見出し画像

ロートル記者の就活日記 #1

 コロナ禍、50代の求職

 岩手県大槌町で東日本大震災の津波の犠牲になった役場職員の最期を追い、書籍にする仕事を終えて、2021年秋、僕は出身地の関東に戻ってきた。新しい勤め先を探さねばならない。宗教専門紙「中外日報」の記者を約20年務めた後、被災した二つの町に8年暮らし、記録誌の編さんなど震災伝承事業に携わった。間もなく56歳。もうすっかり、「ロートル」(死語)と自虐したり、世人から揶揄されたりする年頃である。コロナ禍の首都圏で僕のキャリアがどの程度評価され、転職を果たせるのだろうか。日々の動きと思いを記す。

 出版8社応募も全滅

 21年10月下旬からこれまでに、大手や中堅など出版社8社に応募したが、ことごとく不採用だった。転職サイト「マイナビ転職」で募集を知った平凡社に朝日新聞出版、「ハリー・ポッター」シリーズのヒットで名を馳せた静山社など。多くが「フレッシュな人材」「次代を担う中核メンバー」を求めており、年齢の壁が立ちはだかる。

 唯一、書類選考を通過し、リモート面接を経て、対面の二次面接まで行ったのが、最近では「変態」映画監督ジョン・ウォーターズの著作を刊行するなどマニアックなラインナップで知られる国書刊行会である。自己PRで大正・昭和初期の探偵小説が好きだと書いたことや、中外日報記者と韓国留学のキャリアが、以前に寺院向けの出版物を多く出し、近年は韓国語教材にも力を入れている同社の目に留まったらしい。

 企画書の提出を求められた二次面接では、一時面接の時に同社で昨年最も売れたのが韓国語教材だと聞いていたので、コロナ禍の巣ごもり需要やグルメブームと絡めて「レシピが読める韓国語」だとか、昨年公開の黒人音楽の記録映画「サマー・オブ・ソウル」にインスパイアされた「音盤(レコード)で聴くB L M(ブラック・ライブズ・マター)」なんぞという企画を引っ提げて臨んだ。

 面接官の関心は、寺院相手に今後営業利益が見込めるかといったところにもあったようで、僕がそれほど明るい展望を示さなかったり、同社好みの超ニッチな企画を出せなかったりしたこともあってか、4日後にお断りの連絡が来た。

 市史編さん専門員志す

 ハローワークの求人票で見つけ、紹介状を発行してもらって応募したのがA市の市史編さん専門員(地理分野)である。ところが、この応募条件が厳しく、大学などで自然地理学や地質学を専攻したか、自然科学分野の自治体史を編さんした経験があるかのいずれかを満たしていなければならない。しかも、専門論文を発表した経歴を申告する必要があったり、第一次採用試験で自然地理学や地質学の知識を問う論述問題が出されたりするという。

 市の担当者に電話して「ハードルが高過ぎます」と伝えると、震災記録誌を編さんした僕の経歴なら条件にかなうというので、再び公に奉仕しようと腹をくくり、締切日に応募書類を役所まで出しに行った。

 所詮、僕はどこにいても、物を書いたり、編んだりするしか能がないのだ。

 試験のヤマ外れる 

 2月5日、市史編さん専門員の第一次採用試験があった。わが家から会場のA市役所は高速道路利用で45分ほど。乾いた冬晴れの下、B川に架かる長い橋を渡って街中に入る。古い鉄筋コンクリート造7階建て庁舎の3階の会議室が試験会場で、案の定というべきか、受験者は僕と20代と思われる真面目そうな女性の2人だけだった。

 果たして論述の設問は「A市の地形と地質、気候について知るところを述べ、それを基に市史編さんにおいての課題と提案を挙げよ」だった。しまった。ネットや図書館で見た程度のうろ覚えの知識しかない。もっと予習すべきだった。地理学に関して、漠然と過去に学習した事柄について問われるかもしれないと思い、山田町と大槌町の震災記録誌で地理学者の皆さんに執筆してもらった、地形・地質と津波に関するページばかり事前に読み込んでいた。ヤマが外れた。

 600字詰めの原稿用紙が3枚配られた。Aの市域の大部分がC川とB川に挟まれた広大な沖積平野であることから、水害への備えの重要性や、人命を守ることが最大の公益であることなどを書き連ね、無理やり1300字ほどにまとめた。B川のことを間違えて僕の住む町を貫流する「D川」と書いてしまったんじゃないかとか、隣の席で順調にカツカツと鉛筆を滑らせる音を立てていた若い女性が、ばりばりの地理学専攻だったら勝ち目がないな、などと、後から不安になった。

 合格発表は1週間を挟んだ2月14日。合格者は後日の面接に進む。

 ロートル記者の、明日はどっちだ。

 




この記事が参加している募集

#就活体験記

11,752件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?