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涙腺に、防波堤なんてすでにない。

noteを始めて、よく泣いている。

自分のことをアウトプットする。
どうしても、泣いてしまう。

吹き溜まっていた言葉たちは、涙と一緒に流れてしまう。

誤字がないかと読み返すとき、
その頃の感情がフラッシュバックする。

元来、泣き虫なんだ。
私は。

仕事で苦情を言われた時も、トイレにこもっては泣いていた。
壁を殴りもしたけど。

ひとりぼっちになった時だって、泣いた。
私の涙はいつも枯れたりしない。
どんな時だって、泣いている。

堂々と泣いてたり、こっそりと泣いてたり。

私は感情を上手に吐けないのかもしれない。
いや、多分、私だけじゃないよね。

みんな、みんな、我慢してる。
言いたいこと、多分、いっぱいある。

私はそれを、どう吐き出していいかわからない。
正解なんてないのに、どう吐き出すのが正解かを探すんだ。

友達とお酒を飲みながら、笑い話に変えてみたり。
恋人に甘えながら、愚痴にしてみたり。
家族と話しながら、経験談にしてみたり。

でもね、そこで話すのは、抽出された一部なんだよ。
全てなんて、誰も聞いちゃくれない。
語り尽くせやしない。

私だって、聞いてやる余裕なんてないんだ。
自分の全てを聞いてもらえる場所なんてそうそうない。
誰しも、いろんな感情を持っているんだから。

そんな風にして、私の中に、誰かの中に、言葉は感情は吹き溜まる。

吹き溜まった言葉は、感情は、成長をさせてくれるかもしれないけど。
いい感じに燻されて経験になるかもしれないけど。

そんなことを思いながら、noteを書いては泣いたりする。

そして、noteの街を徘徊すると、いろんな人の感情を目の当たりにする。

日常生活では、全てを語りきれない。
しかし、ここでは細部まで語ることが、できる。
しなくてもいいけど。

その、何かを。
目の当たりにして。

エッセイかもしれない、詩かもしれない、小説かもしれない、日記かも。
誰かの頭の中を覗きたい変態は、覗いては泣いている。

二ヶ月ほど前には存在したはずの涙腺の堤防はすでに壊れてしまった。

素敵な世の中だ。
涙を流せるほどに、受け取れる世界。

私は、人の話をちゃんと聞きたかったのかもしれない。
そして、ちゃんと話したかったのかもしれない。

創作の街では、みな、手法を尽くして自分を語る。
自分の一部を曝け出す。

誤魔化しがあってもいい。
誤魔化しがなくてもいい。

それも全てじゃないか。
その時々で、表現は異なるのだ。

楽しい話でも、悲しい話でも、いつもの話でも、面白い話でも、
私は誰かが話しているのが好きなんだ。

一人ぼっちでも、一人ぼっちじゃなくても、
誰かの話が聞こえてくるのが好きだったんだ。

私は、今、多分、酔っ払っている。
音楽を聴きながら。

音楽と一緒に飲むお酒って、美味しいんだよ。
気持ちよくて、ふわふわする。
いや、その前からふわふわはしてるけど。

勢いで書いたから、あとで読み返したら、青いなって思うかもしれないけど。
全部をお酒のせいにして、頭の中を覗いてもらおうとしている。

これだって、私の感情の一部なんだよって。







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