見出し画像

ふるさとは語ることなし

“ふるさとは語ることなし” 坂口安吾

は、ずっと好きな言葉。

“魂が無に赴いてもはや自力では帰ることができなくなった時に支える光は、魂の一切の疑い、誤り、暗闇を全く取り除く。”  エックハルト

“我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう” 創世記

自分はずっと比較的、常にふるさとよりなんだろうなと思う。というか自分がふるさとを持っていることが嬉しい、僕には故郷というものがとくにないから。だからふるさとに入った時は、これが表現なんだ、と思う。その表現の姿をなんとかシェアしたいと思う。でもふるさとに入った魂はもはや語ることがない。魂が俗に帰れば俗なことしか語れない。如来さんは南無と阿弥陀仏の中に、この世に帰るための毛ほどの一点の小さな穴を残していると、誰だったかの本で読んだことがある。妙好人っていったか、南無阿弥陀仏と口を突いて出るときにはもうこの世にあるのだそうで。

自分のやっていることを正確に把握するのは難しいけれど、最善を求める。これが秩序と洞察だろう。安吾の言葉の切り口は鮮やかだなあって、ぐっと来るんです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?