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【光る君へ】第30回「つながる言の葉」感想

 まひろが宣孝と死別して3年が経ちました。都は夏に旱魃に襲われますが、道長の必死の依頼により、晴明が雨ごいをすることで恵みの雨が降ります。まひろは公任の屋敷である四条宮で、女性たちに和歌を教える会を主宰し、そこにはあかね(和泉式部)も顔を出し、彼女は官能的な独自の感性をのぞかせながら、和歌を紡ぎだしてはその場の面々を魅了します。まひろはその会で自身の書いた「かささぎがたり」と呼ばれる物語を披露し、家に帰ってはその続きを執筆に勤しむ毎日を送っていますが、我が子の賢子とは心を通わせられていないようです。一方、宮中ではききょうの書いた『枕草子』が貴族の間で好評を博し、そこに綴られた定子の思い出を噛みしめながら愛読する一条天皇の姿がありました。一条天皇は、彰子の元で養育されている敦康親王の元をたびたび訪れていますが、彼に定子の面影を見出すばかりで彰子との交流はなく、その様子に倫子はやきもきするばかりです。後宮や妻との関係が行き詰まる中、道長は公任から「物語を書いて女たちの間で評判を博している為時の娘」の話を耳にします。先に得た晴明の啓示めいた助言も後押しする格好でまひろの元を訪れます。
様々な形で編まれる「言葉」が響きあう中、いよいよまひろが歴史の表舞台に登場するお膳立てが整うような回であると同時に、まひろと賢子の思いが通じるといいな…と願う回でした。
※以下、いつもより史実的ネタバレが多いかもしれません。


和泉式部、登場!

 満を持して和泉式部が登場しました。「あかね」という名前もなんだかしっくりきます。彼女は、赤染衛門の夫の弟(かも)の娘なので、そのつながりで出てくるかなと思いましたが、公任の妻を通じて知り合った設定なのですね。主人公が喋っているときに間に割って入って登場するこの感じ、「周りをざわつかせるちょっとお騒がせな人」という予感に満ち満ちていて好きです。その場で思ったことをさらっと和歌にしてしまう天才的な感性が光る一方で、「暑すぎて服を脱ぎ捨てたい」「『枕草子』を面白いと思わなかった」など周囲をドキッとさせるあけすけな物言いが目立ちますが、別の日には恋人とのけんかで嘆き悲しむ一途で儚げな側面も見せます。少し虚ろで何だかもの言いたげな表情といい、何だかんだ周りが放っておかないのがよくわかる人物造形です。まひろへの相談の中であかねが言及している恋人の「親王さま」とは、敦道親王のことですね。和泉式部は彼の兄で夭折した為尊親王とも交際しており、史実ではこの時点で既に浮名が知られた人物です。
あかねの恋に一途な生き方をまひろは「素晴らしいことです」と言っていますが、『紫式部日記』では和泉式部の振る舞いを非難しているのですよね。本当に素晴らしいって思ってるの???本当に???…というツッコミはしまっていくことにして、本作のまひろはどうやら彼女を羨んでもいるようです。非難と嫉妬は紙一重なのかもしれませんね。

彰子と天皇をめぐる倫子の葛藤

 中宮彰子と一条天皇の距離が縮まらないことに悩む倫子は、道長に頼んで天皇に拝謁します。女性ながら官位を持っている彼女だからできることですね。倫子は天皇に、彰子と積極的に交流するよう訴えますが、厭わしく思った天皇にすげなくかわされてしまいます。自身の立場を顧みない倫子の言動を道長は叱責しますが、そこに至るまでの彼女の苦悩を理解することができません。
 気になったこととして、倫子は一条天皇への手土産に、行成の書き写した『新楽府』を持ってきていますね。どうやら倫子は「一条天皇の心をつかむのは文学である」ということを直感では分かっているようです。それをまず彰子にも伝えて…!と思ってしまいました。一方でこの『新楽府』には以前まひろも触れていて、『紫式部日記』によればその後紫式部が彰子にその講義をしているものでもあります。彰子はおそらく天皇のことをよく観察してはいるようなので、ここで『新楽府』が出てきたのは今後のまひろの活躍の伏線かも?とも思いました。

賢子とまひろのすれ違い

 「自分の生き方を自分で決めてほしい」という願いから、まひろは賢子に熱心に文字を教えようとします。しかし、前回物語を熱心に聞いていた賢子の様子とは裏腹に、この頃の賢子はどうも遊びに現を抜かしてしまいがちです。視聴者の感覚からすれば、まだ幼い年齢ですしそれは仕方ないことなのかも…と思ってしまいますが、母親であるまひろは幼いころから漢籍に親しんできた人です。かつて貧しい子のために字を教えていた経験もあり、最低限の知識として娘にも学んでほしいと願うのは彼女にとって自然なことなのでしょう。賢子が上達しないことにいら立ちを見せながら練習を無理強いしています。
 ここでのまひろは自分のやり方を、しかも自分に可能なタイミングで押し付けるばかりで、賢子と真実向き合えているわけではありません。後日賢子がまひろに「遊んでほしい」と請うたときには、まひろは四条宮で読むための物語を書くのに集中するあまり、その願いを拒んでしまいます。ここに、賢子にとっての「書き物」は、自分を苦しめるばかりではなく、自分を母親と隔てもするものになってしまうのです。
 この出来事が引き金となったのか、ある夜に起きだした賢子は、まひろが書きかけた物語の原稿に火をつけてしまいます。危ないところで消し止めた後、まひろは賢子をきつく叱責します。賢子は泣くばかりで、謝罪の言葉も単に「怒られたから」出てきたもののようで、まひろは自らの強情さゆえに、賢子に反省を促すことまではできていないようです。
 まひろが賢子に、他ならぬ賢子のために抱いている願いも、賢子の母親を求める気持ちも残念ながら届いていません。この後の2人の母娘関係が気になるところです…。

その他

●「かささぎがたり」の謎:まひろが作っている物語は源氏物語ではないもので、「かささぎがたり」と呼ばれています。これは何かモデルとなった物語があるのかはわかりませんでしたが、「女になりたいと願う男」と「男になりたいと願う女」への言及には「とりかへばや物語」を想起しました。人の思考の根底をさらったやや難解なもののようですね。

●分岐する隆家と伊周:隆家は道長の元を訪れ、定子を懐かしむ一条天皇や、それを促すことで立場を確保したいであろう伊周に批判的な態度を覗かせます。「私は過ぎたことは忘れるようにしております」と言っていますが、一切意外性のない発言だと思います。彼の接近を行成は「天皇を懐柔する伊周と連携して道長失脚にかかるための戦略では?」と警戒し、道長は意にも介していないようですが、実際彼の本心はどこにあるのでしょう。
 だんだんと分かってきたことなのですが、私は隆家というキャラクターがかなり好きなようです。本作でいうと、例えばまひろは源氏物語の執筆に、道長は摂関政治の極致に、また中宮彰子は後宮政治の道具から国母に…と、ほかの人物は紆余曲折がありつつそれぞれの歴史的実績にそれぞれ進んでいることがよくわかるのですが、隆家にはそれをはっきり読み取ることができないのです。このあと彼が作中で見せるであろう、刀伊の入寇での大活躍がどういう風に描かれるのか、またそこに至るまでに彼がどのような歩みを進めるのか、それにあたって今の彼の言動がどのような意味を持つのか、隆家が飄々としてまったく読めないからこそワクワクしてしまうのです
 一方で兄・伊周は今日も呪詛しまくっていますね。この後も彼はこのまま進んでいくものと思われます。絶対露見しそうですが、どう露見するんだろう。

●晴明の活躍:都を苦しめた旱魃を晴明は見事に沈め、その雨ごいによって雨を降らせました。本作の「呪術」は全般的にあいまいな描き方がされていて、本当に呪術が効いて意図通りの出来事が起きたのか、それとも実際の出来事との偶然でたまたま効いたように見えるのかが曖昧になっているなと思ってみてきました(例:兼家の死など)。晴明自身にもちょっと胡散臭いところがあり、時に彼に本当の意味で呪力があるのか、彼の言動が人を操作するがゆえに「呪力がある」ように見えるのか、あいまいな描き方がされるときもあります。しかし今回のそれは本物だったと言ってよいでしょう。晴明は命を燃やさんばかりの労力で、雨を降らせてみせたのでした。

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