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「サルタナ」の、始まりの始まり

 そういえば今まで書いていなかったので、書きます。
 僕がなんで会社を辞め「カレーとシンセサイザーの店」というミョウチキリンな業態で独立しようと思ったのか。

 まず30歳のころから「宮仕えのまま一生を過ごしたくない」という、何となくの感覚はありました。会社も55歳で早期退職して、その後は「余生」として独立するなり非営利団体で働くなり、いずれにせよ自由で楽に生きたいと考えていました。

 ただその頃は今よりもバカだったし、独立して何をするか?と考えたときに「コンセプトを設定した雑貨屋」くらいしか思い浮かばなかった。今になって「あの時点で独立してたら、100%失敗してたろうな」と考えています。雑貨屋で「自分が気に入った商品」を揃えようとしたら、無数の仕入れルートを持っていなければいけないし、在庫の回転率もかなり低くなるはずなので、商売としてはまず失敗していただろうな、と今になって思っています。

 30歳のころから「会社を辞めたい」とは思っていてそれから15年。

 仕事が「好き」だった事はありません。しかし人材不足の会社で、高度な業務については僕を含めて2名程度にしかできない、ということもあり、何となく続けてきました。
 ただ、社内事情が変わり、直近の5年間は本当に仕事がきつかった。会社の変革期にものすごい苦労を共に乗り越えてくれた、乗り越えさせてくれた上司も辞めてしまい、そして変革期の後に新しく入ってきた上司はそんな「ものすごい苦労」なんか知らない。
 その時点で、今までしてきた仕事上の苦労に対して、これ以上ないほどのむなしさを感じました。と同時に、会社に対するロイヤルティー(忠誠心)を完全に失いました。

 しかも、変革前と比較して仕事のボリュームも増え、求められる精度も上がってゆきました。
 僕は基本的に残業をしない人間なので、特段の理由がない限り、定時で帰っていました。だから一般的には加重労働にはあたらないと思いますが、短時間で、複雑かつ精度の高い業務をこなす必要があり、そのストレスがどんどん溜まってきたのだと思います。

 そして昨年の6月に体調が悪くなり、物が食べられなくなり、飲み物も飲めなくなり、激しい味覚障害になり、隣室で奥さんがテレビを見て笑っていることにも耐えられなくなって「本当に申し訳ないけど、笑わないでくれる?」と頼んだこともあります。
 さらにベッドの中で「死にたい。消え去りたい」と考えるようになったので、これはまずいと思い、奥さんに頼んで精神科を予約してもらって受診したところ「中等度の鬱」と診断されました。で、それ以来、ずっと休職している身です。
 なお、その頃と比べるとずいぶん良くなり、今は「継続期(回復期)」と診断されています。

 で、鬱になった理由について考えたとき、きっかけはプライベートな話(言葉の行き違いから、心から尊敬している友人から絶縁された)であったことは確かです。
 しかしそれは飽くまでもきっかけに過ぎず、仕事上のストレスと、田舎住まい故、文化と遮断された環境(※)に身を置くことに耐えられなくなったのが、本質的な理由だと自分なりに考えるようになりました。
※例えば僕の職場には100名程度の同僚がいますが「ヒッチコック」という名前を知っているのは恐らく僕ともう一人の2名だけだと思います。そういう環境です。

 今までは主にブログやTwitterを通じて、尊敬できる友人とコミュニケートできていましたが、ブログが廃れ、Twitterでも人対人のつながりはどんどん弱くなっている気がします。
 で「文化的やり取りがWebで出来なくなったら、リアルな世界へ飛び出すしかない!」と考え、まず会社を辞めて、文化度の高い土地への移住を決めました(※)関東に住む友人から「お前みたいに文化的資本を持っている人間は、田舎に引っ込んでいるべきではない!」と言われたことも退職・移住決定の大きな後押しになりました。
 その時点では東京、京都、神戸、大阪、福岡、また松山なんかも候補でした。
※東京にも事業所はあるのですが、僕が就くようなポストがないため、退職が前提となりました。

 でも「どうやって稼ぐの?」という問題が当然、出てきます。45歳だと再就職は難しい。少なくとも現状の年収700万円出してくれるようなところは皆無だろうし、それ以前に「もう宮仕えはしたくない」という気持ちもある。

 そうすると「独立」という選択肢が出てくるわけです。それで「自分には何ができるんだろうか?」という事を整理してみました。
 会社で働いている中で「経営論、マーケティング論、労基法、基本的な財務諸表の見方」については身に付いてはいました。あとはExcel VBAに関してはかなり自信がありますが、資格は持っていません。
 この程度では、中途半端すぎてコンサル業みたいなもので生計を立てるのは無理でしょう。

 そこで思い出したのが、友人から言われた一言です。音楽の話をしていて、僕が「うちにはシンセサイザーとかエフェクターが山ほどあるけど、使えてないんだよねー」と言うと彼は一言「機材が泣いてるよ」と静かに応えてくれました。
 そうだ、僕が持っている資産と言えばシンセを中心とした音響機器だ!と思ったのです。そこでこれらの機材を、お客さんが自由に使えるようなスペースがあればいいんじゃないか?と考えたのです。
 だから、スタート地点は「シンセサイザー」です。ヴィンテージ品や王道のシンセから、初心者向けのアナログシンセや、あるいはサンプラーを用意して、みんなに触ってもらえる店、というのが基本コンセプトとして生まれました。

 で、たまたまその頃、とあるWebサイトで知ったカレーのレシピでチキンカレー(基本は北インド風)を作ってみたら、自分でも驚くほどうまいカレーが出来たんですね。それから、少しずつレシピに手を入れて今に至る、という感じです。
 ただ、僕はカレー店ってほとんど入ったことがなかったので、都市部に出て、とある全国的に有名なカレー店(ココ壱じゃないよ!)に行って「北インド風バターチキンカレー」を試しに食べてみました。
 で、食べた直後にトイレに行って全部吐きました。つまり、あまりにコッテリしすぎている。量も多すぎる。
 僕が作るカレーは北インドベースではありますが、バターを使わず(ギーは使ってますが)サラサラでかつ薄味です。で「こういうカレーに対する需要もあるんじゃないか?」と思ったんです。
 コッテリ好きのお客さん向けにはトッピング(バター+生クリーム+カシューナッツバター)を用意すればいいし、濃い味の好きな人のためには、各テーブルにリーペリンソース(ウスターソース)を置いておけば良いんじゃないか?という風に感じました。

 実は、料理旅館のオーナーシェフである友人に、僕のカレーを試食してもらったところ「絶対失敗する」と言われました。東京に行ったら流行のカレーのスタイルを調査して、レシピは若干変えるかもしれませんが、現状の基本枠から大きく逸脱はさせないつもりです。
 だいたい始まりは「シンセ」なんです。カレーは正副で言うところの「副」です。そう言ってしまうと「飲食店バカにしてんのか!」という怒りを買うかもしれませんが、僕が作るようなあっさり薄味のカレーに対する需要は女性を中心に必ずあるはずだと考えています。

 ずいぶん長くなりました。なぜ僕が会社を辞め「サルタナ」という「カレーとシンセサイザーの店」なんていうケッタイな店を出したいと思うに至ったか、については以上です。
 そして「そこまでコンセプトが尖っていては、場所は東京しかないだろう」と考えて、移住先を東京に決めました。

 待ってろよ!>首都圏の人たち

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