#114 「猫のいないニヤニヤ」:僕が教わった英語の先生(その3)
前回のシリーズ第2弾までで、高校卒業まで進みました。今回と次回で、大学以降に出会った先生方をご紹介したいと思います。三人目の先生は、大学院修士でご指導いただいた、英語学者で筑波大学名誉教授の安井 泉先生です。
三人目:大学院修士3年間 安井 泉先生(筑波大学)
アウトサイダーだった自分
英語の先生になる人が、大学で何を勉強するかというと、時代によってその内訳に多少移り変わりがあるにせよ、ほとんどが「英米文学」「英語学」「英語教育学」のどれかになります。「英米文学」では英語で書かれた小説や詩の研究を、「英語学」では音声や文法を、「英語教育学」では文字通り指導法や、あるいは人間が外国語をどのように習得するかという「第二言語習得論」などを研究します。さて、僕はどのグループにいたと思いますか?
実は、どこにもいませんでした。大学へは心理学専攻で入ったのです。周囲が心理学の実験などを始めた時に何か違和感を感じて、「自分はやっぱり英語に関わることがやりたい」と思い、大学3年生から英語を専門にすべく進路変更しました。大学4年生の時にはなんと週16コマ!も授業を詰め込んで、英語専攻の大学1年生の中に混ざって勉強しました。無事大学院入試に合格し、英語教育専攻として修士課程へ進みましたが、修士では1学年定員が10人のところ、僕以外は全員正統派の「英文科出身者」だったのを覚えています。
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指導教官になってくださったのは、英語学、言語文化論がご専門の安井 泉先生でした。大学院なので、英語そのものを教えていただく、あるいは勉強法を教えていただくということではありませんでしたが、言うならば人生の指針を与えていただいたように思います。
大学卒業までは遠回りせずストレートに進んだので、大学院へは22歳で入学しました。その後一年間、オーストラリアへ交換留学生として留学したのですが、二年しかない大学院修士で一年間交換留学をしながら単位を揃え、修士論文も書きあげるのはなかなか難しく、一年伸びることになりました。さらに、交換留学から帰ってきたタイミングで体調を崩してしまい、さらに一年留年しました。飲み会などで「なぜ二年遅いの?」と聞かれると「いちりゅういちりゅう」=「一年留学、一年留年」と茶化していました。
二十五歳の恥は掻き捨て
仲間が修了して英語教師となっていった後二年間残留したわけですが、「人に遅れて恥ずかしい、情けない」と元気がなかった僕に、先生は、「『旅の恥は掻き捨て』と言うけど、『二十五歳の恥は掻き捨て』だよ」と慰めてくださいました。今でも何か辛い時には、必ずこの言葉を思い出します。実際には二年遅れたことが大吉と出て、「こんな学校で働きたい」と思っていたような理想の私立学校にちょうど欠員が生じ、そこに職を得ることができました。僕の人生では、大抵何か大きな挫折の後に、「元よりいいもの」が入ってきます✨
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猫のいないニヤニヤ
安井先生は、「日本ルイス・キャロル協会」の会長をなさっており、大学・大学院の授業でも『不思議の国のアリス』をはじめとしたルイス・キャロルの著作に関する話題がちょくちょく出ました。そしてある日先生がなさった「猫のいないニヤニヤ」の話が、後の僕の AI 研究に大きな影響を与えました。
『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫は、可愛いグッズにもなっているのでご存知の方も多いかもしれません。ルイス・キャロルは作品中で多くの言葉遊びをしており、その言葉遊びが「不思議の国」では目に見える現象として起こるというのがこの作品の妙ですね。上の挿絵の箇所の表現を簡単に解説してみます。
“Grin” は「ニヤニヤ」のことです(安井先生訳)。つまり、“a cat without a grin” は「ニヤニヤしていない猫」のことで、要は普通の表情の猫です。一方、cat と grin を入れ替えてみるとどうなるでしょうか?
さて、どうでしょう。「猫のいないニヤニヤ」です。イメージできますか?物語では、尻尾の先から猫が消えていき、「ニヤニヤ」を特徴づける口元だけが最後まで残る、という描写がなされています。上はその箇所の挿絵です。本来は「猫」が主体となって、その表情として「ニヤニヤしている」があるわけです。つまり、主体である猫がいなくなればニヤニヤは存在し得ないはずなのですが、ルイス・キャロルは「主体の存在しない表情」という概念を、言葉遊びを通して「不思議の国」の中で描きました。
「猫のいないニヤニヤ」を数学的に実現!
安井先生に見送られて筑波大学大学院を修了し、21年間社会人として働いた後、今度は AI 専攻で理系大学院へ戻ったわけですが、何の青天の霹靂か、AI の研究に行き詰まった時、先生の「猫のいないニヤニヤ」を思い出しました。
テキスト情報から、可能な限り「内容」に関わる要素を取り除いて、例えば「文章のクセ」や「スタイル」などの「属性情報」だけを残したいと考えていた時のことです。本来は文章と内容は一心同体で、「内容をどう表すか」がクセやスタイルなはずです。でも、内容を限りなく消去して、クセやスタイルだけを残す……この発想は、ルイス・キャロルの「猫のいないニヤニヤ」と同じだ、と気づいたのです。
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実際の言語ではそれはできませんが、ここで AI 的手法の出番です。Google 検索の裏で動いている BERT と呼ばれる言語モデルを用いて文章をベクトル化し(数字の組にする)、768次元という理論上の高次元ベクトル空間へ言語データを配置します。その際、Google が開発した BERT 本家ではなく、より文章の「内容」に注目した発展形である SBERT を用い(この技術を開発したのがダルムシュタット工科大学の今僕のいる研究室です!こちらの論文)、さらにその出力を「主成分分析(PCA)」という古典的な数学的手法を通すことによって、768次元ベクトルの特定の場所(部分空間)に「内容」に関わる要素を凝縮させられることが分かりました。BERT と PCA を組み合わせるという発想も、今いるダルムシュタット工科大学の別の研究室の発案でした(こちらの論文)。
通常は、「凝縮された要素を取り出す」ために使うのが PCA なのですが、それを逆手に使い、「凝縮された内容情報を上澄みとして捨ててしまう」ことを考えました。「内容」が凝縮された部分空間を捨ててしまえば、残るのはその文章のクセやスタイル、つまり「内容のない文章」=「猫のいないニヤニヤ」の完成です。「猫のいないニヤニヤ」を作って、何が嬉しいのか、何に役に立つのかということは、また回を改めて書くことにします。
この部分をまとめた僕の論文がネット上にあるので、もし「興味あるよ」という方がいらっしゃったら、短い論文(8ページ)ですので下のリンクよりぜひご覧ください。閲覧環境によっては「有料」と出る場合があります。「クリエイターへの問い合わせ」よりご連絡いただければ、無料でPDFをお送りいたします。
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提出した修士論文では、冒頭の謝辞で『不思議の国のアリス』の挿絵を引用して、アイディアの源泉として紹介しました。あの日の安井先生の授業を欠席していて、「猫のいないニヤニヤ」の話を聞いていなかったら、きっと今ここにはいないと思います。論文を英語系の人に見せたところ、「謝辞にルイス・キャロルが出てくるなんて、正統派の理系論文でないってバレバレだね」と言われました。褒め言葉として受け取っています。
今日はそんな、大学院でお世話になり、今に続く発想の源を与えてくださった先生をご紹介しました。安井先生は現在も日本ルイス・キャロル協会の会長をなさっています。今のプロジェクトが一段落したら、この記事の URL を添えてご連絡差し上げてみようと思います。
今日もお読みくださって、ありがとうございました☕️
(2024年3月13日)
サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️