不登校未満だった頃の話

佐冬です。なかにいるあたしじゃなくて。

なんでかとつぜん
不登校未満だった高校時代のことを
言葉にしたくなりました。

どこに?どのように?・・・・
いちばん落ち着いたのがここだったので
ここで始めてみます。


私が不登校未満だったのは
もう30年近く前のこと。1990年代の前半。

県立の高校に通ってました。
当時は学区というものがあって
その中ではトップの
いわゆる進学校なんでしょう。
進学率が毎年ほぼ100%で
ときどき東大や京大に進学する人がいるような
早慶上智が花形で、MARCHならセーフ
それ以下はすこし声を潜めるような
そんな空気がありました。

旧制中学からの自由な校風がウリでもあったのだから
もっと破天荒でも良さそうなものなのに
一億総中流社会、世はバブル景気
高偏差値、見栄えのする学歴、一流企業、マイホーム・・・
親世代の憧れがそのまま流れ込んでいたのかもしれません。


中学は地元の市立校でした。
家から徒歩15分くらいだったかな。
朝が辛くて部活の朝練にはたいてい行けなかったし
(少人数の運動部でした)
遅刻ギリギリが増えてはいたものの
皆勤賞はもらえたような記憶があります。


小学校も中学校も、成績はよかった。
小学校の終わりから通い出した近所の塾は、
友達とのおしゃべりが楽しくて行っていたようなもので
いま思えば生来、言語能力が比較的よかったのかもしれません。
幼稚園に通っている頃から、母親がふりがなを振ってくれた
小学生向けの童話を読んでいました。


部活も引退した中学3年の秋
進学する高校を決めるにあたって
候補は3つありました。

1. 推薦で入れる私立女子校(有名私立大学付属)
 自宅から徒歩と私鉄で1時間弱
2. 学区トップの県立高校
 自宅から徒歩・私鉄・JRを乗り継いで1時間強
3. 学区2番目の市立高校
 自宅から徒歩15分

まず初めに除外したのは1番
推薦なので秋の時点で決めねばならず
母親と学校見学に行ったうえで
・女子しかいないこと
・付属大学に面白そうな学部がないこと
この2点が決め手だったと思います。

最後まで迷ったのが、2番と3番
文化祭に遊びに行ってみたかぎり
雰囲気的には市立高校が好みでしたが
『偏差値の高い学校だからこその出会いもある』という母親の言葉や
電車通学への憧れもあって、県立高校に決めました。

当時は内申点などで7割方の合否がわかっていて
成績的に微塵も不安がなかったため呑気なもの
滑り止めの私立女子校は模試感覚で
一緒に受験する友達が多い
レベルがひとつ下のところを選んだほどでした。



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