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「小さないじわる」をやめるだけで

↑写真は今朝の散歩で見かけた風景です。

Satokoです。オンラインヨガ瞑想スクール「Lokah~ロカ」を運営しています。

少し前のこちらの記事で自分に対してのAhimsa(非暴力)の話をしましたが、今日は周囲に対しての話し。

この記事の内容は
こちらから音声でもお聴きいただけます。


周りに対して親切に、愛をもって接しましょうということは、誰でも何となくは分かっていること。

でも、具体的にどうすればいいかピンと来ないものですよね。

電車で泣いている赤ちゃんがいたら?
道路を渡るお年寄りがいたら?
駅の階段で転んだ人がいたら?

こうするのがいい、とどこかで見聞きして頭の片隅にはあるかもしれませんが、とっさにふさわしい行動はなかなかとれないものです。

だから、せめて見て見ぬふりをする。

それも優しさなのかもしれません。

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今週こんな本を読んでおりました。

この本は吉本ばななさんのエッセイで始まり、平成25年に行われた講演会でばななさんとダライ・ラマ14世との対談の内容が収められた本です。

その冒頭のエッセイの部分に書かれているエピソード。

吉本ばななさんが貧血と寝不足の状態で新幹線に乗った時のこと。

車掌さんの、職務を果たすためにとった四角四面な対応や軽く突き刺さるような言動が、ばななさんへの配慮が全く感じられず、それを「小さないじわる」と表現されています。

それって自分を正当化しつつも相手を軽くいじめてストレス発散しているんじゃないの?と私も感じます。

そしてその「小さないじわる」は日常にあふれているのではないかとも思ってしまいます。

日本人は昔持っていた絶妙のさじ加減と言うものを失いつつあると思います。それはもしかしたら豊かさや、資源を失ったのを同じことなのかもしれません。

「小さないじわるを消すだけで」より


良い子になろうとせず、「小さないじわる」をやめるだけでそれは十分Ahimsa(非暴力)になると思うんですよね。

相手にとって何か良いことをしよう、喜ばれることをしよう、大きな愛をもって接しようと考えてしまうから、とっさに行動できなくなるのではないかしら?

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そんなことを考えながら、午後は我が家の管理人のおばちゃんの愚痴に付き合って過ごしていました。

「サラダ油が値上がりした。そう言えばガスも。子供の教科書代も上がったのよ。これから一体どうなっちゃうのよ。」

物価の高騰を解決することは私にはできないけれど、「忙しいフリ」という「小さないじわる」をやめて、ちょっと話に付き合ってみれば、節約のためのアイディアも出てくるもので。

「揚げ物をやめて、ゆでるわ。日本人みたいに!」

と何でも揚げちゃうインドネシア人にとって大きな決断をしたおばちゃんは、「痩せるかな!?」の期待もおまけに手に入れたようです。

良かった良かった。「小さないじわる」を消す効果は意外と大きいようです。

お陰様で今日も良い日でした。

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最後までお読みいただき、ありがとうございます。

またのご縁がありますように。
ナマステ。

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