ゆとり世代のみんな、マーダーミステリーしようぜ!

 ロスジェネ世代に関して積極的に言及されているポンデベッキオさんが少し前に「ツイてないロスジェネのみんな、野球みようぜ」という記事を書かれていた。
 僕はゆとりで、ポンデベッキオさん的に言うと「柔軟な対応力とコミュニケーション能力」を持っている世代ということになる。
 個人的にこの手の話の中で、ゆとり世代を良い風に言及されるところを僕は見かけたことがなかったので、ポンデベッキオさんの記事は興味深く読んだ。

 その記事の中でポンデベッキオさんは「価値観の幅が広く、文字通り考え方に”ゆとり”がある」と言い、文字通りの”ゆとり”があるから、ゆとり世代はロスジェネ世代やZ世代と上手くやっているんだと続けている。
 なるほど。
 けれど、それは同時にゆとり世代は固有の個性みたいなものを持ちづらい世代なのかも知れない。
 上と下の世代と上手くやっていると言えば聞こえは良いけれど、その場を成立させることに特化しているだけとも言える。

 以前、オードリーの若林正恭が「あちこちオードリー」という番組内で「ずっと真面目ちゃんで生きてきましたがヤンキーが実は優しいなどのギャップによる好感度には敵わないのかな、と感じます。ギャップで評価が左右されるなら真面目にやっているのが馬鹿らし」いと言ったお悩みが届いた。
 そこで、若林は「損な役回りってある」として「セカンドの7番って役割」について語った。
守備めちゃくちゃ上手い。(けど、)守備が上手いって褒める人はいない。ただエラーしたらめちゃ叩かれる
 と続けて「俺はその役回りがコンプレックスだったけど(今は)腹くくってる。セカンド7番で死んでいく」と締めた。

 僕は好きな芸人は? と尋ねられたら、オードリーと答えるくらいには好きだ。ラジオも「あちこちオードリー」も「午前0時の森」も毎週楽しみにしている。
 若林をポンデベッキオさん的に言うゆとり世代の特徴の「柔軟な対応力とコミュニケーション能力」を持っていると言って良いかは少々疑問があるけれど、少なくとも年を重ねて人の話を聞くことに特化し「セカンド7番で死んでいく」と腹をくくった若林正恭が持っているものは”ゆとり”だろう。

 Creepy NutsのDJ松永や作家の朝井リョウのゆとり世代の文化系で活躍している彼らが若林を慕っている理由の一端にも、この”ゆとり”があるのではないかと思う。
 そういえば、「激レアさんを連れてきた。」で加賀まりこが若林のことを「陰キャの王子様」と表現していた。この陰キャという言葉が流行したのも、ゆとり世代が学生の頃だった。
 当時は決して前向きな言葉として使われていた印象はないが、令和の世では「陰キャの王子様」という称号はちょっと良い響きに聞こえる。

 多分、これは1億総「オタク」社会が到来しているからなんじゃないかと思う。未だかつて、ここまで一般人がアニメを見たり、ゲームをしていた時代があっただろうか。
 あとみんなホント、何でそんなに「推し」がいるの? ってくらい、何かを推している時代でもある。アイドルとかユーチューバ―とかVチューバ―とか、世界は無限に応援を求めている存在で溢れ返っている。
 こんな世の中になるなんて平成の後半で学生時代を過ごした身からすると、まったく想像できないことだった。

 さて、そんな1億総「オタク」社会が訪れている今、「セカンド7番」の役割を担われているゆとり世代に僕が提案したいのは、マーダーミステリーだ。
 ちなみに、ゆとり世代と大きな括りで書いたけれど、これは村上春樹の「若い読者のための短篇小説案内」で「僕としては具体的な対象のイメージがあった方が話しかけやすいのでそうするだけです。だからもっと上の世代の人が読まれても、もっと下の世代の人が読まれても、もちろんちっともかまいません」と書くことに通じることだ。
 ポンデベッキオさんの記事のタイトルのオマージュとして、そうしただけだし、僕自身がゆとり世代だから同じ空気を感じている人に向けて書くのが個人的にやりやすいと思ってタイトルにしたにすぎない。
 若林の言う「セカンド7番」に共感する人には上の世代でも、もっと下の世代でも、僕はマーダーミステリーを勧めたいと思っている。

 では、「柔軟な対応力とコミュニケーション能力」を持ち、「ずっと真面目ちゃんで生きて」きたセカンドの7番にマーダーミステリーを、なぜ勧めたいかと言うとこのゲームは一度しか出来ないから、に尽きる。

 マーダーミステリーを調べると以下のように出てくる。
パーティーゲームの一種である。通常、殺人などの事件が起きたシナリオが用意され、参加者は物語の登場人物となって犯人を探し出したり、犯人役の人は逃げ切る事を目的として会話をしながらゲームを進める。
 人狼ゲームを知っている人は、それを思い浮かべてくれると分かりやすい。人狼ゲームは狼と市民になり、狼は市民のフリをして市民を食っていくことが目的となり、市民は誰が狼かを当てることが目的となる。

 そのようにマーダーミステリーには一人一人の目的がある。犯人であれば逃げ切ることを目的に、探偵的な役割を担われているのなら真相と犯人を見つけることが目的になる。ここで厄介なのは、犯人は逃がした上で誰が犯人かは推理することが目的のキャラクターであったり、最初から真相は関係なく別の目的を担わされるキャラクターもいたりする。

 ここまで書いて分かっていただけると思うが、キャラクター一人一人に固有の目的があり、最後には真相が明かされてしまう為(真相に辿り着けなかったとしても明かされてしまう)、一つのマーダーミステリーは一度しか遊ぶことができない。

 僕はこの一度しか遊べないこと、そして、自分とはまったく異なるキャラクターを演じなければゲームが成立しない、という二点において「ゆとり世代のみんな、マーダーミステリーしようぜ!」と誘いたくなった。
 マーダーミステリーはパーティーゲームであり、会話をしながらゲームが進んで行く。そのため、一定のコミュニケーション能力が必要になってくる。

 ただ、コミュニケーション能力が自分は低いと思っている人でも、マーダーミステリーは十分に楽しめる。なぜなら、参加人数が結構多めで(作品にも寄るが僕が参加したのは六人以上が基本だった)、ボードゲームカフェなどのイベントであればゲームマスターがゲームを成立する為にちょこちょこ介入してくれる。
 一、二度遊べば、マーダーミステリーのゲーム内でどのように立ち振る舞えば良いのかも分かるので、喋りが得意でなくともゲームの中であれば会話を成立させることができるようになる。
 もちろん個人差はあるだろうけれど。普通の雑談なんかよりは全然ハードルは低い。何故なら、その会話はゲームだから。

 更に、マーダーミステリーはゲームの後に感想戦として参加者であれこれ感想を言い合える時間が設けられている。一つのゲームとシナリオ(物語)を共有をしたことで、互いにあれこれと喋ることができるし、そこで自分の話というよりは自分が演じたキャラクターについて語れば自然と話は続く。
 会話の練習場としてもマーダーミステリーは最適だと思う。繰り返すけれど、もちろん個人差はあるし、合う合わないは当然あるから、誰もができることではないかも知れない。

 ただ、ゆとり世代や自分をセカンドの7番だと思っている人には一度、体験してみたい空間であることは間違いない。
 なんと言っても、マーダーミステリーは誰かを演じることになる。普段の自分からは離れられる体験として、マーダーミステリーはある。

 そして、もう一つは一度しか体験できないこと。
 映画やアニメなどネタバレに関して公式から注意喚起が行なわれるようになった昨今、マーダーミステリーこそネタバレが厳禁なコンテンツはない。
 真相が分かった状態でするマーダーミステリーは炭酸の抜けたコーラのようなもので、緊張感が一瞬で瓦解してしまう。ミステリーとあるように、謎を解き明かしていく快感がこのゲームの根幹となっている。

 それ故に、同じマーダーミステリーのシナリオを体験した人と出会った時、そこには同士と巡り合えたような喜びが芽生えてくる。
 まさに、それはマイナーな球団を応援しているサポーターに出会うような、あるいは、自分しか知らないような推しを同じように推している人と出会うような体験に近いものがある。

 今の世の中、調べれば何でも出てくると言われるような世界だけれど、そんな世界でクローズドな体験とそれを共に語れるような同士と出会える喜びは何事にも変えがたいのではないか、と思う。
 ライブやスポーツ観戦といった体験が盛り上がりつつある今、その究極形に位置するものがマーダーミステリーと言えるだろう。
 一度だけの物語を共に体験する人と出会う為に、マーダーミステリーに参加してみてはいかがだろうか。

 と言いつつ、僕は大阪住みなのでマーダーミステリーを体験できるゲームカフェがあるから、こうやって勧めれているだけで、地方とかだと簡単に遊べたりはしないんだ、って言う話はありそうな気がします。
 その場合、オンラインなどもあるようなので、そちらを良ければ。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。