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ああ、今日からどう生きてこう

私の中で「天才だなあ」と思うアーティストは何人かいるが、「この人は神様から歌う使命を与えられたんだなあ」と思うのは、中島みゆきさんと藤井風さんだ。(神様とか使命とかいうと宗教っぽくなってしまうけど、語彙力がないせいです、すみません)

中島みゆきさんも初期に「時代」というとんでもないスケールの大きな曲を書いているし、藤井さんも「帰ろう」という超壮大スペクタクルな神曲を生み出しているので、そう思うのだろう。

「帰ろう」という曲は、藤井さんによると死生観を描いているそうだが、私はこの曲を聴きながら、両親を想った。私にとって両親とは、息が詰まるくらい向き合いたくない存在だ。でもこの曲は、そんな息苦しさから抜け出すきっかけにもなったので、歌詞を追いながら自分と向き合ってみた。

私の両親はいわゆる「毒親」である。物心ついたころには既に両親の顔色を窺っていた私は、優等生であれと自分に言い聞かせながら生きていた。「将来は医者か公務員になれ」と言われ続け、「何になりたいか」「何がやりたいか」なんて、考えることすら許されないと思っていた。勿論、私の意見を聞かれたこともない。

自分の気持ちから目を背け続けた結果、去年の年末に爆発して連絡を絶tつに至る。なぜこんなに我慢をしていたのか、親から離れようやくわかった。

私はただ、「お前はいい子だね」「お前はかわいいね」と言われたかった、それだけだった。「頑張って結果を残してすごいね」ではない。「頑張れなくても結果が出なくてもお前は大事な子どもだよ」と言って欲しかった。努力家などではない。言ってくれないから努力するしかなかっただけだ。両親が傷ついていることを無意識に知っていたから、私が両親の代わりに、希望を与え傷を癒す存在でいたかったのだ。唯一の生きる目的だったそれを失った今、私は途方に暮れている。

私はもう一度、私を育てなおさなければならない。生きる目的を、自分で育てていかなければならない。いつの日か「帰る」その日まで能動的に生きていかねばならない。私が帰っても世の中は何も変わらないからこそ、私だけは私の生を大事にしなければと思う。

傷も渇きも、「愛して」と叫ぶ小さな私も、優しく認めて受け入れて、そのまま明日を生きていこう。足りないものを求めて傷つけあうより、私が先に私を満たしてあげようと思う。

「愛して」と思いながら両親に尽くしてきたけれど、彼らも私を愛することで自分自身を愛そうとしたのだ。それは代用品の愛でしかない。私も両親も、愛するには未熟すぎた。最初から足りないのに、あげることなんてできない。

彼らに与えられた愛「のようなもの」を受け止めて、私は満たされないまま明日を生きていく。彼らなりに愛そうとした事実を受け入れて、ありがとうと胸を張ろう。

私はまだ未熟な愛しか与えることができないが、それでも生きていこう。いつか待つ幸せな場所へ、笑って帰るために生きていこう。今まで抱えてきた怒りも悲しみも憎しみも罪悪感も、少しずつ手放そう。両親と私の幸せのために、私が先に自由になろう。

ああ、今日からどう生きてこう。



























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