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痺れたあの人とAI

最近私は面白い話を聞いた。
そしてその上、興味深い人を見た。

あんなにもスマートで且つチャーミングな人を見たのは、
もしかすると人生初か、いや二度目である。

それ以来、その人が気になって仕方なく、
ブログを見たり書籍を読んだりしている。
ある種のストーカー行為に、わが身も驚くのだが、
決して犯罪まがいのことはしていない。まじで。

純粋にその人に興味がわき、どんな事を考え、
どんな風に生きているのかが気になっただけだ。

おかげで私は今「人間」と「AI」の違いを考えている。

なんなら一つ短い話も考えた。
ここ何年も、毎朝日経新聞の広告を目にし
前々から気になっていた星新一賞にまで応募してしまった。
「若気の至り」、ならぬ「50の冷や水」である。

「人間」と「AI」の違い
ここ数日、気が付けば「違いってなんだろう」と考える
そして、今の段階で思ったことは、
人間とAIの違いは、「欲」と「本能」の有無だ

これら2つを備えたAIが出現したとき、
この世界はAIによる世界となるのではないかと思っている。

頭脳面だけでなく、肉体的生存率もはるかに高いAIは、
地球温暖化にさえも耐えてしまう

先日の講演で
「生成AI」を「ひとつのツール」として応用していくことが
人が生き残る術であるかのように聞いた
確かに現段階ではそうかもしれない。
けれど、AIの恐ろしいところは常に学習し続けることだ
人間って飽きちゃうもんね

これまで、人間とAIの違いは何かと聞かれれば、
間違いなく「心」であると思っていた。

でもよく考えると、
人間の心って生まれてから育まれてきた結果だと思った。

だとすれば、
AIも同じように誕生してからの学習機能を備えれば
「心」を育むことだって可能ではないかと思えて仕方がない。

実際、生成AIである文言を打ち、
その感想を聞いてみると見事な回答が返ってきたからだ。
私は驚いた

「魂」という言葉がある。
人間は人という着ぐるみに「魂」が宿り、
人として生きているのだと。
そうとも思える。

亡くなれば魂だけがあの世に行き、
輪廻転生が次の人生を歩ませる。

ならば、
人は永遠に生き続けるはずだと思うけれど、
少子化の波をどう説明すれば人間は生き続けられるのだろうか、
温暖化や氷河期や爆発的事件が起これば人間は生き続けられるのだろうか、とも思ってしまう。

医学の進歩か?AIの進歩なのか?

今の私の頭の中は「人間」と「AI」の話題でもちきりである。

ひょんなことから、
ひょんな話題が脳に沁みつき、
ひょんな行動を起こす人間は、
やはり恐ろしいほどまでの個々の「本能」と「欲」にまみれているように思えてならない。

今日はちょっと真面目だよね

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