと思う。

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