摂食障害だった10年間をざっくりまとめました
わたしは17歳のころから約10年間、摂食障害でした。
症状としては、拒食症→過食嘔吐です。
途中から適応障害・うつ病もプラスされて、ほんとにギリギリ動いてるみたいな生活をしていました。
そして27歳くらいに自力で治って、そこからは好きなものを食べても太らない人生をおくっています。
ここでは、その頃の状態や、当時考えていたこと、参考にした本などを、リアルな記録として残しておきます。
そもそも摂食障害ってなに?という人は、こちらもあわせてどうぞ。
◆摂食障害のはじまりは、高校時代の拒食から
私が初めて、自分は摂食障害かも?と自覚したのは、19歳のころです。
過食嘔吐がやめられなくなって、「これって、おかしいのかも…」と検索したのがはじまりでした。
ですが、じつはその前から予兆はありました。
高2のとき、好きだった人に彼女ができて、それがショックで37kgまで痩せたんです。
その時は、胸はやせずに細いというスタイルを保てていたので、周りに「細い」「いいなぁ」と言われることがうれしかったです。
また、食べないことで心配してもらえる、注目してもらえる、という気持ちもありました。
ですが、このときに悪化しなかったのは、友達が「それじゃヤバいよ!」と毎週のようにパフェやご飯など、遊びに誘ってくれたのが大きかったと思います。
この頃は友達と部活に熱中したり、好きなアーティストのライブに行ったり、活動的な毎日を過ごしていました。
◆太りたくない気持ちから過食嘔吐に
過食嘔吐が始まったのは、大学1年生の冬でした。
実家を出て一人暮らしをはじめ、交友関係も変わって、美味しいものをたくさん食べる機会がふえました。
そんな中、最初に吐いたのは、『これ以上太りたくない』という軽い気持ちからでした。
飲み会のあと、午前4時ころでした。
無性にアイスとお菓子が食べたくなり、コンビニに買いに行って。食べたあと、急に怖くなって、トイレで口に指を入れて吐きました。
どれだけ食べても、吸収されなければリセットできる。
お酒も抜けるし、太らないし、いいことばっかり!!
しかし、イベントや外食のたびに吐き続けていると、いつのまにかそれが普通になってしまって。
いつしか、友達から「けっこう食べてるのに、やせてていいな~」って言われるのが、快感になるようになりました。
◆過食嘔吐の回数がどんどん増えていった
さらに、学校やバイトが終わったあとや、楽しく飲んで帰るときも、過食材を買って帰るのが日課になっていました。
「なんかおかしい」「私大丈夫??」と思いながらも、やめられなくなっていたのです。
休みの日は、ほぼ一日中過食嘔吐していました。
食べて、
吐いて、
ネットして、
ほんと何やってんだろ状態。
それでも表向きは、元気で活動的なイメージを持たれていたようです。
サークルをかけもちしたり、友達と旅行したり、彼氏ともいい感じだったり。でもどれも、終わるとドッと疲れていました。
この頃から、周りからの評価と、本当の自分との差に、いつも苦しむようになっていました…。
◆やめられない過食嘔吐、そして就職
大学を卒業して、初めての就職は、エステに決まりました。
こちらの記事でも少しふれていますが、大学では栄養士の資格をとったんです。
栄養士になったのは、カロリーのことでもう悩みたくない、人に言っても恥ずかしくない資格、親にOKをもらえる…そんな理由からでした。
ちなみに就活中も、ほぼ週4~5回くらい過食や過食嘔吐はしていました。
もちろん、お祈りメールのたびに過食嘔吐はしたし、過食で行けなかった面接や、ドタキャンした説明会などもありました…。
そして、摂食障害のことはもちろん隠して、内定を頂きました。
しかし、このあと私は、うつ病を発症することになります。
一言でいえば「女の職場と合わなかった」んですけど、今思えば他にもいろいろありました。
配属先が遠く、片道2時間かかるので、帰るのはいつも日付が変わる頃。
早く寝た方がいいってわかっているのに、毎晩食べて吐くのはやめられなくて、肌も心もボロボロでした。
◆うつ病で退職。心も身体も限界に
働き出して4ヵ月目には、ついに希死念慮がでてくるようになりました。
消えたい。
もう全部やめて、投げ出したい。
そんな時、ちょうど母から電話がありました。
今思えば、たぶん『母のカン』ってやつです。そこで、母に話をして、仕事をやめて実家に帰ることにしました。
この時は、摂食障害のことは親には言わず、あくまで仕事が原因のうつ(適応障害)、ってことにしてました。
うつの時は食欲なかったし、過食嘔吐症状はなかったので。
結局、そこで甘えられたのが良かったのか、3ヶ月ぐらいでうつ症状は回復したため、また家を出ました。
◆再発、なかなか治らない過食嘔吐。
しかし、家を出ると、また過食嘔吐は再発。
家を出てからは、当時の彼の家に転がり込んで、パートのかけもちや派遣の仕事をして暮らしていました。
この頃は、うつ病の薬を飲みながら働き、そして過食嘔吐もやめられずにいました。
ちなみにその彼にも、過食嘔吐のことは隠し通していました。
このままじゃいけないと思って、いくつかの精神科でカウンセリングを受けたりもしましたが、結果は変わらず。
もう一生治らないのかな……とあきらめていましたが、
つぎにお話する『ある出来事』がきっかけでいろいろな本を読み、行動や考え方を変えていったら、なんと、5ヵ月くらいで過食嘔吐はなくなりました。
◆治そう!と決意したきっかけはカードローン
私が「本気で治そう」と決意したきっかけは、クレジットのカードローンに手を出したことです。
過食嘔吐って、めっちゃお金かかりますよね。私は一回あたり1,000~3,000円、毎月5万円くらいでした。
ある時、本当にお金が足りなくなって、でも食べずにいられなくなって、深夜のATMで一万円を借りて、過食嘔吐しました。
そこで、「このままじゃ、きっといつか払えなくなって、親にバレる。それだけはイヤだ」って強く思ったんです。
すでにどん底の自覚はあったけど、仕事も何やっても続かなくて、生理もロクになくて、女としても終わってて、生きてるだけで申し訳なくて、……でも、このまま20代が終わるのはイヤだなって思ったんです。
このとき、私は26歳の秋でした。数ヶ月後には27歳。
30歳になる頃には、マトモな人生を送っていたい!!
あと、絶対に、親にはバレたくない。
この強い気持ちが、私の行動を変えていきました。
◆私が摂食障害を治すためにしたこと
その日から、私は治るためなら何でもしてやる!って考えに変わりました。
本を買うお金もなかったので、立ち読みで、摂食障害に関する本を読みあさりました。
そして行きついたのが、『対人関係療法』の本や、自己肯定感に関する本です。
(私が当時、いちばんよく読んだ本です)
いろいろな本を読むことで、私が摂食障害になったそもそもの原因が、
・人を頼れない
・完璧主義
・自己肯定感が低い
・人の目や評価を過剰に気にしてしまう
このあたりにあることを実感しました。
そして、なにか悩みがあったりモヤモヤするたびに、人付き合いや考え方についての本を読み、その問題を一つずつ解決していきました。
当時はよくわかってなかったんですが、じつはこれらは「親との関係」が大きくかかわっています。どれも、育ちの中で学習してきたことなんですよね。
また、幸いにも私は管理栄養士だったので、何をどれくらい食べたらいいか、バランスの良い食事とは何か、自分でわかっていました。
ご飯は茶碗1杯ぶん食べてよし、
ケーキやラーメンも食べてよし、
野菜は無制限に。
栄養学に基づいた食事と、自分の本心を見つけて、それを満たしてあげること。
『からだの栄養』と『ココロの栄養』この2つをしっかりとることで、自然と過食嘔吐の回数はへっていきました。
一応、治るまでに5ヵ月かかったとしていますが、本当はもっと早かったかもしれません。
カードローン事件が10月で、次の年の2月には、すでに友達と旅行に行き、何でもおいしく食べられるようになっていたので。
8年間の過食嘔吐の苦しみは、たった5ヵ月できれいさっぱりなくなりました。
(そのあとも何回かゆり戻しはありましたが、食べ過ぎたときも「吐くのしんどいからいいや…」となったり、「なにが私はイヤだったのか、考えるきっかけにしよう」ととらえていました。)
◆あとがき
今になって思うことは、「食べ物は、本当の問題じゃない」ってことです。
もちろん辛い真っただ中にいるときは、何を食べたらいいか、食べたら太るか太らないかばっかり考えちゃうけど。
本質はそこじゃなくて、『自分や、周りの人に対するかたよった考え方や、思いこみ』です。
人の悩みは、ほぼすべてが人間関係です。
精神科医の水島広子先生の「対人関係療法」が、摂食障害に一定の効果があるように。
自分や、周りの人に対する認識(思いこみ)をかえていくことが、いちばんココロが楽になる方法です。
摂食障害にかぎらず、水島先生の本はほんとうにやさしいので、気になるものがあればぜひ手に取ってみてくださいね。
あなたが、ありのままの自分を取り戻せる日を願っています!
↑生きてることへの罪悪感を持ち続けていたお話も、よかったらどうぞ。
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