日記 2021年12月 「距離すらつかめないものとなっていく風景」のように過ぎ去っていく一瞬を。
新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンについては、必ず1次情報として厚生労働省首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
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日記 2021年12月 「距離すらつかめないものとなっていく風景」のように過ぎ去っていく一瞬を。

さとくら

 12月某日

 ツイッターで樋口恭介が炎上した。
 問題になったのは、早川書房が発行する雑誌「SFマガジン」に掲載予定だった「読みたくても高騰していてなかなか読めない幻の絶版本を、読んだことのない人が、タイトルとあらすじと、それから読んだことのある人からのぼんやりとした噂話だけで想像しながら書いてみた特集」という企画だった。
 この企画に対し、絶版書籍の著者や読者から不快感が示されたことから、企画を中止するとツイッター上で樋口恭介は発表した。

 樋口恭介は以前、異常論文というSFマガジンの特集を組んでおり、それの成功から第二弾として今回問題になった企画を提案した。

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 異常論文は以下のように説明している。

異常論文とは一つのフィクション・ジャンルであり、正常論文に類似、あるいは擬態して書かれる異常言説を指している。そこで論じられる内容の多くは架空であるが、それは異常論文であって異常論文でしかなく、架空論文とは呼ばれえない。それは論文の模倣であることを求めない。

『異常論文』から考える批評の可能性──SF作家、哲学と遭遇す」というゲンロンのイベントを11月の終わりに見ていて、そこに参加したのが、小川哲×樋口恭介×東浩紀だった。

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 小川哲いわく、樋口恭介の文章は何か電波を受信している、とイベント内で言っていて、確かに異常論文の説明はどこか、そういう印象がある。そして、僕的にそれは結構良いと思った。
 イベント内で樋口恭介は来年(2022年)は長編小説を書くと言っていたので、それは今から楽しみだ。

 何にしても樋口恭介は炎上して、その際に不快感を示した人たちを見て回ったりした。言っていることはごもっともだな、と思えるものから、首を傾げるものまで様々だった。
 とはいえ、樋口恭介の炎上後の立ち振る舞いが良くなかったのは、そうだろう。彼が炎上後に公開したnoteは(すぐに非公開になったけど)、頷けるものもありながら、冷静ではなかったようにも思う。

 そんなことを考えていたら、次に豊崎由美が炎上した。
 内容は「TikTokみたいなもんで本を紹介して、そんな杜撰な紹介で本が売れたからって、だからどうしたとしか思いませんね」というもの。
 ちなみに、この際に大森望が以下のようなツイートをしていた。

たとえば豊崎さんの発端ツイートが、
"「TikTok売れ」で次々にベストセラーが生まれ、出版社は有名BookTokerに飛びついているようだが、私は懐疑的だ。数十秒の動画で雑に要点を紹介し、その本が売れたとして、それが長期的な読者層拡大につながるだろうか。一過性の流行に過ぎないと思う"
だったら…
とくに炎上することなく建設的な議論になったのでは。
なお、ぼく自身はTikTokの小説紹介が雑だとか杜撰だとか思っているわけではありません。むしろあの秒数の中で氏視聴者が反応しそうなフレーズだけを抜き出して提示できるセンスと手法に脱帽し、これはムリだと思いました。YouTubeの10分でギリ。

 大森望のフォローの上手さよ。
 何にしても、ツイッターというSNSの場に良い印象は昔からなく、それが今後変わることもないんだろうな、とだけ思う。

12月某日

 若松英輔読書のちから」を読む。

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 これまでいくつかの評伝を書いてきたが、評伝をもって論じるべき人にはしばしば、その人の内的光景を象徴するような一語がある。
 井筒俊彦の場合は叡智、あるいはコトバ、柳宗悦は不二、あるいは即如。小林秀雄は美、あるいは悲しみ。吉満義彦は神秘、あるいは天使。河合隼雄は「たましい」、あるいは均衡。池田晶子は内語、あるいは不滅だった。須賀敬子の場合は霧、あるいは聖人かもしれない。人は、それぞれの人生の扉を通じて、その奥にある世界をかいまみようとする。

 ちなみに、「評伝」とは何かを調べると以下のようにでてきた。「評論をまじえた伝記。
 なるほど。
 一人の生涯の事績を書き記して行く中で評論に耐えうる人物には「内的光景を象徴するような一語」があって、それが「人生の扉を通じて、その奥にある世界をかいまみようとする」ものである、と。

 現代に生きている何人が評伝を書かれるのか分からないけれど、書かれるものを読む時、そこに象徴するような一語があるのか注目して読みたい。

 12月某日

新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」が広がる英国」というニュースを12月頭に見て、ツイッターで「OMMIKRON」という白ワインがあると知る。
 なんて、ぬるいことを思っていたら、コロナ対策に関するあれこれが「オミクロン株」そのものよりも、悪影響を催しはじめる。
 
 12月24日に「オミクロン接触者の受験不可 文科省が大学入試指針改定」というニュースがあった。


文部科学省は24日、国公私立大の個別入試における新型コロナウイルス感染症対策のガイドラインを改定し、オミクロン株感染者の濃厚接触者は症状の有無にかかわらず受験を認めないことを決めた。同日付で各大学に通知した。来年1月15、16日に実施される大学入学共通テストでも同様の対応になるとみられる。

 すごいこと、言ってない?
 人の人生をなんだと思ってるの?
 濃厚接触者になりたくてなった人なんて一人もいないだろうに、一人の人生の岐路を潰すというか、台無しにする無慈悲感が普通にやばい。
 後には以下のようにも記載がある。

オミクロン株以外のコロナ感染者の濃厚接触者はこれまでと同じく、①PCR検査で陰性②受験当日も無症状③公共の交通機関を利用せずに試験場に行く④別室で受験―を全て満たせば受験を認める。

 つまり、オミクロン株は特別ということだ。
 同日の24日には以下のようなニュースもあった。
風邪の症状「半分がコロナの可能性」 英研究チーム

新型コロナウイルスの新規感染者が急増中の英国で、喉の痛みや鼻水など風邪のような症状が出た人の半分に新型コロナ感染の可能性があるとの推計を、英研究チームが23日発表した。感染力が強い新たな変異型「オミクロン型」が猛威を振るうなか、その症状が比較的軽い傾向を映している可能性がある。

 いや、もちろん可能性だけど。
 風邪のような症状だけだったもの(とまだ、可能性だけど)で、濃厚接種者だったからら受験をさせませんって、残酷でしょ?
 大人からしたら当事者じゃないけど、だから良いって話では絶対ない。

 コロナに対する、この二年間で色々冷静でいられていなくない? というか、白か黒かみたいな極端で安易な結論を下しすぎな印象しかない。

 その方が決める人は楽かも知んないけど、人間の人生を軽く考えすぎでは?

 とか、思っていたら27日に「オミクロン型濃厚接触者、別室での大学受験容認 文科省」というニュースを見つけて、ああ良かった良かった、と思うと同時に、「受験生に不安が広がったことから岸田文雄首相が26日、別室受験などの検討を指示した。」とあって、不安が広がらないって本気で考えていたのかな? と疑問になった。
 何にしても、撤回したからって一回は受験そのものを受けさせないって方向で対応しようとしたことは忘れない。

 12月某日

 アリス・マンローの「ピアノ・レッスン」を読む。

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 図書館で偶然見つけて借りて読んでみると、久しぶりにがっつり文学作品を読んでいる感触があった。

 調べてみると、アリス・マンローはカナダの作家で、短篇小説の名手として知られており、2013年ノーベル文学賞を受賞していた。
 そして、「ピアノ・レッスン」はアリス・マンローのデビュー作だった。

ピアノ・レッスン」の紹介文を津村記久子が書いていて、そこには「小説を読む贅沢の一つに、登場人物が現実にいたら語らないかもしれない秘密を知ることがあると思う。進んでは発信されないある些細な真実を、小説を通して垣間見る時、読者は他者の持つ世界の奥深さにふれる経験をする。」とある。

 この「登場人物が現実にいたら語らないかもしれない秘密を知る」一瞬が、収録されている「ウォーカーブラザーズ・カウボーイ」にあったので引用したい。

「歌って」弟が父にせがむけれど、父さんは重々しく答える。「さあなあ、歌は切らしちまったみたいだ。道路をよく見ていて、ウサギがいたら教えてくれ」
 そして父さんは運転、弟はウサギがいないか道路を見張り、わたしはなんだか父さんの人生が、さっきまでの、あの午後の最後の一時へと、車のなかから流れていってしまうような気がしている。暗く、見慣れないものになって。眺めているあいだは魅力的で心地良く、ごくふつうの見慣れた姿を装っているのに、いったん背を向けると、決して目にすることがないような、あらゆる天候が移り変わる、距離すらつかめないものとなっていく風景のように。

 主人公の思う「父さんの人生が、さっきまでの、あの午後の最後の一時」というのは、休日のドライブに父が連れて行った場所にいた中年女性との一時で、「ウォーカーブラザーズ・カウボーイ」内でその中年女性が父にとってどんな存在か語られることはない。
 更に言えば、そこで父と中年女性が喋る内容は久しぶりに会って交わす他愛のない近況報告でしかない。
 けれども、そこで重要で重々しい会話が交わされないことこそが、過去に特別な何があったことを思わせもする。

 これが「他者の持つ世界の奥深さ」だとすれば、なるほどその通りだろう。なぜなら、「ウォーカーブラザーズ・カウボーイ」の父はあの一時に再会した中年女性とのことを、主人公にも妻にも誰にも語ることはないだろうから。

 12月某日

 12月17日に大阪北区曽根崎新地の8階建てのビルの4階にある心療内科のクリニックが放火され、24人が死亡した事件があった。
 曽根崎新地と言うと、昔時々飲みに行っていた近所だった。

 犯人は61歳で、事件が起きたクリニックの診察券を持っていたことから患者の一人だったことが分かっている。
 また、以前にも事件を起こしていて、それが別居していた妻と息子の住む部屋へ来て食事、飲酒し、酔った勢いでかばんに入れていた包丁で刺したとしての殺人未遂だった。

 この事件に対して、浅井ラボはツイッターで以下のように呟いている。

 京アニ放火大量殺人事件と重なる事件。治療してくれている医者と、容疑者と同じように苦しんでいる患者を24人も殺害する人間がいる。治療や共感が無意味どころか、殺害するような存在をどうしたらいいのか。
 殺人未遂の前科ありの精神患者の容疑者を、それでも受け容れ治療しようとした、プロの精神科医が患者ごと大量殺人に遭う。ということは、同様の状態の人が家族や近所にいたら、素人には絶縁&引っ越し以外に自己防衛策がないのは、個人が支払うコストが高すぎる。
 犬猫でも世話をしてくれる人に懐くが、多くの動物や猛獣は懐かない。問題を起こす人にこそ支援が必要とは言うが、支援をする人が被害どころか殺されるのを見ると、猛獣のような人間を人が救うのは無理があるのではと思える。

 僕は浅井ラボの「人間の悪」に対するスタンスは学ぶところがあると思い、常にツイッターを追っているのだけれど、今回の「大阪市北新地ビル火災」に関しては「無理がある」という結論だった。
 確かに「治療や共感が無意味どころか、殺害するような存在をどうしたらいいのか」という問いは重い。
 絶対悪なんてものはないとしても、どうしようもない悪は存在する。

 その前提で、ふと思うのは「東京リベンジャーズ」の佐野万次郎は原作の漫画を読むと自ら助けてくれ、と言いながら、助けようとした人間を銃で撃ち殺すようなキャラクターだった。

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(※マイキー言ってること無茶苦茶や!って思いつつ、それにリアリティを感じてしまう不思議)

 作者の和久井健は『新宿スワン』を実体験を元にして描いていて、それがスカウト(キャバや風俗を女の子に紹介する仕事)の話だった。

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(※高校一年の時に『新宿スワン』に出会ったけど、やべー漫画って印象だったのに、今や「東京リベンジャーズ」で大人気なんだもんなぁ)

 和久井健自身が真っ直ぐに生きられず、どうしようもない悪によって人生を歪まされた人たちを見てきていて、そんな歪みが『新宿スワン』にも「東京リベンジャーズ」にも宿っている気がする。
 正直、「猛獣のような人間」を前にして僕たちが出来ることは逃げることだけだ。しかし、フィクションは「猛獣のような人間」を救うルートを模索し続けている。
 少なくとも『新宿スワン』と「東京リベンジャーズ」は、それを示している。
 和久井健が描くような、どうしようもない悪が今多くの人に読まれていることが何か微かでも救いの希望を導き出せないか、と考えてしまう。

 12月某日

 カクヨムのエッセイの方で書いたことがある、結婚した友人が誕生日だったので、お祝いのメッセージをLINEで送った。
 その友人は僕のエッセイを読んでくれていて、「さとくらくんがコンタクトにして毎日弁当を作っているの信じてないから」と言われる。

 それを言うと僕は君が子どもを産んでお母さんになっていることが未だに、うまく信じられていないんだけど、と思いつつやりとりをした。
 友人は来年の2月に結婚式を挙げる予定で、その招待状のURLをLINEに送ってくれた。

 回答するね、と返信し、今ってURLで結婚式の招待状って来るんだと思って、回答していくと「メッセージ」という項目があった。
 うーむ。
 この時点で、一端閉じた。

 メッセージって何を書くものなんだろ?
 とりあえず、スマホのメモ欄にあーだこーだ打ってみるが、なんか違う気がする。
 ネット調べれば回答例は出てくるんだろうけど、とりあえず自分で考えてみる。

 その間に、職場の同期に結婚式の招待状の話をしてみた。
「今はそんな感じだよね。結婚式ってやっぱり良いよね」
 同期は3年くらい同棲している彼氏がいるのだけれど、結婚はしないと言われているらしい、ということをそこで思い出して、地雷を踏んだなぁ……と反省する。

 その日、同期が仕事の終わりにわざわざ僕の席のに近づいてきた。
「さとくらくん、朝、結婚式に出る話してたけど、司会ってもしかして○×さんなんじゃない?」
 あぁ、その可能性は考えてなかった。

 ○×さんだと、分かりにくいので、○×さんはモルカー好きな方なので、モルカーさんと仮で呼びたい。

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(※実はモルカー見てないんですよね。。。)

 モルカーさんは副業で結婚式の司会をしていて、とある式場の結婚式の司会はだいたい担当している、という話だった。

「モルカーさん最近、京都の方にも行ったりしたらしいし。出る結婚式の式場の名前って分かる?」
「あー今は分かんないけど、モルカーさんが司会だと、どんな顔で式に参加して良いか分からないヤツだね」
「さとくらくんの友達だったいつもより気合いを入れるって言ってたよ」
 どうやら同期はもう大体のことをモルカーさんに話しているらしい。

 とは言っても、その日はもうモルカーさんは帰っていたので、後日式場を伝えて尋ねてみた。
「あー、残念。違うね」
「そっか、そっか」
 いや、良かった。これで司会がモルカーさんだと、結婚するお二人を見つつ、司会にも注目する変な参加の仕方をするところだった。

「あ、でも、さとくらくんが結婚式を挙げるってなったら、式場は紹介できるよ」
 とモルカーさんに言われて、え? で、司会がモルカーさん? その後、職場でどんなイジられ方をするか分からないので、謹んで遠慮したい。

 ちなみに、招待状の回答のメッセージは誰の目に触れるかも分からないし、おめでとう以外に伝えたいことなんてないな、に着地したので、シンプルな内容を打ちこんだ。

 12月某日

 最近、気づいたこと。
 菅田将暉のオールナイトニッポンが来年3月を持って終了するとラジオ内で発表があった。

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(※今見ると、この菅田将暉は若いなぁ)

 正直に言って、寂しい。5年続いたラジオで、その間にどれだけ元気をもらって来ただろう、と思うと感謝しかない。
 ラジオについて菅田将暉は「一生やらないわけではないので、また機会があったらやりたいと思ってますし。いつかやりたいなとも思う」と言っていたので、終わって何かの拍子に復活することがあれば、それを楽しく聞きたいと思う。
 とりあえず、最終回は泣く気がするなぁ。
 King Gnu 井口理のオールナイトニッポン0(ZERO)の最終回もアホほど泣いたしなぁ。

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 最近、気づいたこと。
 詳しくは別の機会に書きたいけど、シラスという「ゲンロンが制作し運営する観客と配信者がともに育つ新しい放送プラットフォーム」があり、それに10月頃に登録した。

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 シラスは基本的に有料放送で、視聴方法としてはチャンネルを月額購入し見放題にするか、番組単体を個別で購入するか、の2つがある。

 僕は毎週ラジオを聞くので、それほど放送を見れないと思い気になったものだけ個別購入する方法を取っている。
 12月に見たのは「鹿島茂×東浩紀「無料の誕生と19世紀パリの魅力」【『ゲンロン12』刊行記念】」「京極夏彦×小川哲「小説家は何を読み、何を物語るのか」【小川哲の文学BAR #3】 」「古谷経衡×辻田真佐憲×東浩紀「夢としての『大東亜戦争』80年代生まれが架空戦記を軸に語る開戦後80年」

 で、この中の京極夏彦小川哲の対談が面白くて、二人の話を踏まえて彼らの小説を読んでみたいと思い図書館で探してみた。

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 結果、京極夏彦の「虚談」に行き着く。
 短編集で怪談のような語りが9篇入っているのだけれど、あくまで「虚談(嘘話)」というスタンスを貫いていて、ゾクゾクして面白かった。

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 最近、気づいたこと。
 23歳頃からお世話になっている現在はカレー屋さん兼バーのマスターの館さん(とエッセイや日記では便宜上呼んでいる)のお店へ友人と行った。
 12月の半ばだった。
 館さんは年を取ったのか、最近僕が行くと親戚のおじさんかな?と思うような歓迎をしてくれる。

 館さんは無類の日本酒好きで、お店には珍しい日本酒が置かれている。その中の一本を友人は気に入って、「クリスマスに彼女ときます」と言い出した。
 友人は最近、彼女ができていて、その子も日本酒が好きらしかった。
 ふーん、とクリスマスは一人で過ごすつもりだった僕は聞き流した。

 12月の終わり、昼過ぎに時間が出来たので、館さんのお店に顔を出した。すると、本日が今年最後の営業だったらしくて、常連客と館さんの奥様がカウンターでカレーを食べていた。
「さとくらくん、初めてだよね? こちら、うちの奥さんです」
 と紹介されて、「え、あ、お世話になっております(?)」と当たり障りのない挨拶を交わした。
 こういう時、粋な一言が出る脳が欲しい。

 そんな館さんが「この前、一緒に来てた友達の彼女って、さとくらくん会ったことあるの?」と尋ねられた。
「いや、会ったことないですね」
「あ、そうなんだ。二人結構、良い感じだったよ」
 と言っていて、はじめて嫉妬した。

 友人に彼女ができることは本人の前で羨ましいとは言うけど、正直たいして何も思わない。
 けれど、館さんに「二人良い感じだった」って言われるのは、まじで羨ましい。

 恋愛関係の話題において館さんを僕は心から信頼しているので、おそらく友人は今の彼女と上手くやっていくのだろう。
 いいなぁ。
 僕も館さんに彼女を紹介して、「良い感じ」って言われたい。

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(※昼に言って、お酒は?って聞かれて、ビールでと答えた図。半額Tシャツ。。。)

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(※カレーめっちゃ美味しいんだけど、久しぶりだからか辛かった。。。)

 最近、気づいたこと。
 東浩紀がツイッターで「下手にいろいろ情報を集められることができる時代になったぶん、自分で調べて自分で考えるという本来は望ましい態度が、逆に陰謀論や歴史修正主義の温床になっているという逆説が起こっているように思います」と呟いていた。
 確かに、むちゃくちゃ頭良い人が、あれ? そういう政治思想なの? という瞬間に出くわすことが最近(コロナ後?)はとくに増えた気がする。

 12月某日

 母親と久しぶりに喧嘩というか、言い合いになった。
 実家に帰省する、という話をしていた頃は、コロナが落ち着いていたのだけれど、ここ数日「オミクロン株」が流行している、ということで、PCR検査を受けて欲しい、と母親が言い、それは別に良い。
 問題はその後の、「父さんが今、時間あるから広島からアンタを迎えに行くから」と言われて、5時間、車の中で父親と二人っきり? 
 というか、そこまで心配なら普通に帰らないよ、その方が安心じゃん、って気持ちになる。

 一端、話を持ち帰ると言って、電話を切る。
 うーむ。
 正直、父親と僕の仲が良好に見えるのは、酒とテレビのある場でしか接しないからで、僕は真正面から父親と対面することを避け続けているし、それは彼が死ぬまで続けるつもりでいる。
 僕は父親と腹を割って話したいことはなし、一度でも喧嘩したら僕は彼と関係の修復が出来る自信はない。

 だから、酒とテレビという意識が逃がせる場でだけ、僕は父親と接する。もしくは、1時間くらい短時間、父親が望む息子像を演じる。
 高校時代から分かっていることで、この先も変わることのない事実として、父親と僕が分かり合えることはない、というのは不変的なものとしてある。

 それでも表で仲良くするのが大人だって言うのを僕は社会に出て学んだし、実の血の繋がった父親であっても、僕の感覚は会社の上司くらいの感覚が一番近くて実際、一緒にお酒を飲むのは楽しい。
 その表の状況だけ見て、じゃあ、5時間車の中で密室で家に帰って来いと言う母親を僕は残酷に思った。

 とはいえ、今回実家に帰るよと言ったのは僕なので、5時間耐久父親の望む息子演じる大会を飲み込むのが大人としての態度かと思って、父親が迎えにくることを了承しようと決める。
 その代わり、今後コロナが完全に落ち着くまでの残り2年から3年は実家に帰らないと宣言するつもりでいた。ここまで父親が嫌い、というか、わだかまりを抱えているってことに今更気付いて我ながら驚く。

 30歳になって僕は許すか許さないか、20代の頃に宙ぶらりんにしていたものを、だいたい許さないに振り切ってしまっている。
 ダメなものはダメで、良いところがあるとか事情があるとか、そういうものを考慮せずに、ダメはダメって言うしかないことって世の中にはある。
 もう本当にどうしようもなく、それはある。

 ということで、母親に再度電話すると、僕の声色であらゆることを察したのか、一端時間を置いたせいか、「バスでそのまま帰ってきなさい」と言う話でまとまる。
 この電話の空気感は、上手く言えないけど、駄々をこねている子供に戻ったような気持ちになった。

 僕はまだ全然、母親の前では子供なんだなと改めて実感した。
 その翌日にPCR検査を受けに行った。昼に受けて、夜には結果が分かって陰性だった。大阪府民ということで無料だった。

 PCR検査を受けるのが初めてだったので、結構な驚きだった。
 無料なら、もっと気軽に受けに行っとけば良かったなぁ。

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さとくら

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さとくら
小説やエッセイを書いています。 大阪府在住。何者でもない成人男性です。 お問い合わせがあればsikisato0501@gmail.comにまでご連絡ください。