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掌編小説213(お題:梅雨前線でリンボーダンスをしています)

「おまえが増本か」

どこもかしこもシャッターが閉まった寂れた商店街の路地裏。低い中年男の声がして、スマートフォンから顔をあげる。無精ひげの生えた口元には声高な嫌煙家の主義主張など屁でもないというように安い紙タバコがくわえられていて、パーマのかかった髪は顎のあたりまで伸び放題、カーキ色のモッズコートの下は毛玉だらけのスウェットにサンダル。カツアゲではない。カツアゲならどちらかといえばこの冴えない中年男のほうが狩られる側だし、紫煙を吐いた血色の悪いその唇は今、「ますもと」とたしかに動いた。スマートフォンをジーンズの尻ポケットにねじこみ、予想通り、いや予想以上に冴えない上司にむかって増本は「ども」と声だけの会釈をしてみせる。

「梅原サンすか?」

「ああ」

「初めまして」とか「よろしく」とか、あるいは「行くぞ」という言葉もないまま梅原はさっさと踵を返して歩きだした。雨が降っている。小雨の部類だが、頬に当たったときの粒はやたらと大きくボツボツと品のない音がする嫌な雨だ。通りに出るとき、増本はパーカーの大きなフードをすっぽりとかぶった。

夕雨、という名前のせいでなにもかも上手くいかない。子供の頃から超人的な雨男だった。ひとたび町の外に出れば、どこへ行っても雨、雨、雨。夏休み、農家を営む母方の祖父母の元へ遊びに行くたびあまり良い顔をされていないのは子供心に察していた。友達や彼女も許してくれるのは二、三回だけで、「夕雨といてもおもしろくない。なんか、会うときいつも雨だし」最後はいつもそうやって疎まれて突然終わる。仕事も転々とした。そのうちコンビニまで発電用デンキウナギを運輸するだとか眉唾ものの妙な仕事にも手を出すようになったが、どれも長くはつづかない。雨というのはどんな仕事もおおむね二割程度は作業効率を悪くする。

コインパーキングで足をとめて、梅原は白の軽自動車の運転席に長身のデカい図体で乗りこむ。乗れ、と窓越しに梅原が助手席を顎で示した。小雨でしっとり湿ったフードを脱ぎ捨て助手席に乗りこむ。バタン。扉の閉まる安っぽくてちゃちな音。

「今日ってどこまで行くんすか」

「秩父」

埼玉県。言わずもがな、増本にとっては「町の外」だ。

「あー……梅原サン、今後のためにちょっと先言っときたいことあるんすけど」

「なんだ、雨男ってやつか?」

思わず梅原の顔をまじまじ見つめてしまった。そんなこと、履歴書には書かなかったし面接でも言っていない。一方の梅原は車用灰皿にタバコを捨て、一度もこちらに視線をよこさないままとうとう車を発進させる。

「下地から聞いてる。前に仕事で一緒だったろ、あの、デンキウナギ運ぶ」

「ああ」

そういえば、発電用デンキウナギを運輸する仕事のときシモジという女性と何度か組んだことがあった気がする。こんなところでその名をまた耳にするとは思わなかった。妙な仕事同士、なにか横のつながりがあるのかもしれない。

「別に気にしねぇよ、こっちはただでさえ梅雨が繁忙期だからな。むしろ連中は喜ぶんじゃねぇか?」

「河童」

「ああ」

「それ、マジなんすか? 河童を取り締まるって話」

「ああ」

車が高速道路に入る。心なしか、雨脚がまた一段と強まった気がした。

「じつのところ河童っつぅのは古来からきちんと実在してるんだが、俺たち人間と、それから河童自身の身を守るために現在では第三種交渉人ってのが介在してる。河童が出現する時期や地域、数を事前に交渉しておくことでおたがいがストレスなく生活できる仕組みだ。ところが、河童の中にも騒ぐなと注意されてなお騒ぐ馬鹿が残念ながら一定数いる。第三種交渉とは別に、そういうやつらを取り締まるのが俺たちの仕事だ」

「で、これから秩父に」

「ああ」

「梅雨が繁忙期ってのは」

「河の童と書いて『河童』。要は、水のあるところがやっぱり好きなんだろうな。雨が降ると河童の活動範囲はグンと広がる。そして、馬鹿な河童が人間の領域にまで下りてきてどんちゃん騒ぎをはじめる」

「あれすか、あの、子供誘って相撲するとか――」

「リンボーダンス」

「は?」

「この時期は、梅雨前線でリンボーダンスをするやつが多い」

沈黙。窓に雨粒が当たるボツボツという音がいやに明瞭に聞こえた。緊張感のないのらりくらりとした声だが、真顔なので冗談ではないのだろう。前の車のテールランプを、増本も一緒になって見つめている。それきり、高速を降りて現場付近で車を停めるまでどちらも一言も発さなかった。

というわけで、埼玉県は秩父某所。雨が降るそのちょうど境目で、聞かん坊の河童たちははたして陽気にリンボーダンスなどしているのであった。

背丈は増本のちょうど腰ほど。全身は緑色で頭には皿、手足には水かきとおなじみの姿で、五匹ほどが人間を真似た、それでも上手く聞きとることのできないもにょもにょした声で会話めいたやりとりをしている。発電用デンキウナギなんかよりもよっぽど現実離れした信じがたい光景だったが、こわくはなかった。梅雨前線なんてものは天気図で見るから線に見えているのであって、実際それでリンボーダンスなんてしようものなら、客観的に見るとなにもないところで奇妙に身体をのけぞらせているだけである。

携帯灰皿にタバコをねじこんで、頭をガシガシ掻きながら梅原が先に歩きだした。あわてて、増本もうしろをついていく。

「こらー」嘘みたいに緊張感のない声で梅原は河童たちを叱った。「今の時期、このあたりは河童の出没禁止だろうが。許可証持ってんのかおまえら。無断出没なら鍋にぶっこんで河童汁にすんぞ」

「〇✕△□! 〇✕△□、〇✕△□!」

モッズコートをめくり、腰に差した誘導棒を手にとって点灯させるとたちまち河童たちは梅原を囲んで何事か騒ぎだした。「ウメハラ」、そのあとは「コウショニン」というのがかろうじて聞きとれる。

「おー、うるせぇうるせぇ」

中には水びたしの手でパシパシ梅原の横っ腹を叩いて抗議する者もいたが、当の梅原はひたすらにノーリアクションだ。リーダー格と思しき(どうやって見分けてるんだ?)河童にクリップボードではさんだ用紙を手わたし、なにやら、記入させようとしている。

「増本、傘持ってきて。あとタオル」

「え」

「後部座席に置いてあるから、早く」

「はい!」

梅原が投げてよこしたキーを受けとり、急いで軽自動車へ引き返す。傘……あった。タオルというのは「粗品」と熨斗のついたこれでいいのだろうか。袋と熨斗を剥がし、傘をむんずとつかみとって戻ると、梅原はすでに別の河童の相手をはじめていた。

「紙濡れないようにちょっとそいつのとこ差してやって」

「あ、はい」

黙々と用紙に何事か記入しているリーダー格の河童に、おそるおそる、近づいていく。「おつかれさまです」無言で差しだすのも気分が悪かろうと一応言ってみたが、「〇✕△□」なんと返されたのかはわからない。とりあえず曖昧に笑っておいた。水かきのついた手で河童は器用にバインダーを持ったりボールペンを握ったりしている。ああ、そうかタオル。手わたすと河童が右手を差しだしたので、拭いてやった。記入作業がはじまる。なにを書いているのか、まじまじと見るのはなんとなく失礼な気がして、むこうの山のほうへ顔をそむける。ボツボツと、品のない音を立てて雨粒がビニール傘にぶつかる。

「〇✕△□」

河童が言いながらちょんと腕を突いたので、思わず「うぁい」という変な声が出てしまった。無表情のままバインダーを差しだす河童。ああ、書き終わったのか。しどろもどろになりながらそれを受けとって梅原を呼ぶ。バインダーのクリップにボールペンもしっかりはさまっていた。それはあまりに世俗的で、シュールだ、と増本は強烈に感じる。

梅原とともに、残り四匹の河童も次々と増本のまわりに集まってきた。「〇✕△□!」「〇✕△□!」何事か言っているが、あいにくその言葉を理解できる梅原は書類の確認でいそがしい。

「マスモト、〇✕△□!」

そのうち、河童のうち一匹が名前を呼んだ気がして、増本はぎょっとする。

「梅原サン、俺なんか今河童に呼ばれませんした?」

「ああ」

「え、こわっ、なんて言ってんすかこわいんすけど!」

「『マスモト、アメ、カンシャ!』」

「意味わかんねっす」

「それより交渉人呼んで。繋がったらここの住所言えばいいから。電話帳タップして『第三種交渉人』、ほい」

車のキーをよこすのと変わらない気安さでスマートフォンを投げるものだから、わけもわからぬまま、とっさにそれを受けとってしまった。仕方なく言われたとおりにする。現住所は、自分のスマートフォンで地図アプリを開いて説明した。五分でむかう、らしい。

「えっと、なんか五分で着くっぽいです?」

「そうか」

「……え、五分て無理くないすか」

「五分って言ってたんだろ?」

「まぁ」

「なら五分で着くんだろ。交渉人っつぅのはそういう連中だ」

一方河童はというと、また雨の境目で陽気にリンボーダンスをしている。梅原と増本が見張っているので心なしかひかえめだ。俺は、いったいなにを見せられているんだろう。

ほどなくして、きっかり五分後、交渉人とやらは本当にやってきた。立ち合いが必要だというので、梅原と増本はならんで交渉を見届ける。とくに特筆すべきことのないやりとりだった。出没場所の代替案が提示され、河童たちも納得し、結果的にリンボーダンスはそちらでということになったようだ。挨拶もそこそこに交渉人はさっさと帰っていき、河童たちも移動のために川へ下りる道を歩いていく。「マスモト!」河童たちはそろって増本に手をふった。わけがわからないままとりあえず手をふりかえし、車へ戻っていく梅原を、あわてて追いかける。

「おつかれさん」

「仕事、これで終わりっすか?」

「ここはな。次はこのまま山梨のほうまで下りる」

「うわ」

車に乗りこむと、梅原は手際よくカーナビで次の現場の住所を打ちこんでいった。山梨県。また、行ったことのない地域だ。今はまだ小雨の範疇だが、ここまで行ったらどのくらい雨はひどくなるだろう。カーナビが刺したピンを、増本は、少しのあいだ見つめる。発進。

「今日はすこぶる良い雨が降った、と言っていた」

「河童がっすか?」

「ああ。おまえが雨男だと言ったら感謝してたよ。良いリンボーダンスができたって」

「はぁ」

「また連れてこいとも言われたな。ったく、そもそもあいつら許可なしに出てくるなっての」

タバコをふかして、梅原は呆れたように笑っている。

脳裏にまだ、雨の境目で河童たちが陽気にリンボーダンスをしているあの奇妙な光景が鮮明に焼きついていた。マスモト、と呼ぶもにょもにょした不明瞭な声。親しげにふってみせる水かきのある手。思えば、雨が降ってあんなに楽しそうにしている誰かを見るのは何年ぶりだったろう。

「梅原サン」一台また一台とちらほら車とすれ違うようになってきた頃、増本は、チラと助手席の梅原に目をやった。「つか、俺この仕事のやりかた、まだなんにも教わってなくないすか?」

「ああ」

「ああ、じゃなくて」

「じゃあ次の現場でまとめて教える」

「河童語も」

「それはなんか、がんばって聞きとれよ。気合いで」

「本気で言ってます?」

雨脚はじわじわ強まっていき、二人を乗せた軽自動車はやがて大通りに出た。前途多難だ。上司は冴えないおっさんでいい加減だし、一方自分も、河童語の才能はたぶんない。それでも増本は、自分はこの先この仕事で生きていくのだろうと、不思議とそういうたしかな予感を感じている。

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