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掌編小説182(お題:画面のむこうに帰ります)

「夏目漱石は?」

「煮詰め漱石」

「三点」

「なんでだよ。漱石が無類のジャム好きだった話知らないのか? 月に八瓶消費するほど大好きだったんだぞ。そして、ジャムは果実と砂糖を煮詰めてつくる。漱石のモノマネ芸人としてこれ以上クレバーな名前、他にないだろ」

東京、有楽町にある家電量販店で増尾はずらりとならんだ見本の新型ノートパソコンを無意味に眺めながら向井とだらだらそんな話をしている。時刻は午前一時。もちろんとっくに営業時間は過ぎているし、五階である。二階のテレビ・オーディオ売り場ではなく。

刹那、つかめました、と言ったのは向井ではなく照美だ。猫耳のついたフードを目深にかぶり、デフォルメされた動物のステッカーをベタベタ貼った自前のノートパソコンから目を離さないまま抑揚のない不愛想な声で告げる。

「個体番号A-17-0120。二十四歳女性。生前の名前は北倉える。間違いありません。完全表出まであと七分四十秒」

「あ、空目漱石っつーのはどう?」

「もうそれでいいから仕事して」

作業着姿の向井は「ああでも煮詰め漱石の送り仮名も味わいがあるなぁ」などとニヤニヤつぶやきながら目標のノートパソコンを手際よく分解していく。架空のモノマネ芸人の名前を考えるのは向井の趣味だ。変人だが、これでも一応仕事の速さは随一なので彼のことを増尾は信頼している。誠に不本意ながら。

「あと三十秒」

「おらよ、交渉口確保」

「増尾さん、交渉は任せました」

「引きずりだすぞ」

分解・拡張し人一人が安全に出入りできるようになったノートパソコンのディスプレイに向井の上半身は躊躇なく入りこんでいく。照美が天才ピアニストのごとくキーボードを叩く音。ディスプレイのむこうから女性のくぐもった声がする。増尾は背筋を伸ばしてネクタイの位置を微調整した。

腕を残して向井の上半身が戻ってくる。テレビのような砂嵐。向井が「よっと!」と両手を力一杯に引きあげ、そして、とうとう長い黒髪の青白い女がうめき声をあげながらずるずるとあらわれた。カツオの一本釣りみたいだな、と、こういうとき増尾はいつも心の中でつぶやいてしまう。

「こんばんは。北倉えるさんですね?」

「…………」

にこやかに声をかけるが、相手は頭を垂れたまま答えない。

「私、第一種交渉人の増尾と申します。先日こちらのBカメラ有楽町店様から『五階のパソコン売り場に〈真似子〉が出る』とご相談がありまして、我々が交渉に伺った次第なのですが」

名刺を取りだし、増尾はそれを物腰やわらかな所作で女に差しだす。女は一度その不気味な長い黒髪の隙間から訝しげに増尾をにらんだが、童顔で中性的という増尾の人畜無害な顔立ちに警戒心が緩んだのか、しぶしぶといった様子で名刺を受けとった。交渉相手によく女があてがわれるのは自分のそういうところなのだろうなと増尾は自覚している。

「さっそくですが、具体的な交渉内容についてご説明させていただいてもよろしいでしょうか?」

「…………」女はうなづいた。

「どうぞこちらへ」

フロアにあぐらをかいていた照美がおもむろに立ちあがり、すかさず、ノートパソコンを抱えて歩きだす。なるほど、パソコンや周辺機器の修理を請け負う相談窓口のカウンターに案内するつもりらしい。目配せすると向井は心得たというふうに手をひらひらやって応え、撤収作業をはじめた。

客が座るほうの椅子に女を座らせ、むかいの従業員用に増尾、そのとなりに照美がそれぞれ座る。

「まず、『リング』の山村貞子を模倣し、テレビ・パソコン・スマートフォンといったディスプレイから現世に表出する行為――通称〈真似子〉が取り締まりの対象であることはご存知ですか?」

「…………」

「なるほど、知ってはいたけどついやってしまったと」

「…………」

「たしかに、最近は現世の人々に画像なり映像なりSNSで投稿してもらおうとする真似子さんが多いです。でも、そんなふうに軽い気持ちでディスプレイから出ていこうとして大怪我する事例もたくさんあるんですよ。このあいだ私が担当した真似子さんは、旧型の小さなスマートフォンから無理やり人を驚かせようとして、危うく右腕を切断して現世に残していってもらうところでした。冗談に聞こえるかもしれませんが、この界隈では本当にそういった話もざらです」

「…………」

「それで、調べによりますと、北倉さんはこうした家電量販店の主にノートパソコンから手や顔を出す行為を繰り返していたと。従業員やお客様に危害を与えるような行為はなし。なるほど、でしたら我々からはテキスト化をご提案させていただきます」

「…………」

「北倉さんの幽霊としての生体データをテキスト化することによって、文章で、安全に現世に表出させるプランです。テキスト化された幽霊の生体データは小説やゲームの業界でかなり重宝されますよ。完全なイメージ・概念になるので、今後ディスプレイにはまるような怪我の心配もいりません。テキスト化は三分で終わります」

「…………」

「ありがとうございます。それではこちらのスタッフの案内に従って手続きをおねがいしますね」

カフェかバーのカウンター席にあるような背の高い丸椅子の上で器用に体育座りしていた照美が、ご案内いたします、とふたたびノートパソコンとむきあう。それからきっかり三分後、はたして個体番号A-17-0120、生前の名を「北倉える」はテキストデータとして組織の機密フォルダに収まったのだった。

「北倉さんの様子はどう?」

「安定しています。増尾さんの脅しがよっぽど効いたんでしょう」

「脅しじゃなくて事実なんだよなぁ」

「無自覚なのでしょうが、増尾さんは見た目に反してなかなかのSですね」

「イニシャルはMなのにな」

「おまえもな」

撤収作業を終えた向井が合流し、守衛に鍵を返却して三人は家電量販店を辞した。

「疑問なのですが」

事務所に戻るまでの道すがら、それまで増尾はふたたび向井の架空のモノマネ芸人の名前を考える趣味につきあわされていたのだが、何度目かの信号待ちで後部座席から照美が声をかけてきたのでふりかえる。

「なぜ、真似子の前で我々は人間のふりをしなければならないのでしょう」

「それな。俺さっき久々にヤク漬けの自分の顔見てげんなりしたわ」助手席の向井も唇を尖らせている。

そして増尾もまた、ネクタイを締めてスーツなど着ているが、三年前からとっくに人間など辞めているのだった。年の瀬。俗にいうブラック企業に勤めていた増尾は厳しい職務と上司から逃れるために樹海で首を吊ろうとし、そこで、この第一交渉人のスカウトを受けた。自分よりも明らかに年下の向井と照美がどういった経緯でこの仕事に流れついたのかは詳しく知らないが、おおむね似たような経緯であることは初めてチームを組まされたときに組織の人間から聞いている。

「実体がないという点では、今の僕たちは幽霊の真似子たちと似てる。けど本質はまったく違うよ。真似子たちには実体がないけど、それでも、僕たちみたいに人間であることそれ自体を辞めたわけじゃないんだ。楽しいことがしたいし、誰かに認めてもらいたい。だからみんなこぞってあの有名なキャラクターとシチュエーションを真似する。人間だけど死んでる真似子たちを説得するには、人間のふりをした僕たち狂人が双方にとって一番穏便なんだ。たぶんね」

ようやく信号が青に変わった。ぱらぱらと小雨が降りだしている。事務所まではもうすぐだ。

三年前、人間を辞める以前の増尾には帰る家などなかった。両親はともに幼いうちに亡くしており、肩身のせまい親戚の家をようやく出たあとも小さなボロアパートの一室は殺風景で、就職後は土日すら帰る機会が滅多になかった。ところが今はどうだ。人間を辞めた増尾には、組織の機密フォルダの中に、帰る場所がきちんとある。変人と不愛想という愉快な家族も一緒だ。

「帰ったら、久しぶりにオンラインゲームの中に潜りこんでクエストでもやろうか」

ハンドルを左に切って増尾は上機嫌に言う。

「高難易度であれば、ぜひ」

「げぇ、またあのバカデカいモンスター殺んのかよ」

「向井さんは無能なので不参加でもかまいません」

「てめぇクソガキ言ったな。見てろよ、ぜってーMVP獲ってやる!」

増尾も、向井も、あの不愛想な照美でこのときは皆笑っていた。それは人間だった頃のわずかな名残り。そういう「仕様」だから。もちろん、わかっているけれど。

肉体を捨て、思考を捨て、感情を捨て、ただの無機質なデータとなった今。増尾はおそらく、二十数年の短い人生のうちもっとも健康で文化的な最低限度の暮らしを送っている。

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