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私が夫と夫婦になるまで②

 「せっかくだから写真撮りなよ」
 にっこり笑いながら、彩さんはそう言った。彩さんとは、陶芸家の林彩子さんのことだ。私がずっとお手伝いをしていたアトリエの作家さんで、20代のほぼすべてを彩さんと共に過ごした。私がずっとべた凪だったことも、だから当然知っている。

 彩さんに促されるまま、私たちは二人並んで写真を撮った。(その写真を見返す度に笑ってしまうのだが、夫の仏頂面と言ったらない。会いたいと思ってた子に会えた喜びが微塵も感じられないのだ。)
 「連絡先交換しておかないと、この写真送れなくない?」と彩さん。そんなナイスすぎるアシストのおかげで、私たちはLINEを交換することになった。
 こんなふうに、近くにいる人のおかげで、関係性や物事がぐっと前に進むことはある。恋愛に限った話ではなくて、例えば「こういう仕事をしてみたいなぁ」と考えてるとき、周りの人に「今私はこういう仕事に興味があるんだ」と話しておけば、誰かがその仕事への繋がりを作ってくれることも、この世の中ざらにあるように思う。自分一人では取りこぼしていたチャンスも、周りの誰かがキャッチしたとき、「あいつこれ欲しいって言ってたよな」とその人が思ってくれれば、こちらへ投げてくれるかもしれない。
 私は常日頃「べた凪を脱出したい」「便りが欲しい」(前回の投稿をご参照ください)とさんざっぱら言っていた。だから彩さんはきっと、「これチャンス!」と思い、私にパスをしてくれたんだと思う。
 そんなナイスアシストのおかげで、私たちはその日から連絡をとるようになった。再会したその日から結婚するまで、1日たりとも連絡を取らなかった日はない。

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 「懐かしい話もまだしたりないから、飲みにでも行こう!」と誘ったのは私の方だった。それから割とすぐに予定が合い、食事に行くことになった。
 
私「どこにする?」
夫「地元のおすすめとか、なんかある?」
私「私が好きなのは○○とかかな。まぁまぁ美味しいよ」
夫「聞いたことある!そこ行ってみたい」
私「予約したー!」

 「そこ行ってみたい」という返信から約10分後には予約完了の返信をした。あまりの早さに夫はびっくりしていたけど、こういうのはスピード感が大事だとどこかで習った気がしてたので実践してみたのだ。
 普段は、全く知らない人と電話口で話すのがとても苦手なため、お店の予約などは結構な苦手な部類。だけど頭の中に太字で「スピード感」とずっと点滅していたため、結果、私はスムーズに初デートのための時間と場所を確保することができた。

 そして私はこの初デートにおいて、「この人と家族になるかもしれない」と感じる出来事を体験することになった。

 料理もお酒もほどよく種類があり、ほどよくガヤガヤとした店内。二人ともそれほどお酒が強くないから、美味しいものをたくさん食べようということで、メニューを見ていたときだった。
 「おかず3種盛り」というメニューが目に止まった。黒板に書かれたおかずから好きなものを3品選ぶ。よくあるけどこういうのってワクワクするよね、っていうやつ。私たちもそれを頼むことにした。
 一つずつ、まずは互いが食べたいものを言った。
 南蛮漬け。サツマイモのサラダ。
 うんうん、どちらも美味しそうだね。では最後の一品。それを決めるとき、私はちょっと緊張していた。自分が食べたいものを言うべきか、相手が食べたいものを聞くべきか。むむむ、と黙って黒板を見つめていたとき、夫はこう言った。

 「酸っぱいと甘いだから、しょっぱいにする?」

 どきっ・・・!!!!

 あえて文字にするなら「どきっ」ということになるのだろう。
 目が大きく開いて、頭頂部がスコンとするような感覚だった。
 なんでこんな感覚になったのかというと、私の母が常々「甘いしょっぱい酸っぱいの3つを作ればなんとかなる」と言いながら料理をしていたことが影響している。だから私の料理脳も自然とそうなっていて、お弁当を作るときやメニューで迷ったときは、この「甘塩酸」で足りないものを選びがちになるのだ。

 私の目の前にいるこの人、今、私と同じ方法でメニュー決めようとした。

 文章にして書いてみると「なんて単純なんだ」「全然大したことないじゃないか」と思われるかもしれないけど、私は夫が発したこの「酸っぱいと甘いだから、しょっぱいにする?」発言で、ほぼ何かを確信してしまったのだ。
 夫が何気なく言ったこの一言が、私にとってはすごく大きな、「この人とずっと一緒にいたい」と思ってしまうほどに、とてもとても、大きな一言だったのだ。

***

 ずっとべた凪で、ろくに恋愛経験も積んでいない私が彼とこうして出会い結婚できたのは、もちろん彼のおかげだし、アシストしてくれた彩さんのおかげ、周りの友人たちのおかげだと思っています。
 でも、「どきっ!」と感じることができたのは、自分の感覚をいつも大切にしてきた自分自身のおかげだと思っています。
 季節の匂いを嗅ぎ分けたり、嬉しいと感じた言葉やその場面の色味を忘れないように噛み締めたり。何を綺麗と感じるのか、何を悲しいと感じるのか。喜怒哀楽はもちろんだけど、それに付随するさまざまな感覚。色んなことに敏感で、でもその感覚を大切にしたいと思う自分を守り、向き合ってきたからこそ、私は夫の発言に「どきっ」とする自分に気付くことができ、信じることができたのだと思います。
 いわゆる「曇りなき眼で見定め、決める」というアシタカイズム(こんな言葉があるかは知りません今勝手に作りました)も私の中には確実にあって、アシタカのいう「曇りなき眼」というのは、目に見えるものだけを見る眼のことではない、と私は解釈しています。自分が得るすべての感覚を敏感に捉え、それに向き合わなかったり、なかったことにしたり、嘘をついたりしなければ、進むべき方向は決まる、正しい道へ導かれるということなのではないかと、私はアシタカを見て思ったのです(アシタカが好きです)。
 私が夫の発言を受けたときに感じた「どきっ」という感覚、それを敏感に捉えた結果、私は今の道に立っているのだと思います。もののけ姫が観たくなってきました。
 今回はこのあたりでおしまいにします。続きはまた次回。
 読んでくださってありがとうございます。
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