見出し画像

大人になって実感する最良のこと、そして、敵わない人。

 ぼくなら順調さ 心配は要らない
 人の優しさに触れて寂しくなる癖はなおらないけど
 それから母さん あのね母さん
 あなたの強さはやっぱ真似できないや

マカロニえんぴつ「悲しみはバスに乗って」より抜粋

  年を重ねる度に、母親には敵わないなと思うことが増えていく。一緒に住んでいた頃にも思ったし、大阪で一人暮らしをしていた時も思った。
 けれど、恋人と住み始めて、より実感する。
 僕は母親には敵わない。

 ●

 恋人の前で、母親のことを「母様」と呼んでいる。
 弟や本人の前では「母さん」と呼ぶ。

 どちらもしっくり来ている。
 けれど、今後は「母様」と呼ぶことが増えるんだろうなと思うので、このエッセイでは母様で統一したい。

 母様は僕を二十二歳の時に産んだ。
 今、五十五歳。生まれてから今まで広島以外に住んだことはない。

 僕が大阪に行きたいと言った時、一番前向きに受け止めてくれたのが母様だった。
 結局、大阪に十三年住んだ僕に対して、母様は一度も帰っておいでとは言わなかった。

 いつだったかの誕生日、弟からおめでとうのメッセージが届いた。そこで「この前、占い行ったんだけど、兄ちゃんのことも占ってもらったら、両親から離れて力を発揮するタイプだって」と書かれていた。
 その力が今、発揮されているのかは分からない。

 母様も弟も僕が広島より外にいることを肯定的に受け止めてくれているし、それを上手く利用してもいる。
 僕はそういう距離感の扱い方に何度も救われてきた。

 ●

 恋人と一緒に住もう、という話になった時、彼女が住んでいる姫路に僕が行くと決めた。
 話し合いがあった訳ではなかった。恋人は一人暮らしだけれど、車で数十分のところに実家があって、仕事の都合上、姫路から動かない方が良いだろう、と自然と思っただけだった。
 それに姫路の方が大阪より広島は近くなる。
 職場は遠くなるが、その分、通勤時間で本を読んだり映画を見たりできる。

 いいこと尽くしだと思ったし、実際に数ヵ月生活をした現在も、姫路で生活すると決めたことは正解だったと感じている。

 ●

 ある日、恋人が仕事の関係で広島へ一泊二日で行くんだと言い、一緒に行かない? と誘ってきた。
 いいよ、と返した。恋人が遊んでくれなければ、基本的に僕の休日は暇なのだ。

 恋人の仕事の時間を確認しつつ、広島で何をするか話す中で「うちの母様に会ってみる?」と尋ねてみた。
「お母さんの予定が合うなら」
 という返答だったので、母様に連絡をとると休みを取るとのことだったので、母様と恋人を合わせる食事会が予定に入った。

 ここで人生の諸先輩たちに尋ね回った結果、初対面ならディナーはないし、長時間もあり得ない、という話を聞きランチに決定した。

 当日、母様と合流する前に恋人と喫茶店に入った。昔ながらの喫茶店という趣のお店で、ホットサンドを売りにしていた。
 恋人の口数は少なく、緊張しているのがこちらにも伝わってきた。

 休日の朝の喫茶店だからか人は少なかった。僕たちが入った数分後に男一女二のグループが入ってきて窓際に座った。
 なんとなく視線が向いて、彼らが飲んでいるものを見ると、男の方が瓶ビールだった。

 ここで「ビール一緒に飲まない?」と恋人に言ったら、どうなるんだろうかと、ふと考えた。

 さすがに僕にも常識のようなものは備わっているので、そんなことは言わなかった。ただ、どうなるのだろうと思った。
 同時に友達と似たような緊張感のあるイベントの前に、今回のようなシチュエーションになったら、却下されると分かっていても提案はした気はする。
 友達と恋人はやっぱり違うんだなと実感する。

 それはそれとして休日に喫茶店でビール飲んでいる男性。
 休日を楽しみすぎだろう。

 ●

 母様と合流して、ランチのお店に入り席に案内された。
「あんたは、お酒飲まないの?」
 と母様に言われた。

 さすがに今日はね、と笑って返した。
 コースで予約した料理にはビールでも焼酎でも日本酒でも合うだろうことは分かっている。
 それでも飲まないのが大人であることも分かっている。

 お店へ向かう時と入店前にお店の人と僕が予約の確認をしている間に、恋人と母様は自己紹介を済ませているようだった。
 けれど一応、席についてから改めて母様に恋人のことを紹介した。僕の口から母様に向けて恋人のことを話す。
 この会で僕が担う役割の大部分はそこだろうと思っていた。

 紹介を受けた恋人が頭を下げて、母様と少し言葉を交わした後に「姫路に住むことになってしまって、すみません」と言った。
 母様が「いいのよ。自分で好きに決めたことなんだから」と返した。

 話が進んでいく中で、僕が口を挟む数は減っていった。
 恋人と母様の会話を聞いていて、小さな違和感があった。
 後から考えると、母様の選び取る話題だった。
 母様は僕の前では「母親」という役割を通した話をしてくれているが、恋人は母様の子供ではない。
 一人の人間として母様が恋人に接する時、僕に見せたことのない面が出てくる。
 考えてみれば当たり前のことだけれど、自然と母様に頭が下がった。

 ●

 恋人と母様とのランチは良好な雰囲気で終わった。
 母様を見送った後、恋人が少し興奮した面持ちで母様のことを褒めちぎった。

 ホテルのチェックインの時間まで広島の観光をする予定だったので、路面電車で原爆ドームの方へ向かった。
 おりづるタワーの向かいにある公園で「日本全国を巡る!47都道府県 地元ビアボール祭り」なるイベントをしていて、そこで僕らは一休みすることにした。

 恋人はイベントを催されている公園近くにあるスタバで何か買うと言うので、僕は地元ビアボールの梨とビールの組み合わせの「鳥取」を買った。
 母様と恋人の会話の中で、梨が話題に上がっていたからだった。

 スタバの方が混んでいるようで、待ち合わせしようと決めたベンチに僕が先についた。スマホを開くと母様からお礼の連絡が届いていた。
 恋人がベンチに来てから、二人で乾杯をした。

 地元ビアボールが喉を潤し、アルコールが体内をめぐるのが分かった。一気に飲みすぎて、少し頭がくらくらした。
 けれど、気持ち悪さよりも妙な達成感が勝っていた。
 幸福な毛布が僕を包んでいる感じだった。
 柔らかくて温かく優しい毛布。

 この毛布を僕は一生抱えて生きて行けたなら、それが幸せなんだろう。
 つまり、それは今この瞬間、僕は幸せだということだった。変な順番だけれど、僕はそういう形で自分の幸せを実感した。

 同時にそれは幸福な毛布を失った時、僕はどれだけ傷ついてしまうか、を実感することでもあった。

 ●

 本日、母様から荷物が届いた。
 一玉の白菜や干し柿、みかんなどが入っていた。
 母様から荷物が届いたよ、と恋人に言うと声のテンションが上がった。
「さとくらくんのお母さんって本当にいいよね」
「ホント良い人だよ」

 僕の人生の中で胸を張って自慢できることは、母様のもとに生まれたこと。多分、それが最初にくる。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。