あのときの雛は、母鳥になった
家の前のジャカランダに、ハチドリが巣を作っていた。
手のひらにすっぽり入るくらいの小さな巣に、ちょこんとハチドリが座って、おそらくだけど、たまごを温めている。
見つけたのは数日前のことだ。
以来、玄関を出るたびに様子を見ている。
今朝は風が吹いていて、巣はフワンフワンと枝と共に揺れていた。
こんなに揺れてはさぞや不安だろうと一瞬、気を揉んだが、自然界で暮らす彼女にとって風に揺らされるくらい日常茶飯事であろう。ハチドリは動揺するふうでもなく、ただじっと静かに揺られていた。
その姿になぜか心を打たれて、久しぶりに一眼レフで撮影したのがタイトルの写真だ。
ファインダーを覗いた瞬間、ふと、昔に見た夢のシーンが脳裏に蘇った。
11年前、前の夫が亡くなってしばらくしてから見た夢だ。
夢の中で、私は、ひとりぼっちでトボトボと夕暮れの街を歩いている。
寂しくて夫に電話をしたが、「この電話番号はもう使われていません」という音声が返ってきて、ああ、そうだ、夫は死んじゃったんだ、と途方に暮れている。
「亡くなった夫と電話で話せる券」があったらいいな、夢の中で私はそう思った。
一生で3回だけ使えたらそれでいい、と。
おそらく、私は「今、こんなことで券を使うのはもったいない」と考えて、結局、一枚も使わないだろう。
それでもいざという時、本当に本当にいざという時は、その券を使って夫と電話できるという約束があれば生きていく希望になる。
そう、私は、希望がほしかった。
そんなことを考えながらぼんやりと歩いているうちに、少し先の街路樹のところで、人々が足をとめ、枝葉を覗き込むようにしていくことに気づいた。
いざ自分がその街路樹のところに来てみると、その木には鳥の巣があって、小さな雛がうずくまっていた。
母鳥はどこへ行ったのだろう?
このままで、この子はちゃんと育つんだろうか?
気がかりだったけれど、夫を亡くして心身に余裕がなかった私は、ただただ祈るくらいしかできなかった。
この子がちゃんと育ちますように。
とても印象的な夢だったので、当時のブログに記録した。
それを読んだ臨床心理士の友人がコメントをくれた。
「つらいと思うけれど、それでも新しい何かがさと子ちゃんの中で生まれている…雛はその象徴のように感じたよ」
その時の私は、この先何がしたいのか、どこで暮らしたいのか、何にも考えることはできなかった。
死にたいとは思っていなかったけれど、とにかく生きていく希望がなかった。
でも、友人の言葉を聞いて、「だといいな。雛には育ってほしいな」と思った。
あれから11年、今年、カリフォルニアの我が家に巣を作ったハチドリは、あの時、雛だったあの子なんじゃないか?
もちろん、空想なのだが、そう思えなくもない。
あの時は、新しい何かが生まれていると言われても、ピンとこなかった。
生きる希望が見いだせなかった。
けれど、少なくともサーフィンはしていたいと思えたから、貧血に陥っていた体を整えることを始めた。
貧血が治ったら少し元気が出て、カリフォルニアの聖山、シャスタを訪れる機会をもらえて、「ここに頻繁にこれるような暮らしがしたい」と思った。
その思いが、カリフォルニア移住に繋がって、気づけば、生きる希望がないなんてことはなくなっていた。
あの頃は、一つ一つの行動が先の何につながるのか、見えなかったし、考えもしなかった。
ただ、ほんのわずかでも私の心に光をくれるものを懸命に探して、見つけた光にしがみついた。
ある意味、アディクションというくらいにしがみついた。
しがみつくものがないと、生きているのがしんどかったんだろうと、今ならわかる。
私の場合、しがみつくものが、心身の健康を害するものでなかったことは幸いだった。
「目の前の小さな小さな光を探して、それにしがみつけ」
今の私が、あの頃の私に声をかけるとしたらそんな言葉だろうな、と思う。
いつか、しがみつかなくても大丈夫になる。その日がくることを信じて、今はどんなに揺られてもただ必死にしがみついておけ。
きっと、11年前の私は、今の私の思いをどこかでちゃんと受け取っていたのだ…風に揺られながらひますらたまごを温めているハチドリを見て、そんなふうにも思った。