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「本当の自分」を取り戻す魅力とは

自己追求を始める前は「本当の自分を取り戻すってそんなに必要?取り戻したらどう変わるの?」ってのがいまいちピンと来てなかったんですよね。これは、私の経験を元にしたイチ意見ですが、純粋に謎な方も多いと思うので、言語化にトライしてみようと思います!

大前提、大半の人が今の自分を「本当の自分」と勘違いしていると思う説

何を隠そう、過去の私がそれでした。日本の義務教育を受けると「こうあるべき!」みたいな日本社会における理想像(いや、GHQか?なんて)が刷り込まれると思ってるし(だから日本人の民度が保たれるとも言える)、どこか強がって「自分探しなんて私は不要、大丈夫!」って言って、その手のモノは避けていた。ちなみにまわりからは常にポジティブに何事も取り組むエネルギッシュな人!みたいな印象だったと思います。(今もそうかもね)

でもね、16 Personalitiesとか診断すると、なんと私は内向的な方らしいんですよね。え?海外留学や国際結婚とかしてる私が内向的?笑わせないでよって感じ(どこか認めたくない気持ちもあって頭が反抗してる感)。でも、内向的って具体的にどんな?ってまた調べてみると、いわいる HSS型HSPといったような刺激を求める外交的な性格だが、傷つきやすい的な、アクセルとブレーキを同時に踏んでるというか、ポジティブな自分とネガティブな自分が1人2役しちゃってるようなというか、要はめんどくさいタイプもいるって知って「あ、私これだわ」って思ったんですよね。

人と会うのは好きなんだけど、一気に複数人と会うとめっちゃ疲れて帰宅後はしばらく1人になりたいとか、自分はけっこうストレートに聞こえるコメントする割に他人に言われたふとした一言をずっと引きずったり、けっこう大胆な行動をとるくせに小さなミスをするとクヨクヨしたり。HSS型HSPの人ってこんな感じだと思う。自分で自分の矛盾に疲れるんだよね。何も悪いことしてないのに疲れて、損してる。

だから人から思われる「エネルギッシュ」な印象は間違ってなくて、それも本当の自分の一部なんだけど、それと同じくらい全く真逆の自分も共存してることは見て見ぬフリして隠している…とでも言いましょうか。前に「強さと繊細さの両方を兼ね備えてるよね」って言われたことがあるけど、キレイに言うとそうゆうことなんだと思います。

そんな二重人格な自分に気づく前は、私の体はひとつなんだから性格もひとつなのが普通と思っていた。じゃ、ポジティブな自分とネガティブな自分のどっちを出していきたいですか?ってなったら、そりゃネガティブよりポジティブの方がいいですよね。特に、私は小さい頃から転校を繰り返してきたので、常に新天地で新入りとして戦わないといけなかったっていう環境もあって、常に自分を強く大きく見せていかないと負ける(いじめられる)ってどこかで思ってきた結果、ネガティブな自分にをして、ポジティブな自分だけを前面に押し出すというセルフマーケティングを子供ながらにしてきたんだと思う。

で、演じるのに慣れちゃうとそれが普通となり、これが社会で求められている私であり本来の自分なんだと勘違いしたまま大人になってしまって、本当は家に帰って休みたいのに二次会について行って、帰るころには情報過多でヘトヘト。次の日が休みだったら一日中ベッドで過ごすみたいな。みんなは次の日も元気に遊んでるのに、何で私はできないんだろう?皆は出来るのに自分は出来ない的なネガな自分が影でウジウジしたりして(めんどー)。

さらに、常に自分を強く見せてるから「あの人ならこれくらい言っても大丈夫かな?」と思われるのか、そこそこすごい発言されて、本当は心の奥底で傷ついてるのに「そんなこと言わないで」って言えずに、傷ついてることがバレないように強がっちゃんですよね。何なら、傷ついてる弱い自分を更に自分で責めて傷つける

理想の私は「ポジティブ100%な私」

本当は常にポジでありたいんだよね。朝5時くらいからパッと目が覚めて「よっしゃ今日も楽しんでこ!」みたいなギャルなノリでハツラツと1日を過ごしたい。だってその方が人生楽しいし、有限のライフタイムを無駄にしてないと思うから。

本当の私は「ポジだけど、ネガな私も常に共存」

毎日PM2.5でどんよりしてる空に影響されてまんまと心もどんよりしちゃったり、夫のタイジョークがジョークに聞こえなくて、本気で怒ったり(タイジョークって人を見下してる感あって好きじゃないのよね。私がクソ真面目なのか?)、ネガティブな私は常に心で叫んでいる

けど、これまでネガな自分を許してこなかった私は、心の叫びに向き合ってこなかったんです。だって、そんな私はカッコよくないから、認められなかった。認めちゃったら、これまで必死に創り上げてきた「理想の自分」はどうなんの?って。ザ自己喪失!!

自分で自分の一部を認められなくて、頭と心が一致してなかった。本当は休みたいのに休まない。その心身の疲れの積み重ねが辛かったんだなって思うんです。これが、本当の自分を許さないデメリットだと思う。

今は本当の自分を受け入れて、愛するように

完璧な人なんてどこ探してもいないんだし、どんなにいい人でも全人類から好かれるなんて無理なんだから、別にいーじゃん地味でもダサくても、数少ないまわりの人が本当の私を好いてくれたらって、鼻くそほじりながら思えるようになった今では、ちょっとネガな気持ちが現れると、まるで自分の子供に接するかのように「そうだよねー、今〇〇て言われて辛かったんだよねー。でもそれ言ったら雰囲気悪くするかなって遠慮して我慢したけど、本当は家に帰って枕を濡らしたいんだよねー、分かるよ〜よしよし」って同調してあげるようにしてます。ネガな自分を否定するのではなく、一旦受け止めて話を聞く。

そうするとさ、子供が親に認められると嬉しい!じゃないけど、自分で自分の話を聞いて認めてあげることで「私の思いを分かってくれた!」って満たされるんだよね。自分の心が満タンになると人に与える余裕が出来るから、まわりの人にも優しさをギブ出来て、幸せの循環が出来るようになってくる。人(自分なんだが)に認められないなんて、大人でもやっぱ辛いよね。

これまでずっと「そんなアンタじゃダメ!誰も認めてくれないよ?」って自分にスパルタ教育してたけど、それじゃ心壊すよなーとか、反抗するよなーとか、人によってはグレちゃうよなーって思うんですよね。セルフ毒親やん、私。

理想の自分を演じ続けるのか、それとも本当の自分を認めて、その存在を許可するのか?それはその人自身が心地良い方を決めたらいいと思う。

少なくとも私は「理想の自分」の後ろに隠れてた「本当の自分」の話を聞いて認めてあげるようにしたら、自分を大切に出来ている感が心地よくて、時にめんどくさいなお前って思いながらも、なんだかんだ愛おしく、40代からの人生の後半戦を共にしたいなと思えています。

「理想の自分」としか付き合ってくれない人とか、こっちから切っていいんだからね。だって、それ「自分」じゃないんで。他人の為に演じるのとか誰得?って感じだし心が無駄に疲弊する関係なんて真っ平ですって、言ってやれー!


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