インナービューティー
秋庭農園が、始まった当時のプロジェクトとして、「インナービューティー」というワードが外せません。
結婚する前から妻はよく「女性の内面の美しさ」や「自然と共に」「ありのままの自分」と口ずさんでおり、そんな妻を尊敬していました。
そもそも、私のアイデンティティの元となる「農家像」は、母親でした。
酒好きの父の非人道的で暴力的なモラハラを30年以上ずっとずーっと耐えながら育ててくれた「愛に強く、逞しい」母の姿が、僕が20代に紆余曲折した頃のターニングポイントにも必ず支えてくれていました。
料理人時代、たまたま書店で手にした本の著者:ハーバリスト「ベニシア・スタンリースミス」がとても重なり、
ハーブが女性を生かし、強くする、その内面を明るくするのだろうと、
光を照らすような出会いでした。
よく東京のマンションから実家に帰った時には、母とその本を見ながら、
将来ハーブガーデンを作りたいとぼんやり話しておりました。(それから12年後に完成しそうです)
よくよく自分の奥深いメンタリティ等、精神構造を分析すると、苦労した母を安心させたいとか、女性の居心地の良い農業ってなんだろう?と、常にその仕組みやコミュニティを作り上げることに必死で、多くの方に来園いただく事が当たり前になっていました。
「この地域では当たり前」の男性主義にアンチテーゼとして、
女性を主体とした農業には、どんな未来が待っているのだろうと実験していたのかもしれません。
「農業ビジネスで稼ぎたい」という欲求などほとんどなく、「農」に触れるライフスタイルに関心があり、人は「農」を本能的にどれくらい求めるのか?今でも調査しているのだと思います。
その野生感のような人間の本能として、2016年当時からリトリート(日常から離れた場所で心身をリセットさせる)活動を「大人の食育」と題し 社)インナービューティーダイエット協会:木下あおい様にお越しいただき、女性限定の田植えイベント、稲刈りイベントを開催して来ました。
農業一年目にして、いきなりオーガニックでお米を作る(りたい!?)と言って、無謀すぎるチャレンジも、全くの素人で表面だけの判断でした、、、
どうしてそこまで自然に対して、作物に対して無責任になれたのか今でも情けなく感じます涙。
しかし、私の中で一番焼き付いている景色は、
あれだけお洒落してきた女性たちのみんな素足で、田んぼの中に入って田植えをした瞬間、みんな少女のように大はしゃぎwww
代かきした田んぼの中に足を入れた瞬間は、ひゃっとヌルヌルした泥に驚くのですが、
1歩2歩3歩と苗を植えていくに連れて、なぜか心が緩む、、、
もっともっと植えていきたい、、
きゃーきゃー言いながら、笑いながら楽しくなって 足も手も顔も泥んこだらけ、、
なぜそんなに田植えは楽しいのか?
当時の私達が言葉にしていたのが、
アーシング[ Earth+ing(地球と一つになる・静電気を逃す)]
毎日のPC仕事や都会の暮らしに、人が生命体としての疲れを知らず知らず蓄えてしまっていて、それを裸足で土の上に立つことによって放出する作業。
一年に一回でも良いので田植えに来ることで、人と地球が一体になれると思っています。足の裏は第二の心臓と呼ばれたり、 土 は + と − で整うと表現したり。アーシングヨガの田植え版でも良いですね。(←ここもっと深掘りできそう)
しかしそれだけではない?
そもそも日本には古来(平安)より、お田植え祭があり、
男は一人相撲を、女は「早乙女(さおとめ)」となり、白装束に赤い襷を縛り、お米の苗「早苗(さなえ)」を丁寧に植えていく豊作祈願の神事が催されていた。
女性は生命の源であり、田植えとは女性のもので女性にしかできない行事だったとガテンがいった。
しかもそのさおとめ、さなえの「さ」とは大和言葉で「サ」神様と表した。
サ神が鎮座する「かむくら」 = サクラ(桜)
春の桜の開花の様子によって、その年の豊作を占っていたそう。
花見の際、サ神様に献上する食事のことを「ケ」というので
「サ・ケ」酒
、、、とLEONの雑誌にも書いてありましたw
そうとは知らず、現代の日本人はなんと、ぼーっと生きていたことかとwww
日本人にとって潜在的に持っている農耕民族のDNAの話。
そこから始まった 秋庭農園の女性限定のお田植え祭
田植えインナービューティー・リトリート・アーシング・スローフード
様々な表現として捉えて良いと思うが、
私は、田植えした時の女性の美しい笑顔になった瞬間を
誰よりも多く目にしてきたと自負しています。
田植えした後の、野菜ランチは細胞レベルでうまい!!(これは現役シェフに手伝ってもらったごはん)
地に根差した人は誰もが笑顔になってくれます。
自然の上ではみんな平等であって、農業がたまらなく愛おしい。
また今年の田植えが楽しみです。