いつだって大切なのは、その気持ち
小学生の頃、公園で遊んでいると友達が「今から丸い石、集めよッ!」と言い出したので3~4人でひたすら石を探す遊びをしていた。
すると、誰かが「ね〜!ちょっと来て〜!」と言ったので、私たちはいい石が見つかったのだと思ってその子の元に行くと、石ではなくボロボロのお守りが落ちていた。
「えーお守りじゃん!こわ〜い!」
「ボロボロじゃん!」
みんな、そのお守りを怖がった。確かに不気味だった。
人に踏まれたのか雨に打たれたのか、そのお守りはほぼ千切れ状態になっており、中に何かしら厚紙のようなものが入っているのが分かった。
手で触るのは怖いので、足でちょんちょんっとお守りを触って裏返しにしても、ボロボロすぎてどこの神社のお守りかはわからなかった。
誰かが言った。
「ねぇ、お守りの中ってなんの入っとると?」
「ん〜お札やなか?」
みんな、お守りに興味津々である。
私は石探しの過集中タイムだったのでお守りを見ながら「(石…石…探そうよ…石…)」と思っていた。
私たちが円になってそのお守りを観察していたので、自然とその周りに別グループの友達が集まってきた。
その集まってきた中の一人に今回の主人公であるMちゃんがいた。
Mちゃんは明るく活発で男女共に人気があった。
そしてMちゃんは小学生でありながら般若心経を唱えることができるスーパー小学生だったのだ。
これまでも学校内で怪奇現象が起こると、
「私、般若心経全部言えるったい!!!!」と言って怖がる低学年の前でお経を唱え、みんなの心理的恐怖を拭い去っていた。
Mちゃんにことの経緯を説明すると、
「あ〜、これは。供養せんとね(キリッ 」と彼女は言った。
そして、そのお守りに向かって般若心経を唱え出し、みんなが「おお〜」となっていた。
私は「(般若心経ってナニ…?)」と思っていたけど、その「おお〜」にはとりあえず参加した。
一通り唱え終わったMちゃんが、くるっとこちらを向いて「みんなもう大丈夫だよ!!」と言った。
みんな、歓喜
無事、お守り騒動は終わり石探しが再開されるかと思ったら、ヤンチャな男子が「中ば見よーで!!(中を見てみよう)」と言い出した。
男子たちは「Mちゃんが供養したけん!中身ばみても大丈夫ったい!!」と大盛り上がりになっていた。
Mちゃんは「大丈夫と思うけど、お守りの中にはお経が書かれた紙が入っているだけだよ!」と言った。
でも、私たちは小学生。何か気になるものがあれば、たとえ「それは〇〇だよ」と教えられても自分で確かめたいのだ。
幸い?にもお守りはボロボロなので、すぐに中身を確認できる。
男子がお守りから中身を取り出すと厚紙2枚に挟まれた、折り畳まれたルーズリーフが出てきた。
一斉に「え………?」となったが、ゆっくりとその紙を開けていくと文字が書いてあり、手紙のようだった。
「手紙…?よね?….読めるかな…」
雨でところどころ滲んでおり、多少読みづらくはあるが、小学6年生なら何が書いてあるかくらいは読めそうだった。
その手紙には震えたような文字で「死ね」・「消えろ」・「家に火をつけてやる」・「人間のくず」・「ずっと忘れるな」・「家族万歳!」と言った強烈な文字で形成された恨みの文章が書いてあった。所々読めない文字はあったが、誰かが誰かにあげた呪いの手紙というのはわかった。
みんな、うわぁー!!!と叫びその手紙もお守りも地面に投げ捨てた。
私もゾッとして、石どころではなくなった。
男子はやべーよと騒ぎ(でもちょっと嬉しそう)、女子は本気で怖がっていたし、Mちゃんは「これは…幽霊とかじゃ…なかね…」と言っていた。
あまりにも騒ぎすぎたので、公園となりに住んでいるフェンス越しに飴とかをくれる万年肌着のおばちゃんが「どがんしたね!!!!(どうした!)」とフェンスを越えてきてくれた。
おばちゃんはそのお守りと手紙を見ると、フンッ!!とフェンス越しに投げ捨てお守りは見えなくなってしまった。
「忘れるったい!!!!!!!」と言っておばちゃんは家に戻った。
もうみんな疲れ果てて、石どころでは無くなったのでお開きにして家に帰ることになった。
私はMちゃんとYちゃんと一緒に帰っていたが、Yちゃんはとても怖かったらしく、帰り道ずっと泣いていた。それをMちゃんと二人で励ましながら帰った。
次の日、学校であったYちゃんはショボンとしており「怖くて眠れなかった…」と言いまた涙目になっていた。
みんなで励ましている中、Mちゃんが教室に入ってきて、Yちゃんに可愛い袋を渡した。
M「Yちゃん、これでもう大丈夫ばい!!!!」
その可愛い袋の中には、フェルトで作られたMちゃん特製のお守りが入っていた。恐らく昨日のYちゃんの怖がりようを見て夜に作ったのだろう。
(なんて、いい子なんだ….)
Mちゃんは優しい。その優しさにYちゃんも「Mちゃん、ありがとう!!」と笑顔になった。
このお守り騒動はMちゃんの般若心経に始まり、彼女の優しさで幕を閉じたのだ。
それからしばらくたち、その騒動もすっかり忘れ、Yちゃんのランドセルからもお守りが無くなった頃に席替えがあった。
私たちの席替えは、みんな同じ机のため、引き出しだけを各自で持ち出すスタイルだった。その席替え前に、引き出しの奥の掃除などをしていたら、Yちゃんの引き出しからMちゃんが作ったお守りが出てきた。(めちゃくちゃグシャッ!となっていた。)
Yちゃんが「あ、Mちゃんのお守り…」と少し気まずそうにしていた。そしてそのお守りも何度も引き出しプッシュをくらっていたのでフェルト部分のボンドが取れて中身が見えていた。
幸いにもその日はMちゃんが休みだったので、この状況を知らないが私たちは話の流れでその中身を見ることにした。
手作りのお守りの中には紙が入っており、誰かが「Mちゃんが作るお守りだから、お札とか入ってるんじゃない??」とか「いや、きっと般若心経とか書いてあるんよ!」など言い出した。
変な期待がのしかかっていたが、紙を開くとそこには…
と書いてあった….
あまりにも小学生すぎる手紙にみんな「なんだ…」となっていたが、般若心経が唱えられたとしても彼女は同級生。みんな同じ小学6年生なのだ。
いつだって大事なのは、誰を想う気持ちなのだ。結果的に、そのお守りがYちゃんに与えた安心感は確かにあったのだから。
昨日、何かと話題になっている映画「”それ”がいる森」を観てなぜかこの話を思い出した。
Mちゃん、なんていい子なんだ。Mちゃんの優しさに心が温かくなった。
どうしてこんな可愛らしい思い出を忘れていたのか。
でもこれからはこういうことの繰り返しなんだろうなと少しだけ寂しくなった。
ただそれと同時に、Mちゃんは般若心経を唱えながら十字架も切っていたけど、そこだけは子供ながらに(絶対にこれは指摘してはいけない…)と思って言わないでいたことも思い出した。これぞ、思い出の連鎖。
ちなみに過去に書いた下の記事で、お別れの会で歌う曲を決めた女の子がこのMちゃんでもあります。もしよかったらこちらも読んでみてください。
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