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私が夫と夫婦になるまで③

 「喜ぶことをしてあげたいと思ったから」
 そんな素直で、素敵な誘い文句ありますか。

 何度か食事に行ったりデートを重ねて、私の誕生日が近付いてきた頃。
 その日は二人でサーカスを観に行った。面白いとの噂を聞きつけた私は、絶対行ってみたい!と思い夫を誘ったのだ。生まれて初めてのサーカスは、舞台やショーを観ると細胞が踊り出すDNAを持っている私からしたら、もう沸騰寸前の夢世界。上演中も「すごい!すごい!」を繰り返し、興奮しっぱなしだった。
 そんな私とは対照的に、どんなときも飄々としている夫。小さな「おー」とか「わー」とかが隣から聞こえてくるようなこないような。終始そんなテンションだった彼の隣で「私、はしゃぎすぎかな…」と思ったりもしたけれど、DNAがそうさせるからどうしようもない。
 終演後、意外と夫も興奮して楽しんでいたことがわかり「私とは違う形で感情を消化するタイプの人なんだ」と感じたことをよく覚えている。そしてこのとき、私がわかりやすいほどに感情表現することを、夫は「とても良い」と思ってくれていることも知った。それは私にとって、トラウマがひとつ消えるほどの救いになった。

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 昔、ある男性と食事に行ったとき「表情がうるさい」と言われたことがあった。
 どれを食べても本当に美味しくて、そして彼との食事が嬉しかったから「美味しい!」「この味すごいね!」と気持ちのまま口に出し、それに伴ってたぶんいつも以上に表情筋が動いていたのかもしれない。
 彼にはそれがうるさく映ったようだった。
 今の私ならば、そんなことを言われたって「貴方は私の良さに気付けなかったのね、それじゃさよなら☆」とウィンクのひとつでも飛ばして華麗にグッバイするんだろうけど、あのときの私はそれがグサッと刺さってしまい、ひどく傷付いた。私から喜怒哀楽の豊かさを取ったら何も残らないのに、それを否定された気がしたから。私はその頃からか「好きな人には、自分の感じたことを伝えたりしないほうが良いんだ」と、間違った考えを持つようになってしまった。

 だから夫が「俺とは違って、そうやって素直に感情表現できるところが素敵だと思う」と伝えてくれたことに、とても感謝している。私は夫のことを「この人は、私を私のままで居させてくれる人だ」と思うようになった。それは同時に、彼に対する感情が「恋人」ではなく「家族」に近いものであることも気付かせた。
 結婚した今も、嬉しいときは身体を揺らし、悲しいときは声をあげて泣いている。ついこの前「私のどこを良いと思ったの?」と質問したとき、「感情表現が豊かなところ」という言葉が最初に出てきた。これからも、私は私のままで居続けようと思った。今の世の中では少し難しくなってしまったかもしれないけれど、いつかまた必ず、夫とサーカスを観に行きたいと思っている。

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(最後に皆さんステージに登場。私はもう口があんぐりの状態でした)


 その日の帰り、夜になったので夕飯も一緒に食べて帰ることになった。
 食事中、突然夫に「もうすぐ誕生日だよね」と言われた。そして続けて「誕生日の日さ、ディズニーランド、一緒に行かない?」と夢の国へのお誘いを受けたのだ。
 サーカスで沸騰する私はもちろんディズニーランド&シーなんていうエンターテインメントの塊のような世界は大好物だ。何度訪れても完璧な世界。あの場所の何が良いって、道でスキップしてもツーステップしても誰も変な目で見ないところ。だってみんな変なカチューシャ着けて楽しんでるんだもの、スキップくらいじゃ誰も驚かないし、むしろハイタッチでもしましょうよという世界。素敵世界。
 すぐに「え!行きたい!」と答えたものの、このとき私たちはまだ「付き合いましょう」という言葉を交わしていなかった。大人なんだから、そんなこと言わなくてもわかるでしょ、という始まり方があるのは知っていたけれど、私はちゃんと確かめたかったのだ。

「男性と二人でディズニーランドに行くというのは、私にとってすごく特別なことなんだけど、一体どういうつもりでしょうか?」

 我ながら可愛げのない聞き方だったと思うが、これが本音だったので仕方がない。
 夫は、誕生日を一緒にお祝いしたいと思っていること、一番喜ぶことをしてあげたいと思ってくれていたこと、それが何か一生懸命考えてくれていたこと、私が喜んでるところを見たいと思ってくれていたこと…。そういう、どれもが宝物のような嬉しい気持ちを伝えてくれて(今思えばきっと、あのとき夫はすごく照れていたんだと思う)、最後に「この気持ちをわかってください…」と絞り出すように言ってくれた。私はそんな彼がとても、とても愛おしく見え、「わかりました」と笑顔全開で返事をしたのだ。

***

 その日から私たちはお付き合いという形になったのですが、先述したとおり私は、早い段階から夫に対して「恋人ではなく、家族のような感覚」を抱いていました。それは、前に付き合ったあの人には抱かなかった、明らかに違う感覚でした。
 あの人との間にあった嫌なものが夫との間にはなく、あの人との間になかった幸せなことが夫との間にはありました。ドキドキしたりキュンキュンすることは少なくても、ずっと温かくて心地良い、私が私のままで居られるこの場所をずっと守りたい、という気持ちがすごく強かったのです。
 恋愛の延長線上に結婚があるとか、恋人と夫婦は別とか、そういうトークテーマで話したことがある人は少なくないと思います。私の場合は、恋愛の延長線上に結婚はなく、恋人と夫婦は別だな、という感想です。どちらが正しいということはなくて、当たり前に人それぞれ。みなさんはどうですか。
 あのときは「辛くて悲しい経験なんてしないほうがよかった」と後悔もしましたが、過去の経験があったからこそ、夫の素敵なところや自分の感情の違いに気付くことができたんだと思います。そうじゃなかったらきっと、私は夫の優しさや可愛さ、その他いろんなところが見えないままお別れしてたかもしれないし、自分らしく居続けることができないままだったかもしれない。どんな道でも、振り返ればなるようになっている、ということなのかもしれませんね。
 

 なんだかも、毎日少しずつ、どなた様かが読んでくださっている通知が届き、嬉しい限りです。私が夫と夫婦になるまでの記録、あともう少しだけお付き合いください。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。皆様の♡、確実に糧となっております。


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