さすらい

オオカミよ大衆になれ

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  • とてもいい

    とてもいいと思ったやつです。

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日記:結果、いい日だったかも

私はいつも4:30ごろ起きるので、今朝も普通にその時間に起きた。 軽い運動(なかやまきんに君のYouTube)をして、コーヒーを飲んだ。 (スタバのカフェベロナというコーヒーがうまいので、オンライン注文した豆から挽いて淹れたのを飲んだ。めちゃくちゃ美味しくて、嬉しかった。) 5:30ぐらいから仕事をして、静かに集中していたがここ最近めまいに悩まされていて仕事中にも何度も頭がふらついた。 今日は元々午後から病院に行こうと思っていたので、とりあえず連休前にやれる仕事は全部片付

    • S.Y.U.K.U.M.E.I. -宿命-

      突然ですが、私は結構な老け顔でして。生まれてこの方、年相応に見られたことがありません。中学生の頃には大学生に見られ、高校生の時には社会人、新社会人の頃には中堅ぐらいの扱いを受けてきました。 声も低めなので、ネットの人や電話でしかやり取りをしていない業者さんなどからは40代に思われていたことも多々ありました。 (年上に見られるというのは、社会人でキャリアを積むにはメリットでしかなかったので、結果的にはヨシ!) それが原因なのかは分かりませんが、よく(知らない人も含め)相談を

      • グレースーツの君(きみ)

        社会人になって1年後、運よく仕事で結果を残せたので東京支店に異動になった。ど田舎からの上京だったので、何かと心配になったりするのかと思ったけど、そんなにドキドキすることもなくすんなり上京した。 (ちなみに不動産も間取りだけ見て、内覧することなく決めた) 当時勤めていた会社はかなりの体育会系で、17人いた同期は私が転勤する頃には4人になっていた。男性優位な会社だったので女性の営業が少なく、60人いる営業マンの中で女性は4人だけだった。 (全てのハラスメントが毎秒単位で起こって

        • 以前投稿した「郵◯局奇譚 ~鬼滅の刃・無断切手貼編〜」は諸事情により削除しました!すみません!

        日記:結果、いい日だったかも

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        • とてもいい
          7本

        記事

          気高き犬との思い出

          中学生の頃、夜中によく家を飛び出し散歩をしていた。 環境の変化や、思春期特有のモヤモヤは歩けば歩くほど消えて無くなると思っていたのでそうしていたのだと思う。 しかし、一人ではなかった。ミニチュアシュナウザーの愛犬「のび太」と一緒に歩いていた。散歩が大好きな犬だったので、私が夜中に家を出ようとするとリードを口に咥えながら「(自分もいいすかっ?)」と近づいてくるちゃっかりとした犬だった。 私の歩幅に合わせ、テチテチッ!テチテチッ!と短い足を一所懸命動かして歩いていたのがとても

          気高き犬との思い出

          いつだって大切なのは、その気持ち

          小学生の頃、公園で遊んでいると友達が「今から丸い石、集めよッ!」と言い出したので3~4人でひたすら石を探す遊びをしていた。 すると、誰かが「ね〜!ちょっと来て〜!」と言ったので、私たちはいい石が見つかったのだと思ってその子の元に行くと、石ではなくボロボロのお守りが落ちていた。 「えーお守りじゃん!こわ〜い!」 「ボロボロじゃん!」 みんな、そのお守りを怖がった。確かに不気味だった。 人に踏まれたのか雨に打たれたのか、そのお守りはほぼ千切れ状態になっており、中に何かしら

          いつだって大切なのは、その気持ち

          打線を組む(教師編)

          先日、バキバキ童貞で有名な春とヒコーキのYouTubeで下記のような企画があったので観てみた。 学生の時にイヤだった先生で最強打線を組んでみたという内容なのだが、彼らの話すイヤだった先生の話を聞いて自分自身のイヤだった先生の話を思い出した。(動画は面白かった) という訳で、私も打線を組んでみようと思います。 ネットでよく見かける○○で打線を組んでみたの説明はこちらをご覧ください。 候補選手の紹介! 候補① 大コンパス(高校・数学) 体罰禁止の現代、間接的に体罰をす

          打線を組む(教師編)

          安心おじちゃん、永遠に。

          小学生の頃、「安心おじちゃん」と呼ばれているおじちゃんがいた。 その人はド田舎唯一の中華料理屋・宝◯軒の店主で引退後、店を息子に譲ってからは毎日”安心安全”と書かれた襷(たすき)をかけてほぼ毎日、町内を散歩していた。 正面から見ると安心の文字しか見えていなかったため、皆から「安心おじちゃん」と呼ばれていた。 「安心おじちゃん」のスペックは ・70歳後半で常に調理用白衣・ハチマキそして下駄スタイルだった ・桂ざこばにそっくりで数世代前のでかいメガネをかけていた ・町内ほぼ

          安心おじちゃん、永遠に。

          何かしましたでしょうか...(10万のアルバイト)

          私は学生時代に12時間10万円のアルバイトをしたことがある。 俗にいう苦学生だったので、いろんなアルバイトをしてきたのですが、そのおかげでいろんなエピソードがあり、今回はその中でも解決していない話を書きます。 私は学生時代にESS(英会話)サークルに所属していた。かなりゆるいサークルで活動内容はほぼ映画鑑賞だったので映画が好きな私としてはかなり相性が良かった。 サークルメンバーのほとんどは、私が在籍していた国際学部がほとんどだったのだが、ある日そのESSサークルに一人の

          何かしましたでしょうか...(10万のアルバイト)

          さらば、◯◯の事故物件よ

          18歳の頃に、"とにかく安い"という理由で事故物件に住んでいた。 大学から徒歩5分で、近くにはスーパーなのかコンビニなのかわからないが生活の全てを売っている謎マートもあった(後に私のバイト先になる) その事故物件は2階建で各階4部屋ずつ、合計8部屋ある築年数15~20年くらいのアパートだった。 しかし、1階の4部屋はすでに謎の新興宗教が借りていたので、学生への貸出は2階の4部屋のみだった。事故が起こった部屋は1K6畳の角部屋だった。 他の部屋は確か家賃35,000円?だっ

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          千円の価値/君たちはどう生きるか

          数年前、不動前近くのオフィスで働いていた頃に同僚のY先輩(40歳)から声をかけられた。 「さすらいさん、ちょっと今時間ある?」 Y先輩は一見すると好青年イケメンの部類に入るが、しばしばズレた発言をしたりするので顔の割にみんなからの評価が低かった。悪気がないのがわかるので、私は普通に接していた。 Y先輩の元に近づくと、「実は純粋にSさんと話したくて飲みに誘いたいんだよね。でも俺、既婚者だし下心ないとはいえ、誘いづらいから俺とSさんとさすらいさんの3人で飲めないかな?」

          千円の価値/君たちはどう生きるか

          デカくて、ふわふわしたもの

          数年前、会社勤めをしていたある日、いつも静かな職場が朝からザワついていた。 どうやらみんなで何かを囲っていて、見に行くと、こんな感じのデカくてふわふわしたものがオフィスに置いてあった。 な、なにこれ? その日は月曜日で、その前の金曜日の時点ではそんなもの無かったので土日の間に持ち込まれたことになる。 社員の様子を見るに、土日出勤したものは居らずみんながそのデカくてフワフワしたもの(以下、デカフワ)がなぜそこにあるのか分からなかった。 「これ、なんだろうね」 「てか

          デカくて、ふわふわしたもの

          聞き間違い、夏

          中学生の頃、ノリでソフトテニス部に入った。 小学生の頃の仲良かったメンツがテニス部に入るというので、あまり深く考えないで入部した。入ってから気づいたが、テニス部は中学校の中でも一番部活内容が厳しく、5年連続とかで中体連の団体優勝などをしていた。 入ってから後悔しまくったが、私の世代がちょうど6名だったこともあり、なんとなく辞めれなかった。(団体の最低出場人数が6名) また部活内容だけでなく、先輩後輩の関係が厳しく、下記のような謎のルールがあった。 ・先輩を見かけたら、

          聞き間違い、夏

          水槽の金魚と / 公立と私立

          高校で陸上部のマネージャーをしていた時の話。 陸上部は校内グラウンドだけでなく、近くの陸上競技場で部活動をすることもあり、他の部活より近隣の他校メンバーと交流する機会が多かった。 その交流の中でも特に ・進学高校(私が通っている刑務所みたいな恐ろしい学校) ・商業高校(みんなほのぼのしている、そろばんが速い) ・私立高校(イケメンばかりで、スポーツ推薦で他県からきた人が多い) この3校のチームは特に仲がよかった。 特に私立高校のチームはイケメンばかりということもあり

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          ミッションインポッシブル(夜中のカツ丼)

          学生の時に、3ヶ月ほどマレーシアに語学研修に行ったことがある。その年はISILによる日本人拘束事件が起こった年だったこともあり、参加希望者はとても少なかった。研修中は危ない場面や文化の違いに困惑することも多かったけど、結果的にマレーシアは私にとってとても思い入れの深い国となった。 3ヶ月の研修が終わって、帰国して半年ほど経ったある冬の日に、FBのメッセンジャーでその時世話になった学生から連絡が来た。 要約すると、「卒業する前に日本(大分県)に遊びに行きたい。でもお金がない

          ミッションインポッシブル(夜中のカツ丼)

          封じられしラップ...

          人間というのは不思議なもので、自己防衛として”忘れる”という能力が備わっている。私も辛かったことや、恥ずかしかったことは無意識に忘れている。 しかし、最近何がトリガーになったのかは分からないが、思い出した過去がある。 それは18歳の短大1年生だった頃に、26歳の塾講師をやっている男性と付き合っていたときに起こったことだ。 当時入っていたESSサークルの講師かなんかで大学に来ていて、何がきっかけで付き合ったのか思い出せないが告白されて付き合った。全盛期のいしだ壱成みたいな顔

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