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大金をめぐる奔走の中で交わされる言葉ほど楽しいものはない。映画『札束と温泉』について。

「君は忘れてしまったのかな? カネは目に見える神だよ」

佐藤究『サージウスの死神』より。

 前回から引き続き、佐藤究サージウスの死神』の一文から始めたい。ちなみに、このセリフはシェイクスピアの引用だと、本編の中で語られている。

 もし仮に「カネは目に見える神だ」ったとするなら、川上亮監督の映画『札束と温泉』は神様をめぐる物語だったのだろうか。
 今回はそんな映画について書いてみたい。

札束と温泉』は2023年6月30日に公開された映画で公開された映画館は8館だった。どこでも気軽に見れる映画という訳ではなかったので、ご存じの方も少ないかと思う。

 あらすじは「高校の修学旅行で訪れた温泉宿で女子高生たちが、ヤクザの愛人が持ち逃げした札束の詰まったバッグを発見する。カネを取り戻すために現れる殺し屋、別の生徒からねだられている担任教師。複数の思惑が絡まり、温泉宿を舞台に、混乱が混乱を呼ぶクライム・コメディ」とのこと。
 そして、ウィキペディアには「廊下や階段が複雑に入り組んだ温泉旅館をロケに使用し、疑似ワンカットで撮影されている」と記載されている。

 実際に見ると、本当にワンカットで撮影されたように感じる映画で、キャラクターたちがすれ違うことで視点が入れ替わり、それぞれのキャラクターの思惑などが分かる。
 内心の描写はなく、あくまで個人の想いについては独り言ないし、登場人物には聞こえない小声で語られる。

 僕が見たのは7月8日の京都みなみ会館で舞台挨拶付きの上映だった。
 パンフレットを買うと監督と舞台挨拶に来られていた演者の方からサインがもらえる、とのことで購入した。
 映画館でパンフレットを買ったのは新海誠の「君の名は。」以来だった。つまり、僕はパンフレットを滅多に買わない。

 けれど、今回購入した理由は元々が多くの映画館で上映されないだろうな、と分かっていたこととサインがもらえることだった。
 僕はサインが欲しかった。

 あらすじを見れば分かる通り、『札束と温泉』は女子高生がメインの映画で、舞台挨拶に来られていた二人の演者も若い女性だった。ただ、僕の目当ては監督の方だった。

 川上亮監督。
札束と温泉』の公式サイトには「映画『人狼ゲーム』シリーズ全作品の原作・脚本を担当。『人狼ゲーム/デスゲームの運営人』で監督デビュー。昨今ではマーダーミステリー作品を数多く手がけている」と記載されている。
 更に、川上亮をネットで調べると以下のようなウィキペディアがヒットする。

秋口 ぎぐる(あきぐち ぎぐる、本名:川上 亮(かわかみ りょう)、1976年 - )は、主にライトノベルを執筆する日本の作家、ゲームデザイナー。株式会社コザイク代表。

 ライトノベル作家で、ゲームデザイナーで、会社の代表でもあると。なんだか、いろいろやっている人なんだなって印象なのだけれど、そのほかの顔に専門学校の先生というのもやっている。
 つまり、僕が専門学校に通っていた時代の先生が、秋口ぎぐること、川上亮先生だった。

 僕のエッセイや日記を細かく読み返すと、秋口ぎぐる先生とあと二人、僕は小説家の名前のあとに「先生」をつけている。
 それは実際に授業を受けたことがあるので「先生」と呼んでいた。

 と書くと師弟関係っぽいけど、当時の僕はクラスの中で一番文章が下手(だと言われていて)で、課題などで目立つ生徒でもなかった。
 ただ、仲良くなったクラスメイトたちが先生との交流を上手くやる人たちだったので、それにくっついて二言三言ほどは喋っていた。なので、なんか視界の片隅にいる生徒というのが、当時の僕の正当な評価なのではないかと思う。

 ちなみに、授業の一環で小説を読んでもらったこともあるが、学校に通っている最中で褒められた記憶はない。むしろ、ここがダメ、あそこがダメと言われまくった。
 今なら、なぜダメなのかが痛いほど分かるけれど、当時の僕は何がどうダメなのかを上手く理解できていなかった。自分のダメな部分を理解できていないのだから、改善することもできず、当時の僕は救いようがないほど落ちぶれていた。

 というような経験が根底にあるからだろう。
 僕は秋口先生が怖い。学校に通っていたのは十何年前と過去になった今でも、秋口先生と顔を合わせたら、当時と同じように緊張して口下手になり、愛想笑いを浮かべるほかなくなってしまう。

 そんな僕がサイン欲しさに『札束と温泉』のパンフレットを買ったわけだけれど、気合が入りすぎて列の一番のりになってしまい、(少し待ち時間があったので)後ろの人に「すみません、一番は緊張するので、順番変わってもらえませんか?」という訳の分からないお願いをしてしまうほどガチガチだった。
 サインしてもらえる間、当然僕は何も喋りかけられなかった。
 おそらく一生、僕は秋口先生の前ではそんな感じなのだと思う。

 さて、そんな個人的な事情がありつつ見た『札束と温泉』なのだけれど、本当に面白かった。秋口先生が公式サイトに「初期のタランティーノ作品やガイ・リッチー作品、コーエン兄弟作品、あるいは映画『ハングオーバー!』シリーズのようなクライム・コメディを目指しました」と書いていて、なるほどその空気感は分かる。
 いや、分かって当然で、秋口先生が勧めていたという理由で僕はガイ・リッチーの「スナッチ」やタランティーノ作品を見たし、友人が『ハングオーバー!』の面白さを秋口先生に語っている横で、僕も見ましたよって顔をしていたのだから。

 僕は秋口先生の好みを知っているし、少なからずの影響を受けているので『札束と温泉』を楽しめるのは当然だったし、そういう背景を知らなくとも「クライム・コメディ」とあるように、エンタメとして楽しめる作りになっている。

 ちなみに、「クライム」をネットで調べると、「犯罪をテーマとした映画ジャンルを「クライム映画」と表現する」とのこと。
 今回で言うと「ヤクザの愛人が持ち逃げした札束の詰まったバッグ」が犯罪の中心にある。ただ、犯罪はそれだけではなく、もう一つ起こっている。
 それが担任教師のもとに届いた、生徒と付き合っていることをばらされたくなければ500万を払うようにという強請りで、これが映画の冒頭付近で描かれる。

 映画のポスターを見ると、この担任教師は中央下にいて、重要な役割を持つのかな? と思わされるのだが、登場時間はそれほど多くない。ただ、コメディ的な要素で重要なキャラは彼でパンフレットの登場人物の紹介欄には以下のように書いてある。

 開業医の娘と婚約中。なのに教え子と関係を持ったのは、恋してしまったから。この関係性は文学だ、はかないからこそ美しいのだ、などと意味のわからない独り言を日々つぶやいている。

 そんな「意味のわからない独り言を」つぶやいている彼はお笑いコント(アンジャッシュっぽいやつ)並みの展開を引き起こしてくれて、映画の中での笑いのツボとなっている。
 正直、後半は担任教師が出てくるだけで笑えた。めちゃくちゃ格好いい俳優さんなのに、なんて不幸な役回りなんだろうか、と。

 あの担任教師の不幸な立ち回りをもう一度見たいから、DVD化かサブスクに入ったりしないかな? と最近は思っている。実際、どうなのだろうか。
 などと思いつつ、冒頭の「カネは目に見える神」について触れられずにここまで来てしまった。最後、それについて触れて終わりにしたい。

札束と温泉』で出てくるカネは「ヤクザの愛人が持ち逃げした」ものなのだけれど、強請りという形で請求されているカネもあって、登場人物それぞれにカネに対するスタンスが異なって描かれている。
 そんな中で、突然現れた大金を前にして持ち主に返すべきだと主張したのが、主人公だった。
 彼女は正しい。その主張、行動の中で、主人公は最後「私、こういうの好きみたいなんです」と言った。
 目に見える神であるところのカネをめぐるドタバタ劇を、失敗すれば、その損失を被ることになるかも知れない緊張感の中で、彼女はそれを「好き」だと笑顔で言う。

 主人公の視点に立ってみれば、この映画の中の役割は人探しであり、物をあるべき場所に戻すことで、それはつまりゲームみたいなものだ。
サージウスの死神』の中には以下のような台詞がある。

 どんなゲームだろうとゲームそのものは子供だましだ。楽しいのはその背後にある言葉なんだ。

 この映画は「疑似ワンカットで撮影されている」ため、登場人物たちの内面の声は聞こえない。常に誰かとの会話か独り言で状況や登場人物の内面が語られる。
 そして、それが楽しく心地いい映画となっている。

カネは目に見える神」で、つまるところ神様をめぐり、あるべき場所に返すためにゲームを攻略するよう奔走することは、確かに楽しいだろうし、最後に主人公がこぼす「好き」だと言ってしまうのも分かる。
 何か一つでも間違えれば不幸になっていたとしても、その緊張感の中で交わされる言葉の楽しさに抗えないことはあるし、それこそが「クライム・コメディ」というジャンルの魅力の一つなのだと思う。


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