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車窓、にて。

ここ数年、ひとりで新幹線に乗ることが結構増えた。
車窓からの景色を見る感覚は、あの日々に似ているなーと、毎回、思う。

3か月、入院したことがある。
そのうち2か月以上は、ベッドから起き上がれない日々だった。
春の終わりに入院したのに、退院して気がつくと秋が終わった。はじめて、夏をまるごとなくしたのはあのときだけ。
病院の窓からは、季節の移り変わりは目で感じられるが、限りなく実感がない。
適度な温度に昼夜なく保たれた空間は、季節や昼夜を体感しない。
唯一"光"だけ、朝陽と消灯だけが、日々を区切りすすむ。

入院直前まで1分1秒単位で止まらず動き続けていた一人暮らし苦学生のワタシは、急に、まったく動かない時間に放り込まれた。
大きな手術をし、ろくに歩けないまま、退院後またそのまま一人暮らしに帰り、すぐに以前より何倍も止まれない壮絶な生活に戻ったのだが。

今でもあの日々の感覚を、思う。 
少しずつ確実に、
あっという間に、
実感がなく一定で、まるで流れていないような毎日を繰り返す時間。
静かだが圧倒的で。
どんどん、それに"慣れていく。
誰かになにかに"慣らされていく"、あの感じを。

まるで世の中は、はじめからこんな感じですよ?みたいなそこは、みんながそう振る舞う。そして、うちとけても、いくらかよそゆきのまま、笑い合う24時間。

何日かに、突然、誰かが存在ごと、消える。
子どもだったり、お年寄りだったり。
寝たきりでは予兆がわからず、すごく驚く。
また、
来てすぐに出ていくひとがいる。その人は、終始あくまで通りすがりの、"こっち側ではないんで。あっち側なんで。"そんなスタンスで、何日かこなし、去る。

ウワサ話と食事のメニューが真ん中にある、同じ日々。
ずっと同じパジャマ一枚でいられる、約100日。
そこからただ見るだけの、風の強さや空気の暑さや冷たさを1ミリも感じない、外の景色。

"暑い"を、"寒い"を
感覚から知識にかえていくような。

ひとり移動で新幹線の車窓からみる景色は、目まぐるしく変わる。
急に大雨や落雷だったり。
なのに晴れて海が見えたり。
急に富士山だったり。
こちらはずっと、リクライニングを少し倒して、割と一定の空調で、コンビニのコーヒーを窓のふちに、耳には音楽が、歌が流れている。
たいていは、誰とも関わらない。

目に映るだけの世界は、そこから自分を分断していて。
自分だけの、オブラートの中みたいな時間空間で、
過去を想ったり、
未来を想ったり、
自分のいまを考えたり、する。
世界から離れた自分が
これまでどうだったか、
これからどうか。
笑ったり、涙がにじんだり、する。

ワタシはその時、
かなり確実に、車窓や、手元の、写真を撮る。
似たような写真なのに(笑)。
だって、そういう時間だから。
時間も流れない空間も動かないから。


だが、その写真でまた、
あの感覚に、
いつからもどこからも分断された
"そこ"に戻れる。

止まった時間も
奪われた季節も
何も変わらない日々も。

意味は、あるなぁとか。

今日も、車窓を想う。




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