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【小説】西日の中でワルツを踊れ21 望んだものを得るのは『しからしむ(そうなる)』に抗うこと。

前回

 山本に連れられて辿り着いたのは岩田屋中学校だった。
 僅かに開いた校門から敷地へと入っていく山本にぼくは続いた。
 土曜日だからか、昼過ぎの校内には人の気配が感じられなかった。山本は校舎を迂回して、奥にある体育館へと迷いなく進んでいく。

 扉の前で立ち止まると、
「ナツキくん。靴は脱いで上がってくれよ」と言った。
 ぼくは頷いて、靴を脱いで体育館へ入った。
 電気の点いた体育館の真ん中には大量の新聞紙が広げられていて、ペンキや脚立、学校の机などが置かれていた。
 その学校の机の上に作業着の服の男が座っていて、ぼんやり天井を眺めていた。
「悪いね、待たせたかな?」
 と山本が言った。

 男はゆっくりとした動作で山本の方を見て、笑った。
「そんなことないですよ。先生」
「それは良かった。ん? 作業はもう終わったのか?」
「はい。今日の午前中で。すみません、一週間も体育館を占拠しちゃって」
「いやいや、良いさ。その分、体育館の壁なんかを張り替えてもらったりしたからね。これから入学する生徒は綺麗な環境で過ごすことができるよ」
「そう言ってもらえると、嬉しいですね」
 と頷いてから、男がぼくの方を見た。
 薄い笑みのまま
「本当に忘れてるんだね。話を聞いた時は半信半疑だったんだけど。改めて、こん
にちは。西野ナツキくん」
 と言った。
「こんにちは」
 言って、ぼくは体育館の真ん中に広げられた新聞紙のスペースに進んだ。
「記憶を失っているので貴方が誰か、ぼくは分からないのですが、予想することはできます」
「うん。誰だと思う?」
「貴方が、本物の『西野ナツキ』ですね?」

 本物の。

 そして、ぼくが、
「そうだよ。偽物の西野ナツキくん」
 男は変わらぬ声色で言った。
「貴方が、ぼくを西野ナツキにすると決めたんですか?」
「半分はね。でも、今回の計画は片岡潤之助だよ。君のお父さんのね」
 そう言われても、ピンと来なかった。
 けれども、そうか。
 井原紗雪が川田元幸を兄と呼ぶ以上、父親は片岡潤之助なのだ。
「どうして、片岡潤之助はぼくを西野ナツキにしたんですか?」
「誰でも良かったんだよ。川田元幸でなければ、誰でもね」
 西野ナツキだった理由が重要なのではなく、川田元幸でなくなることが重要だった。
 それはつまり――
「川田元幸は犯罪者だから、ですか?」
 西野ナツキは少し困ったように笑った。
「そうだね。過去の川田元幸はやり過ぎた。度を越していたし、虎の尾を踏んでもいた」

 虎の尾を踏む?
 そう考えて、浮かんだのは川島疾風の一連の事件による、やくざの組同士の抗争だった。
 川島疾風が田宮由紀夫から恋人の中谷優子を助ける為に起こした事件の発端は確かに川田元幸にあった。
「つまり、ぼくが川田元幸であり続けていたら、どうなっていたんでしょうか?」
「死んでいただろうね」
 あっさりと彼は言った。
「だから、偽物の西野ナツキで居てもらったんだよ」
「説明を、」
 声がうわずった。
 一度、唾液を飲んでから言い直す。
「説明をしてもらえるんですよね?」
「もちろん。その為に、君をここに呼んだんだよ」
 言って、西野ナツキは学校の机の横に置いてあったビニール袋から、缶のビールを取り出して一本をぼくに差し出した。

「先生も飲みますか?」
 と西野ナツキが言った。
「んー、いや良いよ。それより、私は少し外に出ているから。何かあったら電話してくれ」
「分かりました」
「あぁそれと」と山本がわざとらしく言った。
「『ナツキ』くん。頑張りなさい」

 その『ナツキ』はぼくのことを指しているのだろう。
 後ろを振り返ったが、すでに山本の姿はなかった。
 本物の西野ナツキは学校机に座ったまま缶ビールを開けると、一気にあおってから
「さて、じゃあ、長い話に付き合ってもらおうかな。『ナツキ』くん」と言った。
 ぼくも缶ビールを開けて一口飲んで、頷いた。

 ■■■

 ウェストフォームという、リフォーム会社を知っているかな?
 多分、川田元幸の知識としてはあると思うんだけど、そこの社長、西野正嗣の息子として、僕は生まれたんだ。

 小さい頃は、まだウェストフォームも小さくて、社員も数える程度しかいなくてね。だから、僕もよく現場に連れて行ってもらったりしたんだよ。
 父は厳しい人でね。幼い頃はよく父に叱られたものだが、怖いと思ったことはなかった。
 それは現場の父を知っているからだった。現場にいる父は恰好良かった。

 家というのは一つとして同じものはないんだ。外観が一緒でも、住んでいる人や土地の場所によって本当に違って見える。
 当時の僕は家をまるで一つの大きな生き物のように思っていて、その生き物の治療やコーティングをしているのが父だった。
 変な想像かな?
 でも、当時の僕は結構真剣にそう考えていて、生き物のような家を扱う父に尊敬の念を抱いていた。

 そんな父がある時に言ったんだ。
 この世界に変わらないものはない、と。僕はそれに大いに納得した。
 世界の全てが生き物だと思った訳ではないけれど、生き物が満たす世界は常に変化していることを漠然と理解していた。
 もちろん、厳密に言えば変わらないものがある。
 いや、変わってはいけないもの、と言うべきかな。
 それは例えば、ルールだ。

 変化は必ずあることを父は知っているからこそ、仕事や家庭におけるルールをしっかりと定める人だった。父のルールを守る以上、僕も妹も叱られることはなかった。
 諭すことや、注意することはあったけど、決して叱りはしなかった。
 僕は父のルールの範囲内でリフォームという作業の工程を眺めた。
 さっきも言ったけれど、家が生き物に見えている僕からすれば、リフォーム内容にも一つとして同じ作業には見えなかった。
 仮に一緒の工程であっても、完成した後、家はこれまでとは違う表情を僕に見せた。

 同じ服であっても着る人によって、印象がまったく違うのと似ているかも知れない。
 僕はそのようにしてリフォームという作業に魅了されていった。
 すると当然、自分でもしてみたい要求が強くなっていった。

 けれど、ルールを厳守する父が、身内であるという理由で子共である僕に作業の一端を担わせてくれるとは思えなかった。
 そうした時、山本義男先生の家のリフォームの仕事が入ったんだ。
 僕が小学五年生頃のことかな。そこで先生と顔見知りになって、彼の息子の大介を紹介されたんだ。
 大介は僕と同い年でね、すぐ仲良くなったよ。

 大介は年齢にそぐわない落ち着いたところがあったんだ。
 そういう部分に僕は密かに憧れていた。ある時、大介が言ったんだ。
「俺は親父のことが苦手なんだよ」
 父のことを尊敬している僕からすると、意外な言葉だったから印象的だった。
「どうして」と、僕は尋ねた。
「自然(しぜん)って字があんじゃん? あれ、実は自然(じねん)って読むらしいんだよ。で、意味は『しからしむ(そうなる)』。自力を諦めることが『自然』なんだそうだ」

 大介が言いたいことが理解できず、当時の僕は口を噤んでいるだけだった。
 彼はそんな僕に構わず続けた。
「親父は諦めた人なんだよ。過去の自分が望んだもの全部、諦めて自然でいることを受け入れた人。でもよぉ、そんなお利口に自分の望んだもんを俺は諦めきれねぇんだよ」
 つまりだ、と大介が言う。
「夢を追いかける、望んだものを得るっつーのは、自然に逆らう行為なんだよ。そして、才能っつーのは自分自身をコントロールすること。『しからしむ(そうなる)』に抗うことでもあんだよ」
「才能は自分をコントロールすることなの?」
「努力っつー方が分かり易いかもな。才能ってのは努力できるってことなんだよ。少なくとも俺にとっては。だから、やる気を失えば、才能は自然と消える」
「大介のお父さんは、何を諦めたんだろう?」

 その問いに大介は答えてくれなかった。
 ただ、その時の会話は僕にとって大きな意味をもった。当時の僕は父の仕事を自分もしたいと思っていたから、環境によって自分の進路を決めていた。
 けれど、大介の考えからすれば、それが才能となる訳ではなかった。
 才能が努力できるものであるのなら、それは僕が自発的にし続けなければならない事柄だ。
 僕が父から学べるのは、どうすればリフォーム業の職に就けるのか、という道筋だけだった。その上で、自分が何をしたいのか、どのようなものを才能とするのかは僕自身で選ばなければならなかった。

 自分で言うのも変な話しだけれど、僕は少し傲慢なところがあった。
 学校の勉強なんかをしながら、才能のことを考えると、自分が吸収したもの全てを何かに役立てたいと思った。
 この世界に無駄なものなどないのだから、全部を選べばいい。

 今でこそ、笑ってしまう考えだけれど、当時の僕は本気で自分が受信する全ての情報を無駄にしないように行動をはじめた。
 当然、そんな行動は破綻して然るべきだが、その傲慢さによって僕が得られたのは学校の成績だった。
 僕は類を見ない優秀な生徒として、周囲から扱われた。実際は僕の半分くらいの成績を収めている大介の方がずっと優秀なのに、なんて思いながら、僕は学生生活を送った。
 大介ともう一人の友人の三人で学生時代はよくつるんでいてね。
 今思い返しても、楽しい日々だったよ。

 勉強が苦じゃない僕は大学受験も第一志望に合格して、大学で存分に勉強に精を出したよ。
 リフォーム、建築に関しては経験学なんだ。
 だから、多くの家や神社やビルなんかに足を運んだ。
 そこで僕が学びたかったのはデザイン力だった。内装でも家具や色によって空間丸ごとを変えるような力が、デザインにはあると思っていた。

 実際、大学を卒業して父の会社に入社した後、大学で身につけたデザイン力は武器になった。
 父も僕のデザイン力を認めてくれて、入社一年目にしてウェストフォームの支店の一つを任せてくれた。
 その支店の一つで初めて任された仕事先の息子さんが、川田元幸くんだった。

つづく


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