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舞台After Life 感想

私は、イケメンが好きだ。
そして、ジャニーズが好きだ。
さらには、KAT-TUNが好きだ。

舞台After Lifeを見てきた


私は舞台を見に行くような人生を通ってきてはいない。
しかし、KAT-TUNの上田くんの舞台が福岡にやってくると言うので、見に行った。

是枝裕和監督の映画「ワンダフルライフ」を海外で舞台化したものを、逆輸入した作品。

「たった1つの思い出だけを持って永遠の時間を過ごすとしたら、あなたは何を選びますか?」と言う内容。

死後から、その先の世界に行くまでの七日間の話で、自分の人生の中から思い出を選ぶという話だ。
その選んだ思い出で、永遠の時間を過ごすらしい。

内容については、ワンダフルライフの感想などなどを読んでいただいた方が早いので、ここでは省略する。

私は初めての舞台観劇に、緊張した。

観劇マナーがなっていないとか言われたくないし。
年齢だけは十分にいい大人なもんで。

一応マナーなるものを下調べして参戦した。

しかし、幕が上がると、思った以上に静かなことに驚いた。


シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン


としている。


やばい、こう言う時に、おならがしたくなる不思議。
ほら、法事の時とかにおならしたくなるやつ。

大丈夫、さすがにおならはしなかった。
怪しかったけど、スカしたりもしていない。


舞台の上の上田くんはとてもかわいかった。
いつもはかっこいいのだが、非常に好青年でかわいい役柄だった。

一瞬、これって上田くんか?
と思ったが、足の長さとスタイルの良さは間違いなく上田竜也そのものだった。

上田くん以外の役者さんも、みなさん魅力的で素敵だった。

相島さんのハーモニカと、ナレーション的なやつと最後の挨拶も素敵だった。


私はずっと上田くんと一緒に泣いていた。
私のハンドタオルはびしょびしょで、途中、鼻が詰まってしまったので、周りの席の方には申し訳なかった。


思い出を持って行くこと


私には夢がある。

夢というと語弊があるが、私が死んだ後にやってもらいたいことがある。

私は写真を撮るのも好きなので、息子たちの写真やあいうえお作文をアルバムにしている。
製本してくれるサービスで製本している。

最近はめっきりめんどくさくなって、ここ2年ほどその作業はおざなりになっているが、できればずっとその作業は続けていたいと思っている。

なぜ製本にこだわるのかというと、そのアルバムを棺に入れてほしいと思っているからだ。

できれば100歳まで、健康に長生きして、その棺に製本されたアルバムをたくさん詰めてほしい。

詰める時は息子たちに、こんなこともあったね、と思い出してほしい。

そして、あのババア、こんなにアルバム作っとったんやね。
と言われながら、送り出してほしい。

そう思っている。

私の先の長く、壮大な、ささやかな夢である。

なので、1つだけ思い出をと問われる舞台をみて、困惑した。

え?

ひとつとか無理じゃない?

両手に抱きれないほどの思い出を抱えて死にたい。
そう考える私には、あまりに難しすぎる問いかけだった。

After Lifeで考える思い出とは、必ずしもいい思い出だけではない。
素敵な思い出の中で永遠に時を過ごす、ということだけではなさそうだった。


あなたの人生を象徴する何か。


まだ私にその問いの答えはない。


しかし、劇中で相島さんが(役名とか覚えてない)、
「答えを見つけろ、見つからなければ問題を楽しめ」
と言った。


その印象的なセリフに導かれるように、私は観劇中、自分の持っていく思い出について考え続けた。


今日の私の答え


観劇後も、余韻を楽しみつつ、答えを探すことになった。

別に今日答えが出なくたっていいんだけど、今日の私の答えが知りたい。


こうなると、死生観について考えなくてはならなくなってくる。


私はもともと、死後の世界について考えることが好きだった。
どこから来るのかについて考えることも好きだ。

答えがないからこそ、考える。

超次元的な話であり、そこにファンタジー要素もあるから、現実として向き合うというよりかは、何か別次元の話として興味があるのかもしれない。

ここ数年は、自分の思考回路がどういう価値観に由来しているのかが知りたくて、うわずみ程度だが、宗教的な本も読んでみたりした。


そんな私は、死後の世界に思いを馳せるより、今をどう生きるかを考える方が有意義じゃないかという、当たり前の結論に至った。


死後の世界に興味はあるが、そこに固執するあまり今を疎かにしては本末転倒だな、と。


となれば、選び抜かれた思い出一つの中で永遠に生きるなんて、言葉が悪いが気持ちが悪い

現世に後ろ髪引かれすぎだ。

悔いのない人生を送りたいと思っているのに、何かに固執するなんて私の理想とはかけ離れすぎている。

抱えきれないほどの思い出は持っていきたいが、それに囚われたいわけではない。

過去の人生という甘く柔らかい牢獄に囚われる死後なんか、願い下げだ。

という結論に至った。


どうしても選ばなければならないなら、死ぬ直前の天井のしみの映像でいい。

願わくば、自宅の天井のしみで。



明日以降の私へ

オープンな場所で、死生観について語っている自分の記事を読み、きっと反省していることと思います。
しかし、これは感想なので、気に病む必要はありません。
さらには、酒を飲んでいるので、全くに気に病む必要はありません。
死生観なんて、その時々の生きてる状況で変わるものです。
明日は別の意見や考え方でもいい。
今日の私がこうだったんだなという、優しい目で見てあげてください。



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