#54 声が枯れるまで、沈黙を語ろう
先週の月曜日にダルムシュタット工科大学での正式勤務が始まりましたが、第一週は各種事務手続きやPC関係の設定でほぼ終わってしまいました。今週から徐々に担当する研究について話し始めています。25年前のオーストラリア留学中に勉強していた理論に近いことを、機が熟しつつある AI 技術で実現しようとする研究で、またまた昔と未来がつながりました。
フィンランドで学んだこと
先に何本か投稿したように、勤務開始に先立つ8月最終週は、フィンランドで AI 研究のシンポジウム EDS2023 に出席しました。ウェブ上に公開された写真はここに載せても問題ないと思うので、引用しますね。
約150人の AI 研究者の卵が約50カ国から参加したのですが、毎朝のセッションが始まる前やランチの時間、終わった後街に繰り出した時、とにかくみんな「ひたすら話す」のです。
話したい内容が多過ぎて、英語の上手下手が気にならなくなってしまう感覚でした。150人が一斉に話すので、すごい音量!目の前にいる人にも怒鳴るように話さなければ声が届きません。「効率よく響く声を出す技術が必須です」と日本で所属していた研究室に書き送りました。一週間で英語の発声方法が少し変わったように思います。
日本に対する関心は高い
日本からの参加者は結局僕だけだったので、自然と日本事情についてひたすら聞かれます。
質問はどんどん抽象的、観念的になっていき、明快な言葉で答えることが難しくなっていきます。例えば、「日本は残業が多いと聞くけど、それは会社から強制されるのか?あるいはそんなに人が足りていないのか?」と聞かれて、「強制されてはいないが、定時で帰りづらい雰囲気がある」などと答えてしまうと、ほぼ必ず「雰囲気って何!」となります。
日本では沈黙は語り、金となるが……
日本人なら沈黙に含みを持たせた会話を成立させることができます。例えば、
こんな感じです。ここで、Bさんの言う「いろいろ」の内容をAさんは具体的には理解していませんが、それでも「新しい会社は、気に入っているけど、いろいろ慣れないことや納得できないこともあるから、手放しでは喜べない」状態であることを共有できます。そして、こういうコミュニケーションはとても日本的で、韓国で生まれ育った人とは多少、中国・台湾・香港の人ともごくわずか共有できるものの、そのエリアから出てしまうとこの会話はまず成立しません。ほぼ間違いなく、
と聞かれます。ヨーロッパ人相手では沈黙は文字通り沈黙で、何も語りません。こうなると一気に、「沈黙で語れる日本語が、日本文化がやっぱりいい!」というモードに入ってしまいます。海外在住の多くの日本人がこの感情を一度は経験しているのではないでしょうか。
逃げるは恥ではないが、役にも立たない
オーストラリア留学時代は、周囲に日本人が多かったこともあり、ここで逃げていたように思います。「やっぱり暗黙の了解で分かり合える日本人同士っていいよね」と盛り上がる「留学生あるある」です。しかし残念ながら今回は日本人は僕一人です。
僕はやはり、上に書いたような日本人的な「沈黙で語る」「明示しないコミュニケーション」は対人関係の中での共感ツールとして有効だと考えています。そしてそのことをヨーロッパの人にも分かって欲しいと思っています。
相手に何かを説明するには、一旦相手の土俵に乗らなければ始まりません。フィンランドからの帰りの飛行機の中で決心しました。逆説的ですが、沈黙の価値を理解してもらうには、言葉を尽くしてその価値を説明するしかありません。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🎙️
(2023年9月13日)
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