安心おじちゃん、永遠に。


小学生の頃、「安心おじちゃん」と呼ばれているおじちゃんがいた。

その人はド田舎唯一の中華料理屋・宝◯軒の店主で引退後、店を息子に譲ってからは毎日”安心安全”と書かれた襷(たすき)をかけてほぼ毎日、町内を散歩していた。

正面から見ると安心の文字しか見えていなかったため、皆から「安心おじちゃん」と呼ばれていた。

「安心おじちゃん」のスペックは
・70歳後半で常に調理用白衣・ハチマキそして下駄スタイルだった
・桂ざこばにそっくりで数世代前のでかいメガネをかけていた
・町内ほぼ全ての家庭を把握しており、親の名前も覚えていた
(親世代が子供の頃は現役で調理場にいたので、親もよく知っていた)
・車で町内を移動すると必ず見かけていた
・下校時に事故が起こりそうな交差点で必ず旗振りをしていた
・見かけない時がないので、実は双子で行動しているなどといった
都市伝説が流れていた

私も登下校していると必ず会うので、会うたびに挨拶をしていた。
その度に優しい笑顔で「気をつけて帰りや!」と言っていた。

もはや町の風景の一部となっていた安心おじちゃんは、私が中学生に上がった頃に奥さん・子供たち、そしてたくさんの孫に囲まれて大往生の末、老衰で亡くなった。

そんな安心じいちゃんが亡くなった日、我が町ではある事件が起きた。

その日、学校帰りに家で宿題をしていると電話が鳴り父親が電話に出た。
(我が家はクリーニング屋で父が常に家にいた。)

父「え!宝◯軒のじいちゃんが!あぁ〜そうね〜…うんうん…」

なにやら安心じいちゃんの話をしていた。
しばらくすると、電話を終えた父が私のところにきて安心じいちゃんが亡くなったという話をしてくれた。

私は驚いたが「(まぁ年だったもんな〜)」と思い、悲しかったけど静かに受け入れた。

その亡くなった報告を受けた1時間後に、私の宿題を写すために近所に住む友達が遊びにきた。私はその子に「安心おじちゃん、亡くなったって。」と言った。

するとその子は驚いた様子で

「え!!!!嘘だ!!今さっきすれ違ったよ!!」と言ったのだ。

私は「(….えっ?)」と思った。そんなわけはないのだ。

友達に何度も確認したが、断固として認めないので私たちは少し険悪な感じになった。そして険悪なまま、真偽を確かめるためにその中華屋に向かった。

中華屋には忌中札が張ってあった。
やはり電話の通り、安心おじちゃんは本当に亡くなってしまっていたのだ。

実際に確認すると何とも言えない寂しさが込み上げてきた。

中華屋の前でしんみりしているとたくさんの人が集まりだし、みんながおばちゃん(安心おじちゃんの奥さん)に挨拶をしていた。通夜とお葬式を家でやるとのことで近所の人が手伝いに来ていたのだ。

私たちは邪魔にならないように、おばちゃんに軽く挨拶をして自宅に帰った。

次の日学校では、みんな安心おじちゃんの話をしていた。
しかし、おかしなことに昨日の友達と同じように安心おじちゃんを見かけたという人や、なんなら話までしたという生徒が複数存在していたのだ。

その中でも「絶対に亡くなっていない!」と豪語していた同級生のSくんという男の子がいた。

Sくん曰く、「だって、安心おじちゃん。昨日兄ちゃんの店にビデオ返し来たもん!」とのこと。

Sくんの兄はその町唯一のレンタルビデオ屋で働いており、なんと安心おじちゃんを接客したというのだ。
人違いではないか?という話も出たが、「ううん!エッチかビデオば滞納して延滞料金ば払っていかしたって、その話聞いて家族で笑ったもん!!」

「(安心おじちゃんが…エッチかビデオを…しかも延滞…)」

そんなこんなで一気にやれ死んでいないだの、幽霊だのとみんなが騒ぎ始めた。中学生にとっては大騒ぎすることなのだ。

その大騒ぎは担任の先生の剣幕で一気に静まったが、安心おじちゃんが亡くなったことは間違いないのでその話題もすぐに騒がれなくなった。

安心おじちゃんがいなくなった町は特に変わらなかったが、やはりそれまでは毎日見ていたのでうっすらと”話してはいないけど、何となく今日見た気がする。”という気持ちになった。

大人の中にも「昨日、宝◯軒のじいちゃんと話たで」という人もいたらしい。おそらく色んな人が”亡くなったはずの安心おじちゃんを見た”というのは、そういうことなのだろうと思った。

それから少し経って、安心おじちゃんの初七日が終わった頃、ある一枚の紙が回覧板に挟まっていた。

それは奥さんであるおばちゃんからの、初七日終わりの挨拶文だった。

うろ覚えだけど、こんなことが書いてあった。


ご町内の皆様

先週は主人の通夜・葬式におきましてご町内の皆様のご協力本当にありがとうございました。無事初七日を終えることができました。

一方で色んな方から、亡くなった日に主人と話した・見たというお話を伺います。主人の最後は私たち家族でしっかりと見届けさせていただきましたので、おそらくお見かけされたのは、ずっと散歩をしていた町内の最後の見回りをしていた主人かと思います。
長い間、店含めて主人と関わっていただいた皆様に本当に感謝しております。初七日の法要も終わりましたので、しっかり成仏してくれていると思いますので、これからも宜しくお願いいたします。

もっと色々書いてあったが、こんな感じだった。

安心おじちゃんは最後までこの町を歩いて見てまわり、天国に行ったのだ。

最近は防犯の為、あえて挨拶しなかったり登下校では名札を外したりするみたいですが、少し前には安心おじちゃんみたいな地域の見守り隊長みたいな人が色んなところにいたのにな〜と思いますね。物騒な世の中ですね。

ちなみにその中華屋は過去に「本日18時!お店に吉田拓郎ご来店!!!!」というでっかい張り紙をして実際には店内で吉田拓郎のライブDVDを流すというダルいことをやって、なぜか少し信じたうちの父(吉田拓郎の大ファン)を怒らせたという、かなりローカルな思い出もあります。

終わりです。

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