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「選択肢」を遺すために。

これまで振り返ってみて、いちばん苦しかったことは何だろう?

私の場合は「選択肢がなかったこと」だ。

たとえば、私は学校が楽しいと思ったことがほとんどない。

小学校は退屈だった。
中学校はとにかく嫌だった。
高校はかなりマシではあったけれど、それよりも早く大学生になりたいと思っていた。

でも、どれだけ退屈でも、どれだけ嫌でも、
当時の私に「行かない」という選択肢はなかった。

まず、私にとって家は寛げる場所ではなかった。
だから「学校に行かない→家にいる」という方法を選べなった。
家にいるくらいならば、学校に行っていたほうがまだマシだ。

じゃあ、学校以外の場所は?
「ド」がつくほどの田舎で生まれ育った私。
近所(と言っても自転車で30分はかかる)にコンビニができたのは中学生の頃のこと。
家と学校以外で、時間を過ごせる居場所なんてなかった。

こういうときに、田舎だと「ヤンキーの先輩」が居場所になるかもしれないけれど、私はそこに全く魅力を見出せなかった。

「この人たち、全然勉強しなくていいのかな?
今はいいかもしれないけど、大人になったらどうするんだろう……」

なんて思いながら、冷めた目でみる嫌なヤツだった。

ネットがあれば話は違っていたかもしれないけれど、
「高校生になってやっとPHSを持つ」くらいの時代感覚。

何とか見つけられたのが、本やマンガなどのファンタジーの世界。
小説を読むのは、特に好きだった。
心の奥底の琴線に触れる感覚があった。

でも、中学生の頃、芥川龍之介の小説の巻末にあった彼の伝記を読み、距離を置いた。

「芥川が幼い頃、母が発狂した。芥川は、いずれ自分も同じ運命を辿るのではないか?という心配から神経衰弱となり、自死した」

母が心の病を患っていた私にとって、この心配は他人事ではない。
小説はおもしろいけれど、ここに関わり続けると私も同じ道を歩むかもしれない……その可能性があるならば、避けたほうがいいだろう。
というわけで、本を読むという選択肢は、自ら遠ざけた。

退屈でも、嫌でも学校には行く。
自分を守ってくれる内的な世界も、まだまだ未成熟。

未来へとつながるか細い道は、
退屈だしやる意味のわからない勉強と学校という閉じた社会だけ。
物理的にも、精神的にも、ほかの選択肢がなかったわけだ。

大人になってよかったのは「選択肢」の数を知れたことだ。

田舎から東京の大学に進学して驚いた。

こんなに人がいるなんて!!!

これだけ人がいるならば、たとえ一つのコミュニティがダメになっても他のコミュニティがある。
嫌でも、その場にい続ける以外の選択肢はない、なんてことはない。
それが何より嬉しかった。

あと、就職・転職に際しても思ったよ。
「こんなに会社があるならば、私が合う会社どこかにあるだろう」

そして、学べば学ぶほどに理解した。
「真実」は一つではない
自分が変化することで「真実」はいかようにも変わる。
自分が学び、体験することで、見え方や感じ方まで変わってくる。
学びや体験が、どんどん選択肢をつくり出してくれる

「選択肢がある」=「選べる自由がある」って
なんて幸せなことなのだろう。

「選べる」状態は、迷いや悩みを生む。
だけど、思うのだ。
「迷い」「悩み」って幸せなことだよ。

”これ”しか選択肢がない時は、
「我慢して」受け容れる
「いつか別の方法が現れることをを祈りながら」受け容れる
とか、「」書きの自由があるだけで(フランクルの言う態度価値か)、基本的には受け容れる以外の方法がないのだもの

選択肢は人の根源的な「自由」を支えるものし、
私はずっと「自由」がほしかった。
窮屈で趣味の合わない「やり方」に自分を合わせるのではなくて、
自分の感覚にあった「やり方」を試してみる自由が。

……というのが原体験にあるからだろうか。

「選択肢を生み出すこと」
には、人一倍の思い入れがある。

今、私が代表をする会社KAMIのコーポレートサイトをつくっている。

あらためて自分たちのミッションを考えたとき、
真っ先に浮かんだのが
「選択肢を遺したい」
という想いだった。

「嫌だな」と思ったこと、
違和感を抱きながらも蓋をしてしまっていること、
「もっと別の方法があるはずなのに」と薄々思いながら見て見ぬフリをしていることを、そのままにしたくない。

もっといい方法を見つけて、それを分かち合いたい
次の世代には、もっといいやり方、生き方の「選択肢」を遺したい。

「これをやりなさい」という絶対の答えではなくて
「こういうやり方もあるかもよ」というスタンスで。

「こういうやり方もあるかもよ」という代案が力を持つと、
やがて当たり前が変わり、社会そのもそを変えていくかもしれない。

私が自分の「会社」として公の舞台でやっていきたいのは、
そんな新たな「選択肢」づくりなのだ。

じゃあ「選択肢」はどうやって生まれるのか。
それって実験してみるしかないのだよね。

学んで、仮説を立てて、試して、検証する。
試行錯誤。
トライ・アンド・エラー。

その人なりの仮説・検証のくり返しが、人生の物語であり、次の世代へと繋がっていく。私は、そう信じているのだろう。

……という想いを、現在、会社HPにまとめる作業をしている。
mission、vision、purpose、valueーー仲間たちと共有している感覚はあるのだけど、どうやって言葉に結晶化させていこうか。

ならばいっそ、というわけで、
「とりあえず自分の言葉でとりあえず書いてみよう」と、noteに書いてみた。

今日は、そんなモヤモヤのプロセスの只中にいる記録として。

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