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新たなる時代の幕開けー『アバター : ウェイ・オブ・ウォーター』評 前編

“映像革命”
かつてジョージ・ルーカスはジュラシック・パークのポストプロダクションに関わった際、そのCG技術を目の当たりにして自身が映像化不可能と判断していたスターウォーズEP1~EP3の製作に着手したという。こうした革新的な映像表現技術の進歩はこれまでもいくつかあり、その度に人々を驚かせると共に、多くのクリエイター達を創作へと駆り立てて来た。

そして2022年、我々は新たなる革命を目の当たりにした。前作アバターから13年の時を経て再びジェームズ・キャメロン監督がメガホンを取った本作は、今までとは比べ物にならないリアリティと迫力で、我々を未知なる惑星パンドラへと誘う。インタビューにて相変わらずの口の軽さで「本作のCGを見ればサノスなど比にならない」と喧嘩を売った監督だったが、今回は本当にその通り。サノスのみならず、全ての作品が比にならない。本作は間違いなく現状の映像技術の最高到達点であり、少なくともしばらくはこれを超える作品に出会うことはないと断言できる。

お恥ずかしながら、私は本作に対してそこまで期待していなかった。そもそもの話として、私はあまりCGに対して良い印象を抱いていない。確かにCG技術があれば、想像を超えた世界を表現することができる。しかし、どれほど美しい世界ができても、どうしても“作り物感”が邪魔をする。ハリウッド大作のCGはどれも高水準だが、これまで見てきたどの映像作品も「所詮はCGでできた偽物」という感覚が払拭しきれず、100%の没入感を得ることはできなかった。また、技術は日進月歩で進化するため、余程丁寧に作られていない限り、どんな作品でも時が経つにつれて低水準に見えてしまうのも欠点の一つだと思っている。

そしてそれは『アバター』にも当てはまる。本作公開前、私は一部劇場上映された『アバター』の4K3Dリマスターを鑑賞した。「今見てもさほど見劣りしない」という感想で、先述した“丁寧に作られた作品”であることは間違いなかったが、それでも全体で見ればやはり“凄いCG”でしかない。今となってはありがちなストーリーも相まって、“CG技術の見本市的”な印象しか抱けなかった。こうした理由から、私は続編である本作にもあまり期待が持てなかったのである。

しかし本作を観た時、私の考えは大きく覆された。本作の舞台である惑星パンドラは自然全体が一つの意識を形成しており、豊かな生態系が広がっている。前作で見られた原生林から主人公ジェイクとその家族は海へと拠点を移し、新たな生活が幕を開けることになる。その物語の初めから最後に至るまで、私はただ純粋にそこに広がる世界に夢中になっていた。その時の私の脳裏に、“所詮これは作り物”という冷めた感覚が過ぎることは一切なく、本当にそこにその世界があるように感じられた。単なる3Dでは表現できない、真の“奥行き”を感じたのだ。それはこれまでのどんな映画でも成し遂げることができなかったものであり、まさしく“映像革命”以外の何物でもない。

キャラクターやオブジェクトの質感において、本作の右に出る作品は存在しないだろう

CG技術はとうとう臨界点を超えた。“本物と見分けの付かないほどのCG”のレベルを遥かに超え、“本物と見分けが付かない”すら超越して、遂に“本物”となったのだ。それはつまり、「CGか本物かどうか判断しよう」という意識すら抱かせないということを意味する。たとえどんなに現実から飛躍していても、人間はそこに映る世界を第一印象で「本物」と認識し、本物かCGかを判断するプロセスを挟まない。そんな段階に、キャメロン監督率いる製作チームは遂に辿り着いたのである。だからエンドロールが流れている時、私は嬉しくて仕方がなかった。CGっぽさを気にせず、余計な雑念なく100%作品の世界に没入できたのはこれが初めてだったからだ。

それを実現させたのは他の技術による部分も大きい。本作のモーションキャプチャー技術は驚異的だ。一瞬だけ皺が寄る眉間の動きも、わずかな口元の変化も、揺れ動く瞳孔も、全てが鮮明に描写されており、元の俳優陣の演技から取りこぼされた要素は一切ないように思えてくる。従来の作品で感じがちだった動きの不自然さや目元や口元の違和感は一切感じられず、目の前の生命体から声が出ているとはっきり感じられる。

目や鼻が人間とは異なるにもかかわらず、全ての表情に感情が伴っている

本作の売りである水の表現も期待を裏切らない。頬を滴り落ちる水滴の一粒一粒は滑らかで、大海原で荒れ狂う波の様相は迫力に満ちている。濡れた髪や肌の質感、水中でのオブジェクトの動きも極めてリアリティがあった。これを実現したのは水中でのモーションキャプチャーだけでなく、48fpsのハイフレームレート映像による部分が大きいだろう。映画が始まって数分こそ「ゲームのムービーパートみたい」と感じたものの、海に舞台を移してからは逆に24fpsのシーンに違和感を感じるようになってしまった。これまでは安っぽく見えて映画らしくないと感じたハイフレームレートも、CGと思えないリアルな映像と組み合わさることで、今まで発揮できていなかった真価を存分に行かせているように思えた。

静かなシーンから動きのあるシーンまで、どんなシーンでも確かな説得力がある

これらの技術は現状本作でしか体験できないものだが、今後更なる技術革新が進めば、きっと他の作品でも活用できるはずだ。
だとしたら、我々はこれからどんな世界が見られるのだろう?観客の現実感を揺さぶる映像表現を組み合わせることで、それまで表現不可能だった世界も、細部まで描ききれなかった物語の全ても、きっと描けるようになるはずだ。帰路に就く最中、私は今後見られるかもしれない世界に思いを馳せ、未知なる可能性に胸が躍った。そして自分もこんな世界を創ってみたいとすら思った。それはかつて、ルーカスをはじめ多くの作家達が抱いた感覚と同じものだったに違いない。きっとこの作品を観て、新たなる希望を抱いたクリエイター達が世界中にいるはずだ。そんな彼等がこの技術を手にした時、果たしてその先にはどんな世界が待っているのだろうか。

2024年に公開される本作の続編では、本作とはまた違った惑星パンドラの姿が見られることだろうが、キャメロン監督達が14年の歳月をかけて作り出したこれらの技術が、アバターを超えた更なる冒険へと連れて行ってくれるのを、私は心より楽しみにしている。

この海の先にジェイク達を待ち受けているものとは?

ただ、たとえそれが実現しても、本作の輝きが失われることはないだろう。今後さらなる技術の進歩により本作すら時代遅れの“作り物”に見える日が来るかもしれないが、それでも本作が廃れることはないはずだ。何故なら、本作の持つ“奥行き”を表現するには技術だけでは不可能だからである。では一体、何がそれを可能にしたのだろうか?その正体にこそ、私が本作の虜になった真の理由が隠されているのだ。

『アバター : ウェイ・オブ・ウォーター』評、前編はここまで。後編では技術の話は抜きにして、本作に“奥行き”をもたらした物は何なのかについて考えていきたいと思う。

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