重ねる経験、見える穴。
小説を書いてnoteに公開したのは半年前。
約半年前に私は小説を書き終えると、誰かに読んでもらいたいと思い、すぐにnoteで公開した。公開したものをたくさんの方に読んで頂き、ほとんど強制的に感想をお願いした結果、面白いと言っていただくことができた。来年の創作大賞に出したらと言う嬉しいお声をいただいたことを、私は忘れずにしつこく覚えていた。
猿は木に登るので、猿荻レオンという名に恥じぬよう、私は調子に乗り、波に乗り、ビックウエーブを巻き起こすぞと、ハイテンションで小説を書き直そうと記事を複製した。
自作の小説を読み直してみて、私は顔を両手で覆った。
非常に読みにくいと感じてしまったのだ。落とし穴だった。恥ずかしくなった。穴があったら入りたい。
いや、お前はもう自分の作った落とし穴に落ちている。アタタタタタ。
なんだか描写や説明が足りないような気もするし、副詞も多い。表現もワンパターンなような気がするし、主語が遠いし一文も長い。ああ、あれもこれもイケてない。いや、仕方ない。私の実力なんてそんなもんだ。知ってはいたが、なんだか「面白いのが書けたぞ!」と胸を張った自分が恥ずかしい。いや、今それに気づいたんです的な感想をここに書いていることすら、調子に乗っているような気がするぞ。多分また「はずかちい」ってなるぞ、私。
とは思うけど、まあ、そんなことはどうでもいい。恥ずかしいを繰り返していくうちに、恥ずかしくなくなってくることを私は知っている。ここは恥ずかしいところもさらけ出していこうぞ。
しかし冷静になって改めて考えてみる。
なぜ読みにくいと思ったのだろうか、と。
半年間で文章力が上がったから気づくのでは、と思いたい気持ちもあるが、それに関してはいくら自分のことを俯瞰で見たとしても、自己判断で結論づけるのは安易すぎるので、やめておく。
もし、半年間で何かが変わったとすれば、読書量ではないかと思っている。私はあまり読書をしない人間であったし、読むものも簡単なものが多かった。それに小説は年に5冊読めばいいくらいのものだった。しかし、小説を書こうとする人間が小説を読まないと言うことは、ルールも知らずに試合に出ようということだろうと考えた私は、自主的に小説を読み始めた。
爆発的に読書量が増えたと言うことでもないが、audibleも始めて隙間時間も小説で埋めるようにした。
そこで私は、面白い小説は描写や説明、人物像の書き込みがすごいなと感じた。面白いお話というのは、ストーリーが面白かったり、奇をてらったものが面白いのかなと思っていたのだが、そうではない気がした。面白いストーリーも斬新なアイデアも、心が動く小説は本当に登場人物がそこにいるような気がするほどに描写や設定が細かいと感じたのだ。
長ければいいということでも、書きすぎるということでもなく、読者を物語に引き込むためには共感や違和感を繰り返しながらストーリーを進めていくことが大切なのかもしれないとも思った。
そのためには、やはり書き込みが大切な気がした。
あまりに書き込めていないなと目を伏せたくなる気持ちを抑え、私は穴からはい上がり、自作小説を読者目線で書き直すことにした。書きたいことより、読みたいことを書いてみようと思った。書けるかどうかはさておき、全てはトライアンドエラーである。そう考えながら書いてみると、書いている最中は頭の中を言語化するのに精一杯で、読み手のことなど考えていなかったことに気づく。
読み返した時にも落とし穴に落ちたのに、書き直しながら、再び私は穴ポコに足を取られ、自分の作った落とし穴に落ちていく。掘り返しては、穴を埋め、また別の穴に落ちては、穴を埋めるを繰り返した。何が正しいのかわからなくなりながら、始めたことは完結させないと気持ちが悪いので、とりあえず完結させた。
まだ穴だらけだと思う。でも、もう目が疲れたので、これにて一旦終了。
まだまだ穴だらけであるとは思いますが、どうぞ、一緒に穴に落ちていただけると幸いです。
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