#私の勝負曲 パンク少年が変わった
私が高校の頃はバンドブーム‼︎
(80年代後半)
また音楽番組いかすバンド天国等
多くのバンドマンがデビュー。
と言っても関西では放送されてないのですが、
大阪も大阪城の公園でストリートバンドが流行り そこからシャ乱Qが生まれるくらいバンドブーム‼️
バブル経済もあり当時レコードからCD💿の時代なので、CDレンタルショップや家電でコンポなど売れに売れていました。
(どこがミニやねん⁉︎と言う昭和の高価なミニコンポ。欲しかったなぁ。当時の私はウォークマンでギリギリの予算でした)
私は家庭の借金終え、解放感に溢れ
貧乏と孤独をこじらせ、1人でトガッてましたね。
不良ではありませんでしたが、良く不良グループなどに絡まれました。
私はいつも1人なのですが、そのひょうひょうとした態度が気に喰わないのか不良達から
「いずれコロ○してやるからな」
と毎日脅されていましたが
私は
「おう!出来るもんなら、やってみたらええねん」
とタンカきって何食わぬ顔でひょうひょうと逃げてました。
キミが悪いのか一度も殴り合いのケンカは起きませんでした🤗
私は得体が知れないらしく、
変人の噂は立っていましたが別段と気にしないので余計に変人の拍車が掛かります。
まあ、1人が良かったので丁度良いです。
その時の思春期の私は
「日本が悪い、社会が悪い、政治が悪い、周りが悪い」
とフラストレーション夜露死苦‼️
と叫んでいた腐ったパンク少年でした。
当時の
『ブルーハーツ』
さんに凄いリスペクト。
ガンガンに聴いてました。
もう音楽から歌詞からカッコ良すぎ❣️今でも聴いてます‼️
(実は隠れて大江千里さんや永井真理子さん、岡村孝子さんを聴いていたのは内緒🤫)
ならブルーハーツの何の曲が勝負曲なの?
と聞かれましたら。
ブルーハーツじゃありません‼️
ええ、天邪鬼でスイマセン。
実は
私は19歳で念願の貯金100万円が貯まったので
【 満を辞して家出 】
して華の都、大東京に行ったんです‼️
その時は某中堅スーパーマーケットの鮮魚部門のサブチーフ。
大卒や母校の先輩達を差し置いてのスピード出世したのに、
給料も未来も保証されていたのに
『自由が欲しくて家出』
したんですよね。
アホですよね。
家出を決意した時に聞いていたのが
槇原敬之さん
『どんなときも。』(←ちゃんと句読点がいるんです。)
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クリックしたら曲に飛びます❣️
作詞・作曲 槇原敬之
僕の背中は自分が思うより正直かい?
誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ
旅立つ僕の為にちかったあの夢は
古ぼけた教室のすみにおきざりのまま
あの泥だらけのスニーカーじゃ追い越せないのは
電車でも時間でもなく僕かもしれないけど
※どんなときもどんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち抱きしめてたい
どんなときもどんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから
もしも他の誰かを知らずに傷つけても
絶対ゆずれない夢が僕にはあるよ
“昔は良かったね"といつも口にしながら
生きて行くのは本当に嫌だから
消えたいくらい辛い気持ち抱えていても
鏡の前笑ってみるまだ平気みたいだよ
どんなときもどんなときも
ビルの間きゅうくつそうに
落ちて行く夕陽に
焦る気持ち溶かして行こう
そしていつか誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるように
どんなときも。
を聴きながら
スポーツバッグとウォークマンを持って新幹線🚅に飛び乗って東京へ向かう気持ちは、
実はワクワクと不安が入り混じっておりました。
家出する時は、パンク少年では無く
1人の冒険家になったんですね。
(家出は、行き先もわからない大海原に飛び込んだ気分でしたよ‼️)
今でも
もちろん聴いてますよ!
特に
焦ったり、つまずいたり、新しい事をする時は聴いています。
何も考えずに飛び出したアホやったけど
チャレンジ精神は忘れたく無いもんですねぇ。
ちょっとノスタルジーにひたってしまった。笑
(=゚ω゚)ノ
2020/11/26 #9
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