見出し画像

『猫を棄てる』 :村上春樹の劣等感とは

  この本は、村上春樹が亡き父と向き合うという体をとって、自分自身と向き合った本だと思う。

  劣等感。裏切り。葛藤。村上春樹に!そんなことあるはずがない!と言いたくなるような感情を押さえてながら読み進めた。本当に?本当にそんな村上春樹がいるの?と何度も確認した。最終頁には何が書いてあるのか、自分の気持ちが落ち着けるのだろうかと、最後まで興味深く読み進めた。

『今でもときどき学校でテストを受けている夢を見る。そこに出されている問題を、僕はただの一問も解くことができない。』
(父親との関係について)『最後には絶縁に近い状態となった。二十年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡も取らないという状態が続いた。』

  これまで、私は彼の作品群で、喫茶店やカーステレオから流れるジャズ、スパゲティを茹で続け、美味しそう(だけど簡単な)一品をぱぱっと作る主人公、羊やねずみのキャラクターを大切に思う気持ちをしっとりと表現する文章に出会い、(勝手に)村上春樹のイメージを作ってきた。どこかしら彼に対して、牧歌的で、こだわりがあって、おしゃれな人というイメージを作り上げてきた。それが今一気に崩されるのだ。

  作品は、最初に父と猫と彼のモチーフに始まり、戦争のエピソード、その中に彼の葛藤や劣等感を上品な錦糸のように少しずつ目立つように、目立たぬように縫い込んで、先に挙げた先入観を少しずつ変化させていく。そしてまた最後に猫のモチーフ。着物の、袖から胴体、胴体から袖に行くにつれて少しずつ柄が変化する。他の柄と繋がったり、まったく違う柄が添えられていたり。好むと好まざるとにかかわらず、変化していく柄。

  そして最後は、漠然と不安を抱いた気持ちで終わってしまった。あれこれ考えさせられる、まさに今生きてる、良いも悪いもぐちゃぐちゃに混じっているような。混沌。それでいて、頑固。・・・しかし、村上春樹に対してこんなに身近な存在と思うことはなかった。その辺にいるおじさんだ。あんなに文章が書ける人でも、やっぱり普通の人なんだな。そんなことを考えていたら、私も自分の父親との関係を振り返ってみて、何か書けたらいいなと思い、この間の文章が出来上がった。私の父は存命なので、色んな展開があり得るのだが、私の心もぐちゃぐちゃに混じっていて、同様に頑固なので、今のところ大きく変わることはなさそう。気持ちの混沌の中、このままここで筆を置く。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?