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たまには、恥ずかしくなること言いたい。

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楽しいとか、幸せとか、生き方について、ぼくのやわい哲学です。
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黄色い車、かわいい子。

僕はずっと思っていた。 スズキのlapinに乗ってる女の子は総じて可愛いって。 街角アンケートを取ったなら、そこそこの支持が得られと思っている。 この話には続きがある。 普段乗らない車を運転する時、僕は反対車線を走る車を失くし物を探すかのように目で追っている。そういう自分に気がついたのは最近のことだ。 彼女と別れたのも最近のこと。3ヶ月前のこと。ボクのカノジョだったヒトも、lapinに乗る女性だった、黄色くて、小さい車がよく似合っていた。 僕が初めて黄色いlapinに乗

平成31年4月1日に書いておきたい。

このまま実家に居たら泣いてしまいそうだった。少し急ぐように、僕は21時27分発の電車に乗ることにした。 5分かけて、最寄駅へ向かう。 時刻は21時02分。 「れいわ」と呼ばれる新元号が発表されて、 9時間半くらいが経とうとしている。 僕も家を出る。まだ風は冷たい。 何か始まる時、例えば小学校から中学へ上がる時だって、高校を卒業する時ですら、どこか間の抜けたような気分で、僕はいた。 心の中では、これから始まる新生活というコトに対してだって、間の抜けたいつもの僕でいたいの

仕舞えない引き出し

高校を卒業してから4年が経って、今日、最後の大学の定期試験だって終わって、定期的に誰かにナニカを試されるようなこともなくなって、だから多分、これからは死ぬまで断続的に試され続ける日々が、今日始まったんだと思う。 試されることに慣れないうちは、今ドコでナニしてるかを自分に問いかけ、Who am I ?なんて言って聞きたくなっちゃうような、ただ唯一ヒゲが伸びてくると、「あぁ生きてる」と分かるような日々なのかもしれない。 地下アイドルを追いかけたり、インディーズバンドに陶酔する

自信の無い日々でもさ、

思いも拠らない時に、なにか私の心が、息を吹き返すようなことに出会う。 週5で5時起きして、小一時間運転して、7時から14時くらいまででっち奉公というか、パン作り修行して、夜17時からファミレストとか、居酒屋でバイトする日々が続いている。 ほら、妹2人のスマホ代と、カノジョとのデート代くらいは、持ってなきゃいけないからね。 当然無給の修行は、毎日出来ないこと続きで、「また明日も頑張らねば」と、「でも今日もよくやったよ」と、手繰り寄せるように自信の無い日々を送っている。パン生

手に取ることもできない「ありふれた」

大学に、一応、週1日通っている。私は大学4年生。 いつも、自室のベットと、修行先のパン屋を往復する1週間の、ほんのわずかな時間に大学へ行くと、当たり前のように、知らないヒトが、同じ場所にたくさんいる。 大学へ行っても1人で受講して、1人帰って来るのだけど、「あぁ、もしあの時、」なんて考えちゃう日も、まあまあある。 「もしあの時、バイト辞めてなかったら」とか、「もしあの子と仲良しでいられたら」とか、「今のぼく」とは違う「私」を、ほんのわずかに妄想してみる。イイ気持ちにも、

忘れ去った孤独、思い出した孤独。

私だって、普通に生活してたら「カノジョに会いたいなぁ」なんていう衝動に駆られる日もあるのだ。そんな日は決まって、沢山散歩して、沢山本を読む。 今この時代に生まれてきたから、正直、簡単に2人になれる。会わなくても2人になれるし、「会わない?」って声をかけるハードルも、随分低い。 のだけど、そういえば、伊丹十三がこんなことを言っていた。 ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰ったときこ

肉食って噛みきれない。

肉を肉の塊を、ハンバーグを食うと美味い。 脳が喜ぶアブラが美味い。 ただそんな夜は、えてして別れが辛い。1人で肉を食うほど豊かでないし、特別な2人の夜でしか肉なんか食えない。 柔らかい肉を食っても、どこかやるせなくて、噛み切ってしまってはもったなくて、喉を通してしまっては別れの時間が近くなってしまうではないか。 なんて言ってアツアツの肉はどんどこ冷めて行く。 寂しさにかまけて肉食っても噛みきれないのだ。 歯切れの良い別れが欲しい。 サバっとした大人の恋が、私には

結局、明日の雨は降るのか。

たまに見るテレビの週間天気予報なんかで、雨が3日後に迫って、それが3日も続くらしいとなると、なんだかそうそうにまいってしまう。 傲慢なことに、私は雨が降るらしいなんて聞くのが嫌いで、「お外で遊べなくなるじゃんか。」と小学生の頃から、その傲慢さは、まるで変わっていない。 なんとなく、毎日晴れているのが当たり前で、珍しく雨が降るときに限って、一人でぶらぶらやろうなんていう日で困ってしまう。 人類がコレまで、幾度、天気を占ってきたか。皆がスマホを持ち歩いている今現在でさえ、明

どうしてそういうことになってしまうのかという日々

平日のわけ分からん時間にテレビを付けると決まって青汁か掃除機のテレビショッピングが流れていて、「誰が毎日そんなに掃除機を買うのか。」と不思議に思う。 テレビショッピングと言うのは、ギリギリ売れなさそうな商品をチョイスする。もっとトイレットペーパーとか、サランラップだとか、確実に明日も使うものを売れば、世のおば様方は、「孫もいないのにデジタルカメラ買っちゃったわ」なんてことにはならんのだ。 テレビショッピング自体を否定する気はないにせよ、「どうしてそういうことになるのか」と

誰かに頼まれたわけじゃないけど、「クリーニング屋さんになったら。」。

薄いピンクと色づいてきた芝生の写真が、同級生の就活しているらしい写真とSNSに流れるようになった。 もう、まったくもって、春である。 私も春にあやかって「仮想・就活日記」なるものを創ってみようかと思ったり、思わなかったり。少なくとも、「もし仮に、」を考えることは、楽しそうだ。 都会にはもちろんクリーニング屋さんがあると思う。けれども、田舎にも郵便局くらいの間隔でクリーニング屋さんがあることが、長年の不思議だ。 「田舎の人たちは、そんなにYシャツ着るかねぇ。」 なんて

おでこは広くてもいい。

おでこの広い私が言うのだから、おでこは広くても問題ない。 けれども、なにがどう問題無いのか、また同様になにが問題なのかを明白化することは、 ほんの少し難しくて、 それはどこか、「なぜ御社を希望するか」に似ている。 中学の頃、好きな女の子にラブレターを書いて渡したことがある。 プロ野球のドラフトにもかかるような先生が率いる、陸軍もとい、野球部に所属していた私は、おでこ丸出しの坊主を引退まで貫いた。 頬にはニキビ、頭は坊主、そんな僕が いや、私が「あの子」に向けて書いた人

創作することから都合よく逃げた後記

毎日何かを創作し、「仕向ける」ことは、しんどくて楽しい沼みたいなものだ。 「はじめまして」とか、「久しぶり、元気にしてる?」 なんてことない挨拶より先にフォローされたり、したり、コメントが飛んでくることで突如出現する「関係性」の濃厚な旨みを知ってしまったら、まぁそう易々と抜け出せないんじゃないかと思う。 ただやはり、そうは言ったって創作は時として「うぅ、しんどい。」 創作を料理だとするなら、最後に味をキメる塩一つまみが、創作における「アイデア」だ。 日々の蓄積から紡

揺れるって聞くと、ほのかに昂ぶる。

時間というのは無常で、今日の随筆の進歩状況とは裏腹に、早くも25時を回ろうとしている。 眠い目をこしくりながら、そういえば一昨日、小学生の頃から大好きな友達が、「エントリーシートがまとまらないから、手伝って。」と、送信してきた下書きには、「震災以降、当たり前が当たり前ではなくなり、安心安全な社会が、…」と、素直な志望動機と前フリが書いてあった。 安眠安全を望む私のように平凡でも、平均的でも、仮に極貧であっても、日々の営みの中で「わっ」と昂ぶる瞬間はやってくる。 身に染み

なんだかんだで、父も職人。

普段、私が実家のパン屋をお手伝いすることと言えば、老人ホームへの配達くらいのもので、生地を丸めたり、餡子を詰めたりなんだりっていうザ・パン屋的なことはしない。 そんな私にも、年に2度、パンを作るところから手伝う日がある。 そして今日がその内の一日だった。 パン屋の朝は早くて、我が家は、大概3時から始まる。 一次発酵を済ませたパン生地を形成する場面から今日のお手伝いが始まり父や母に比べてだいぶ出遅れての登場ではあるが、それでも朝5時前には、工場に参上した。 5時といえ