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短編小説『けふ九重ににほひぬるかな』

 駅前広場に来た俺は、待ち合わせ相手の少女に声を掛けた。
「悪い、八恵やえ遅くなった」
 八恵は膝下まで丈のある真っ白なロングコートと腰まである真っ黒な髪をなびかせて振り返り、ゆっくりと首を振る。
「ぼおっとするの、好きだから」
 薄ピンク色の唇からは可愛らしく、それでいて通る声が発せられ、長いまつ毛の瞼が開くと黒曜のような瞳が窺えた。
 肌は陶器のように真っ白だが、触れば大福のようにもちっとしている柔肌だと俺は知っている。本当に俺と同じ血が流れているとは思えないくらいの美少女だが、確かに俺の妹だ。
 八恵は一歩こちらに歩み寄ると、
「お兄ちゃん。二年? 三年? ぶりだね? 大きくなったねぇ」
 顔を見上げ、自分の頭に置いた華奢な手を水平に動かして俺の胸に当てた。
「それはこっちのセリフだ」
「えへへ、わたしも大きくなった?」
 俺が上京したとき八恵は中一で、四月からは高校生。大きくならない訳がない。
 訳がない、筈で。
 でも。
「やっぱり、あんまり変わってない、気がする、けど。いやでもそんな筈は?」
「か、変わったもん!」
「ええっと、どのくらい?」
「いt、……二センチ」
 一と言いかけてから目を逸らし、唇も尖らせた。
「相変わらず嘘が下手だな、成長止まったか?」
「成長はしてるよ! 止まってない!」
「いやいや、小さくても小動物みたいで可愛いぞ」
 頭に手を置くと八恵は俺の手首を掴んできた。そういえば昔こうしたときは背が縮むと怒られていたな。
 手を除けようとしたとき、八恵は俺の手を左右に動かした。
「撫でて」
「え?」
「自分より背の高い人に撫でられると背が伸びるってネットでみた」
「うん、それ絶対嘘だから」
「ええ!?」
 八恵の手は力なく落ちて行き、肩を落として項垂れた。
 そして上目使いに俺を見ると、
「みっちゃんが撫でてくれたのは?」
「友達か? まあ、気を使ってくれたんだろな」
「うぅ」
「やっぱ成長していない」
「成長は、してるもん」
「へえ、どこが?」
 尋ねると八恵は更に一歩近づき、しゃがんで、と服を引っ張った。望み通りしゃがんでやると耳打ちをしてきた。
「服のサイズは変わらないけど、ブラのサイズは一つ上がったもん」
「お、おう。そうか」
 八恵の顔を見ると、真っ白なはずの頬は少し朱に染まっていた。
 恥ずかしいなら言わなければいいのにと思いつつ、俺も煽り過ぎたと反省した。
「さ、さあ。そろそろ家に行こう!」
「う、うん!」
 家のマンションへ足を向けると、八恵は俺の左側に並び、手を繋いできた。
 昔から、一緒に歩くときはこうしている。

 玄関にはこれから最低三年は一緒に暮らす八恵の荷物が詰まった段ボールが積んである。そう、八恵が東京まで来たのはほかでもない。俺の家から高校に通うためである。
 それらの荷物を避けながらリビングまで進みソファに腰を下ろした。
「お兄ちゃん。改めてよろしくね」
「おう。新生活で慣れない事も多いだろうけど、なんでも相談してくれ」
「ありがと」
「あ、そうだ。落ち着いたら卒業祝い兼進学祝いを買いに行こう。東京の方がいろんなものがあるからって父さんからお金貰ってるし。なにがいい? なんでもいいぞ?」
 左横に座っている八恵はニコリと笑い、
「うん、ありがとう。でも」
 と言い淀んだ。
「どうした? 服でもゲームでもいいし、多少高くたっていいんだぞ?」
「考えたんだけど、わたし、やっぱりいいよ。だって生活費もお父さんに出してもらってるし、お兄ちゃんにもこれから三年はお世話になるんだし。だからそのためのお金に回して?」
「いやでも、それは」
 八恵の生活費と、お祝いとはそれぞれ独立した別のものだ。別に生活費から捻出するわけではない。それにお祝いというものは、することに意味があるものだ。だがそれをどう言葉にしたらいいか、うまくまとまらない。
 どう伝えるか悩んでいると、八恵の軽やかな声が聞こえた。
「その代わりに、欲しいものがあるんだ。お金がかからないもので」
「遠慮はしなくていいんだぞ?」
「ううん。遠慮じゃなくて、これはずっと欲しいって思ってたものだから」
「そうか?」
 八恵の顔を見ても、目は逸らさないし口も曲がっていない。
 嘘ではないらしい。
「なら。八恵が本当に欲しいものがあるなら、そのほうがいいな」
「うん」
「それで、なにが欲しいんだ? お金がかからないっていってたけど」
 八恵は膝立ちになり俺の左腕に身体を密着させた。服越しに感じた八恵の体温は温かいが、俺の耳に被せて来た小さな手は少し冷たく、首に触れた髪がこそばゆかった。

「お兄ちゃんの――が欲しい」

 驚いて思わず目を見開いてしまった。
 まさか八恵がそんなものを欲しがっていたとは。
 でも。
「俺はいいけど、八恵は本当に、その。いいのか?」
「うん! お兄ちゃんはお兄ちゃんでわたしは妹だから無理だと思ってたけど、やっぱり、小さい頃からずっと欲しいって思ってたから」
「そうか。八恵がそこまでいうなら」
 八恵がこれだけおねだりするのだから、最高に悦ばせてやらないと男が廃るというものだ。
「じゃあ、今日は八恵も荷物の片付けがあるし、俺も準備があるからそうだな、明日の夜俺の部屋にきてくれ」
「うんっ」
 頷いた八恵の瞳には期待が込められていた。
 そして翌日の夜、俺は八恵の望みを叶えるのだった。

     ※

 それにしても八恵が欲しがっていたものには驚かされた。
 まさか八恵が、
「お兄ちゃんのおさがりが欲しい」
 と言ってくるとは。
 確かに考えてみれば、服にしても鞄にしても文房具にしても八恵におさがりが回ったことはない。それは、俺が男で八恵は女で、体のサイズも全然違い、好みの色も違ったからだし、なにより、一般論として兄のおさがりを欲しがる妹なんていないからだ。
 だが別に、八恵を一般論に収める理由もない。
 八恵が欲しがっているものを渡す。
 お祝いとしてはそれ以上のものは無い。
 俺が八恵に選んだのは、ほぼ使わずにインテリアになっていたスマートウォッチだ。
 しかし、ただ渡すだけでは味気ないのでベルトにピンクのマニキュアで桜の花びらを描き入れて八恵へのプレゼントは完成した。
「ありがとう。こういう、お兄ちゃんが使わなくなったものを貰うのに憧れてたんだぁ。それにベルトのこれ。えへへ。小さい頃、よくお兄ちゃんがわたしの爪に描いてくれたよね。お兄ちゃんも覚えてたんだ。うれしいっ!」
 八恵の笑顔は満開の桜のようで、八恵のことを一生守ってやりたいと思わされる。この桜が永遠に俺の傍だけで咲いてくれることを願いながら、八恵の頭を撫でてやった。
「背が縮む」
 と文句を言われたが、八恵が俺の手を払い除けることはなかった。

<けふ九重ににほひぬるかな・終>

けふ九重ににほひぬるかな
著者:陸離なぎ

第1弾『荷解きは台風に邪魔されて』著:雨隠日鳥

第2弾『桜と彼女』著:はるはる


今回の三題噺のお題
・スマートウォッチ(腕時計)
・桜
・新生活


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