見出し画像

196歳のばあちゃん

私には長寿のばあちゃんがいる。

196歳ではないけど。
196歳とかだったら、ばあちゃんというより妖怪だ。

私は長寿のばあちゃんのおかげもあり、自分も100歳くらいまで生きるのだろうと信じて疑わない。

大正、昭和、平和、令和と元号を4つも越えている。
なんか羨ましい。
本人は、望んでないだろうけど。


ばあちゃんとの思い出


ばあちゃんは今は老人ホームに入っているが、90歳の手前ぐらいまでは一人暮らしをしていた。
ばあちゃんは料理人で、昔はじいちゃんと屋台を引いていたらしい。

ばあちゃんちに行けば、美味しいご飯が食べられた。
特に唐揚げは絶品で、かりじゅわのうまうまのやつだ。

そのばあちゃん、とてつもなく気が強い。
すぐに怒る。
孫にも容赦ない。

男の子には優しく、女の子には厳しいタイプ。
私はよく怒られた。

いつかの夏休みのこと。
ばあちゃんが、遊びにきた孫のために洋服を買っていてくれた。
私に買ってくれていたのは、ひらひらとした可愛い洋服だった。

私はその頃、男の子になりたいという謎の願望があった。
思春期特有の性の揺らぎのようなものが存在するのなら、たぶん、それだ。
調べたことないので、そんなのがあるのかどうかは定かではないが。

好きな洋服は、Tシャツにジーンズ。
ひらひらした服なんて絶対に着たくない。

ばあちゃんが私が喜ぶだろうと思って選んで買ってくれた洋服を、私は全く喜ばなかった。
むしろ、いらないくらい言ったんじゃなかろうか。

ひどい孫、ひどすぎる。
ばあちゃん、ごめんよ。

その後、ばあちゃんがキレたことは想像に難くない。

でも、そんなキレのいいばあちゃんが好きだ。

20代前後、専門学校と最初の職場がばあちゃんちから近かったこともあり、帰りに寄り道ができる時は、寄って帰った。
手土産を買って持っていったり、おやつを食べさせてもらったり。

ばあちゃんはエネルギッシュで、どこまでも健康のためと歩いて出かけていき、運動も欠かさなかった。娯楽も大好きで、テレビもよく見ていた。イケメンも好きだった。

私もばあちゃんと一緒に、映画を見に行ったり、ミュージカルを見に行った。
ライオンキングも一緒に見に行った。
面白かったが、ミュージカルはどうも私には合わなかったようで、途中で寝た気がするけど。


そんなばあちゃんには、誕生日がふたつある。
大正14年6月9日に生まれたらしいが、住民票などは8月1日になっているらしい。

どうも、6と9の数字がくっついていたみたいだ。
9の上の丸いとこが、6の上のとこにくっついて、なぜか8月1日になったらしい。
手書きの書類を見たことがあるが、確かに6月9日にも8月1日にも、どちらにも見えた。

なので、ばあちゃんには誕生日がふたつある。
ロックなばあちゃんは、冗談めかして誕生日プレゼントを二つ要求していた。


ばあちゃん、ひさしぶり。


今日、散歩をしていたら、偶然母に会った。
今から、ばあちゃんの施設に行くという。

暇つぶしに散歩していたので、私はついて行くことにした。

母の話によると、もう孫のことは覚えていないらしい。
寂しいけど、仕方ない。

けど、男の孫のことは覚えているらしい。
ばあちゃんも女だから、仕方ない。

おいおい、どっちも覚えておいてくれよ。
それか、どっちも忘れといてくれよ。

本当に忘れてたら、KSBBAとイヤミの一つくらい言ってやろう。
という気持ちで施設に乗り込んだ。

コロナ禍は全く会えなかったので、会うのは4年ぶりくらいだ。

ばあちゃんは、期待を裏切らず私のことを覚えていなかった。
「誰やったかねえ。思い出せんねえ」
と言った。

元気そうで良かったという思いと、なんだか胸がギュッと切なくなって、涙がポロポロと溢れた。
「マスクはずして」と言われてマスクをはずしたけど、やっぱり思い出してもらえなかった。

悲しいなあ。切ないなあ。
そんなもんなんだろうなあ。

母が「私もこんなふうになるかもね」と言ったが、娘のことを忘れたら許さんぞ。
悲しくて、悪態つくぞ。

溢れそうになる涙を抑えながら、話をした。

少し話をしたら、ばあちゃんが
「ああ、思い出した」と名前を呼んでくれた。
私はぼろぼろと泣いた。

「長男、でっかくなったんやない?」
と思い出してくれたので、高校生になった息子の写真を見せた。


施設のご飯は美味しいらしい。
部屋の外には、春になれば桜がいっぱいの景色が見れるらしい。

耳も遠くなって、自分で歩けなくなって、不満もあるみたいだけど、
ばあちゃんの笑顔は穏やかだった。



この記事が参加している募集

#今こんな気分

75,574件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?