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#53 『翻訳できない世界のことば』

「積ん読感想文」4冊目は、小説でも論説でもない本を取り上げます。この本は、ドイツに来る前に近くのショッピングセンターに買い物に行った時、久しぶりの「リアル書店」で目にとまった本です。素敵な装丁とイラストにまず惹きつけられました。


今日の本

エラ・フランシス・サンダース著,前田まゆみ訳『翻訳できない 世界のことば』創元社,2016年
読書難易度:☆(読むというより鑑賞する本)


翻訳ってできるの?

本書の原題は “Lost in Translation” つまり「翻訳すると失われてしまうもの」という意味です。「翻訳すると失われる」ということは、ある言語のある表現を、他言語の「該当する表現」に翻訳することはある程度できるとしても、すべてを翻訳し切ることはできないという意味です。本書に収録されている日本語は、

KOMOREBI コモレビ
BOKETTO 
ボケット
WABI-SABI 
ワビサビ
TSUNDOKU 
ツンドク

本書で取り上げられた日本語表現4つ

の4表現です。「ワビサビ」はいかにも日本らしい概念で、外国語に翻訳するのが難しいのが分かりやすいのですが、「木漏れ日」「ぼけっと」「積ん読」は意外なエントリーですね。本書の著者は、これらの概念が日本語以外の言語にははっきりした形では存在せず、日本語的あるいは日本的な発想として紹介しています。「ぼけっと」に注目してみます。

BOKETTO(ボケっと:日本語)
「なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち」(pp. 38-39)

「ぼけっと」と日本文化

「ぼけっと」は、「なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち」と解説されています。例えば英語文化圏では、何かが「あまり存在しない」ことは基本的にネガティブなことと解釈する傾向があり、そのような empty な時間・空間は基本的には「埋めるべきもの」として認識されます。なので、「特別なことを考えず(=思考が存在しない)」ことに特定の語彙を与えるという発想には至らないのです。
 振り返れば、日本語は何かが「たくさん存在する」状態から「全く存在しない」状態へ至る状態の変化をきめ細かに表せる言語、あるいは文化ということができます。そう考えると、太陽光が葉っぱの間から少しだけ漏れてくる「木漏れ日」、不完全性の中に美や価値を感じる「わびさび」、買っただけで読んでない本にも「これから読んでわくわくする」期待をかける「積ん読」は、すべて同じ要素を含んでいるのではないでしょうか。


Memorable Quotes

今回は、日本語以外から5つ印象的な表現を紹介します。本書では上の日本語4表現を含めて、合計52表現が取り上げられています。

TIÁM(ティヤム:ペルシア語)
「はじめてその人に出会ったときの、自分の目の輝き」(pp. 62-63)

ある人に出会った時に自分がどんな目をしていたか、それをはっきり覚えている相手は何人いるでしょうか?あるいは、もしそういう人がいれば、自分にとってどんな意味を持っている人なのでしょうか?ペルシア語・文化ではきっと、どんな目で人やものを見るかが重要なのだと思います。

FORELSKET(フォレルスケット:ノルウェー語)
「語れないほど幸福な恋に落ちている」(pp. 86-87)

これまでのノルウェー人の知り合いは、仕事先の楽器店の数人ですが、今後新たにノルウェー人と知り合ったら、その最初の人とこの語について話し、お互いの forelsket 経験について語ろうと思います。note 記事にしますね。

TRETÅR(トレートール:スウェーデン語)
「コーヒーの3杯目のおかわり」(pp. 88-89)

個人的に、本書で一番気に入った表現です。コーヒーを3杯もおかわりするのは、一人なら何かにうんと集中している時、誰かと一緒なら、その人との話がうんと弾んだ時のはずです。そんな「濃い時間」が、tretår という語に凝縮されているようで、素敵です。

SAUDADE(サウダージ:ポルトガル語)
「心の中になんとなくずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や、または、愛し失った人やものへの郷愁」(pp. 100-101)

「他言語に翻訳できない」表現の真打ではないでしょうか。ポルトガル語圏であるブラジルで精力的に音楽活動をなさってきたサックスの渡辺貞夫さんのアルバムに、『Minha Saudade』(私のサウダージ)があるのですが、このアルバムを聴くと、上の意味が感覚的に理解できるように思います。Google 翻訳にかけると、Minha Saudade は日本語では「私の憧れ」、英語では my longing と訳されましたが、原語の意味はほとんど出ていないように思います。

あえて日本文化にあてはめて「サウダージ」を説明するなら、谷村新司さん作詞・作曲で、山口百恵さんが歌った『いい日旅立ち』の歌詞中の、

ああ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる

『いい日旅立ち』より

の部分で日本人の心中に湧き上がる感情が、サウダージに近いかもしれないと思いました。「どこか」は定かではなく、「待ってる人がいる」も「いて欲しいけど、いないかもしれないし、多分いない」の意味に近いので、「存在しない、あるいは失ったものへの郷愁」へとつながるのです。

WALDEINSAMKEIT(ヴァルトアインザームカイト:ドイツ語)
「森の中で一人、自然と交流するときの ゆったりとした孤独感」(pp. 104-105)

最後はドイツ語です。ドイツ人が感じる「心のよりどころ」といえば、それは何をおいても「森」。ドイツにいる間に言葉での説明ではなく感覚で、森の中にいる時の Waldeinsamkeit を理解できるようになりたいと思います。

本書は、Tiám を覚えている Forelsket な人と、Tretår をお供に、Saudade と Waldeinsamkeit を感じながら、1ページずつ眺めると素敵です。

今日もお読みくださって、ありがとうございました☕️☕️☕️
(2023年9月11日)





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