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家族の理由

10日後に、実家の犬が15歳を迎える。
彼女がうちにやってきたのはちょうど私が一年の留学を終え、ドイツから帰ってくる直前だった。犬がやってきたことは私には知らされておらず、実家に帰ってドアを開けたら小さな黒い塊が突進してきて驚いた。

犬の名前はララと言う。犬種はミニチュアシュナウザー。
当時一緒に暮らしていた姉が、突然買ってきたらしい。

その後姉は結婚に伴い実家を出ていき、引越し先ではペットを飼えなかったので、犬は両親と私と暮らすようになった。彼女が6歳になる頃に私も実家を出て一人暮らしを始め、以降は実家に顔を出す際にのみ会えるようになった。時折母から送られてくる写真を見ては、目を細めた。

彼女はエピソードに事欠かない。尋常ならざる食い意地と、妙に知恵の回る頭で、隙あらば食べ物を探していた。お昼に持っていったサンドイッチを食べたら中身が抜かれていたこともあったし、いい匂いのするハンドクリームをいつの間にか舐めまわしていたこともあった。帰宅したら菜箸をキッチンから落としてバリバリ食べていて、箸がちっちゃくなってたこともあったっけ。

この15年、我が家の中心にはララがいた。
甥が生まれ、姪が生まれ、家族が増えていっても、私たち家族の彼女への気持ちには何の変わりもなかった。生まれてこのかた大きな病気ひとつせず、いつも私たちに愛を与えてくれた。

14歳の誕生日が近づいた頃から、彼女の様子は変化してきた。
お気に入りのソファに登れなくなった。階段をつけ、まずは一段、次は二段とステップを増やしていったが、それでも登れなくなったのは去年の夏だった。そして時折、トイレでない場所で粗相をするようになった。これまでそんなことは一度たりともなかったのに。お留守番の時にはオムツをつけるようになった。

秋になると片方の後ろ足をびっこを引いて歩くようになり、いよいよ病院通いが常態化した。レントゲンを撮っても、何も映らない。薬を飲むと少し良くなるけど、やめるとまた元通り。母は何度も何度もララを病院に連れていった。前足と後ろ足の両方を支えて散歩をさせ、家の中で動けなくなっていないか、常に様子を見る必要があった。

この頃には、母に泊まりの仕事が入ると、「ヘルプ」を頼まれるようになった。
実家に泊まり、父と犬の面倒を見ながら在宅仕事をする。犬も心配だけど、人間の生活もある。母の習い事や生活の楽しみも、奪われてほしくはない。私は出来る限りの「ヘルプ」に応じた。


去年の11月、私の精神状態はあまり良くなかった。
論文も思ったように進んでいない。婚活もしてみたけれど、絶望的につまらない。1人でバカでかい家に住み、貯金は目減りしていた。このまま何もないのかな、と思っていたある日、朝起きて、「死にたい」と言う言葉が口から出た。

一度経験しているので、これが一つの「サイン」であることはわかっていた。何か策を講じなければ、と思っているときに、人生最大の恋が訪れた。予期せぬ恋に、私の心は踊った。しかし、浮かれる私と反対に、相手は段々と苦しみ始めた。

クリスマスの翌日、母から電話を受けた。

年末に帰省する前に、PCR検査をしてこいと言う。
なぜ、と問う私に母は答えた。
「お父さんに、癌が見つかったの。ステージ4の肝臓癌。年明けにすぐ入院して治療を始めるから、絶対にコロナにかかれない。帰省も断れと医者には言われたけど、あなたは一人暮らしだから、PCRが陰性だったら来てもいいと思う。でもお姉ちゃんやお兄ちゃんたちは今年は来ない。」
余命はどれくらいと言われたの、と私は尋ねた。
「何もしなければ半年だって。」

了解、と答え、私はすぐにPCR検査の予約をした。
一方で、デートをしていた彼からは年末年始に考えを整理したいとメッセージが来た。こちらも了解、と答え、自分の中での方針を決めた。

彼が将来を見据えた関係に移行すると決めたら、このまま都内で暮らして実家と行き来しよう。
もしうまくいかなかったら、一度実家に帰ろう、と。

年末年始は大人3人だけで穏やかに過ごした。
こんな静かな年越しは10年ぶりだった。
年が明けて彼から連絡があり、程なく人生最大の失恋が訪れた。

1週間後には、母に実家に帰る意向を伝えた。
その翌日には管理会社に連絡をし、引越しの日取りをひと月半後に決定した。

そこからの日々は怒涛だった。仕事では一年で最も大きなイベントを控え、家に帰ったら引越し準備を進めた。父と犬の様子は日々変化し、その様子は母から伝えられた。

何とか引越しの日にたどり着き、私は実に10年ぶりに実家に帰った。


実家に帰ってすぐに、犬の足の状態がさらに悪化した。
病院に連れて行き、検査をすると、癌だと診断された。高齢だからと全身麻酔に躊躇する母親を説得し、すぐに手術に踏み切った。病理検査をしたところ、彼女の癌はメラノーマだった。癌の中でも非常に悪質な癌。もしすでに転移していたら、今後次々とリンパ節に腫瘍ができ、最終的には肺に転移し呼吸困難になるだろう、とのこと。

幸い、今のところ彼女は元気だ。
一方で足腰はどんどん弱り、1日の大半を寝て過ごすようになった。
最期の時まで、痛みなく、幸せに生きてくれればいいなと祈る。

父親は最初に始めた治療法は全く効果がなく、4月から新たな治療が始まった。調子が良い日もあれば、悪い日もある。今度の治療は効果があることを、家族全員で願っている。

家族とは何だろう。
この5ヶ月、いや、この36年、ずっと考えている。
まだ答えは出ていない。だけど、一つだけわかっているのは、「後悔する時には全てが遅い」と言うことだ。そして私は後悔が大嫌いだ。何が正解かはわからないが、ひとまずこの選択をしたことを後悔はしていない。

命の境目を、今日も私たちは生きている。
実家に帰ってきて丁度3ヶ月目の夜、夜空には綺麗な満月が浮かんでいた。

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