sasakinoriko

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最近の記事

ありがとうって胸を張ろう

先日の記事から何度か藤井風さんの「帰ろう」の一節を引用させていただいた。決して前向きな内容ではなかったので申し訳ない気分だけど、それくらい「帰ろう」という歌が普遍的で解釈の幅が広い神曲だとも思う。今回は、私なりにこの曲と向き合った、最終回に近い結論が出たように思うので、これも一つの「与えられるもの」としてここに残すことにした。 「帰ろう」という曲は藤井さんがお話しするように死生観として読むこともできれば、平和への希求とも取れるし、恋愛の歌として受け取ることもできる。私は当初

    • 帰ろうのその先

      先日藤井風さんの帰ろうを、自分の経験に紐づけて解釈した記事を投稿した。その後日談をここに残しておこうと思う。 つい数時間前、約2月ぶりに母から連絡があった。父が救急に行ったとのこと。弟が病院に連れて行ったので、心配だからそばにいてほしいという電話だった。 結果、現時点で大きな問題はないという事で一人暮らし(可愛いネコもいる)の家へ向かう。 正直なところ、いつかは実家に帰らなければという義務感に苦しめられていたので、帰るきっかけになれたのは良かった。帰っても帰らなくても苦

      • ああ、今日からどう生きてこう

        私の中で「天才だなあ」と思うアーティストは何人かいるが、「この人は神様から歌う使命を与えられたんだなあ」と思うのは、中島みゆきさんと藤井風さんだ。(神様とか使命とかいうと宗教っぽくなってしまうけど、語彙力がないせいです、すみません) 中島みゆきさんも初期に「時代」というとんでもないスケールの大きな曲を書いているし、藤井さんも「帰ろう」という超壮大スペクタクルな神曲を生み出しているので、そう思うのだろう。 「帰ろう」という曲は、藤井さんによると死生観を描いているそうだが、私

        • 藤井風さんという「ひかり」

          最初に宣言すると、私はにわかである。ただ、突如現れた藤井風さんという「ひかり」に救われた、想いの丈を綴りたいと思う。 平成という時代は、緩やかに失望に向かい、令和になっても漠然とした失望や喪失感は負の遺産として引き継がれていたように思う。一言でいうと、「頑張ってもこの先いい未来は訪れないのではないか」という諦念。流行っていた曲もどこが愁いを帯びていたり、失望から見た希望を描いたものが多かった気がする。 私自身、これからの人生は衰えていくだけなのだろうか、という諦念が積み重

        ありがとうって胸を張ろう

          BANANAFISHと藤井風

          ローソンでBAANA FISHが絶賛キャンペーン中だ。BANANA FISH懐かしいな~、当時リアタイで読んでいて、リヴァー・フェニックスファンだったから、最終回はめっちゃ泣いたなあ…と想いを馳せてみた。 作者の吉田秋生さんは、映像化された「海街diary」などでも有名だが、作品がどれも素晴らしい。勝手に、その目線の高さから「少女漫画界の中島みゆき」と呼んでいる。誰か同意してほしい、マジで。 個人的に、吉田さんの作品では「カリフォルニア物語」「吉祥天女」のストーリーが特に

          BANANAFISHと藤井風

          自己肯定はYES、自己受容はOK

          先日noteに僻み満載の投稿をしたことに気が付いた。書いたことに一理あると自己弁護しつつ、みっともないことを認めて削除するに至った。 ちなみにこの文章は9か月前に書いてあったらしい。自分でも忘れていた。読み返すと自分のショボさに情けなくなるが、どうせ保存していたのだからと開き直って公開した。 自己肯定感とか自分は素晴らしい存在とか自分に自信を持つとか自分を好きになる云々、叫ばれて久しく私も何十年と悩んでいるが、進捗は予想を遥かに上回るスローペースだ。自分と向き合うのは、相

          自己肯定はYES、自己受容はOK

          理解しなくていい、寛容さがあれば。

          読んでいて古傷を抉られた思いだった。 私も似たような事でずっと悩んでいた。 新しい職場に入ってから、ある人たちに攻撃を受けるようになった。「嫌われる勇気」も読んだし、NLPも学んだが全く改善されなかった。今は幸い優しい人に囲まれているが。私の話はここまでにする。 回答があまりに正論で辛辣だし、記事のリツイートに付いたコメントに心ない内容もあった。 そのため、以下は自分の経験も踏まえて、相談者に近い立場で考察している。考えの一つとして読んでいただければと思う。 まず、

          理解しなくていい、寛容さがあれば。

          鬼滅の刃の評価の分かれ目は、不完全さを愛せるかどうか

          鬼滅の刃については今更私が書かなくても、というくらい賞賛批判分析し尽されているのですが、月並みな意見でも、鬼滅の刃の素晴らしさを語りたい。 きっかけは、某ブロガーさんがこの作品を感情的に批判していたので、感情的にこの作品を肯定したくなったこと、Amazonで最終巻のレビューを読んでいたら評価が真っ二つで、批判的な意見のいくつかに言い返したくなったからです。 以下多少ネタバレになりますので、未読の方はご注意ください。 まず、批判の多くは、話の整合性や設定の甘さが多く取り上

          鬼滅の刃の評価の分かれ目は、不完全さを愛せるかどうか