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人生に、文章で彩りを。

今日もあなたは、元気に悩んでいるのでしょうか。


なぜ、私は今日も文章を書いているのか、と。

産み落とされたばかりの赤子は、なぜ息をするかなんて考えていない。だから私はそれと同じで「なぜ、書くのか」ということを考える必要はないと思っています。

でもあなたは、きっと今日も必死になって、「なんで今日も私は文章を書くのだろうか」と、自分の心や頭の中を探っていることでしょう。

だから今日は、あなたと一緒にあなたが書く理由を考えてみたいと思っています。


「なぜ、生きているんですか?」

そう尋ねられた時と同じくらいに、「なぜ、書くんですか?」と聞かれると答えに窮してしまうあなた。
私がその質問をしなくても、自分でその問いを投げかけ、そして、答えをあなたなりに探していることと思います。

それはたぶん、あなたがあまりに夢中になって文章を書いているからかもしれません。でも、明確な理由がわからないから、不安になる。だから理由を探す。なぜなら人は、理由がある方が安心できるから。

毎日毎日、何かを書いてはnoteに公開したり、いつ書き終わるとも分からない小説を書いてみたり。noteを読んだり小説を読んだり、文章に関する本を読んでみたり。推し活もそっちのけで、文章のことばかりを考えている。

きっとあなたは、なんでこんなことをしているんだろうと不思議なのかもしれません。これが何に繋がるかもわからないし、何のためにやっているかもわからない。時間ばかりが過ぎていき、目的地もなく彷徨っている気分なのかもしれません。あなたは、さながら文章の森に迷い込んだような気持ちなのでしょうか。



👣


ーー毎日毎日、なんでここを歩いているんだろうと、歩きながら考えている。文章という森をあてもなく、ずっと。

歩いていると誰かが食べ物を恵んでくれたり、地図を与えてくれたり、励ましてくれたりする。初めて歩く道ばかりなので、見たことのない景色を見て感動したりもする。たまに靴擦れができたりもする。もっと先を行く人の足跡を見つけては、途方に暮れたりもした。なんでこんな場所に来てしまったんだろうと、思わずため息が溢れる。

そんな風に思うのは、大抵夜で、月明かりの下でついつい酒を煽るからいけない。

寝てしまったら、いつの間にか夜が明けている。昨日のため息は朝露に濡れて、太陽の熱で蒸発してしまう。あんなに悩んでいたのに、陽の光はあまりに眩しくて、まるで向日葵のようにそちらを向いてしまうのだ。途方に暮れたことも忘れ、明るい光を求めて、また彷徨い始める。

歩くのに苦痛はない。

出会う人々は優しいし、歩くこと自体は楽しい。時折、疲れてしまうのは仕方のないことだ。ただ、目的地がわからないのが、もどかしい。出会う人々は、目を輝かせて目的地を語るのに、私はそれができないのが情けない。理由なんていらないんだよ、と優しく声をかけてもらうと、それでいいのかもしれないと思うけれど、理由もなくいつまで歩き続ければいいものかと不安にもなる。

だから、誰かの理由を真似してみたりもする。

子どもたちとの旅の記録をつけるんだ。
僕の言葉を本にして売るんだよ。
この旅は経験になる。
筋力を、財力をつけるために歩くんだ。
私がこの経験で身につけた知識をたくさんの人に教えたいの。
友達を探してるんだ。
とにかく知見を広げたい。

どれも素敵で、どれもいいなぁと思う。
でも、それが私の目的地かどうかと尋ねられると、首を傾げてしまうけれど。

👣

地図や目的地があれば、あなたも安心して歩みを進めることができるのかもしれない。でも、私は必ずしも理由や目的を定める必要はないと考えています。

あなたの本棚の奥の方にある、一冊の本を手に取ってみてください。

いつかのあなたが大切にしていた本。
それは、どこかの誰かが、世界中を旅して綴った言葉と写真の本です。大きな書店でたまたま目について買った本でした。それは、あなたが少し悩んでいる時期だったと私は記憶しています。

狭い世界で、ギチギチのルールで生きるのが息苦しかった時、その本の中の世界はとても広かった。空はどの国にもあって、等しくみんなの頭の上にあり、そして、空はどこまでも繋がっている。そんな当たり前のことをその本は気づかせてくれて、そして大きく深呼吸ができたのではなかったでしょうか。

不自由さを感じながら生活していたあなたは、その本を読んで、世界は広いと感じ、せめて心だけは自由でありたいと思ったはずです。息苦しくても、心が自由だったら生きやすいと信じて。

息をするのは体だけど、息をするのは心だと。

その本の筆者は目的地もなく旅をしていました。
だから、それでいいんだと思います。そういう旅があってもいいんじゃないかと私は思います。書くことは旅のしおりを持って出かける旅行ではないのだから。

生きることに目的地がないように、
書くことに目的地がなくたっていい。

心が自由であれば息がしやすいように、
書くことが自由であってもいい。

私はそう思います。


もし、どうしてもあなたが理由を求めるなら、
あなたの人生を彩るために書いて欲しい。


白い画面でも、白い紙の上でもいい。
文字は黒くたっていい。
そこに、人生を彩るたくさんの文章を残して欲しい。


誰かと過ごした思い出や、
目に映る美しいもの。
悔しくて悲しくて涙したことや、
あなたが学んだこと。
頭の中の突飛な出来事や、
ありふれた日常。


それらは全て、あなたの人生を彩るはずです。
人生にページがあるのなら、何ページだって、懲りずにたくさん書き残してください。


それが、あなたの書く理由です。








藤原華さんの自主noteコンテスト #なぜ私は書くのか に参加しました。

「なんで書いてるの?」って聞かれると、正直、答えるのが難しいなと思いました。
多分、文章を書いてない人に聞かれたら、適当に当たり障りのないことを答えるような気がします。でも、文章を書いている人には誤魔化しが効かないような気がして、ちゃんと真剣に考えてみました。

本当に何で書いてるのかがわからないなあと思っていた日々なので、いいきっかけを頂いたなと思っています。

答えを決めず、書く理由を探しながら書きました。しっくりくる答えが出ず、書き直したりもしましたが、今はすごくスッキリしています。
自分目線で考えると、どうしてもドツボにハマりそうだったので、自分を俯瞰でみた問いかけの形にしてみました。とはいえ、この理由も一過性のような気もしているし、また変わる気もします。結局のところ、その時々で書く理由は変わっていくだろうなと感じました。

皆さんの書く理由も読んでみたいな、と感じました。
どんな理由で書いてるんだろう。気になる。

主催者である華さんが、参考作品を書いていらっしゃいますが、読んでみると、こっちが「自分の文章に自信がなくなって吐くわ」という熱量の記事でした。華さんは、マジで熱量がすごい。汚部屋を片付けたやつもすごいけど、何をするにしても全力投球な印象があります。しかも、行き当たりばったりではなく、計算され尽くしてるところがすごい。創作大賞の有料記事も読ませて頂いたけど、エグかった。そこまでするのか。そうだよな、と思いました。完全に獲りに行ってる。そして結果を残されてるから説得力がエグい。さらに文章に愛があって、要所要所笑いも入っていてスッと心に入ってきて読みやすいなぁと。

ということで、華さん!熱い企画をありがとうございました!



結論

Q|なぜ、私は書くのか。
A|人生を彩るためです。

THE自問自答




ちなみに昨日でnote始めて一周年だった!
いいタイミングで書く理由を考えられた!
読んでくださる皆さんありがとうございます!
2年目もどうぞよろしくお願いします☺︎




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