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カウンセリング vol.2-7

今は2週間に一度カウンセリングを受けていましたが、カウンセラーがコロナに感染して隔離期間があり、今回は3週間後に延期でのカウンセリング7回目。

今回は子供の頃の話をする中で、私がカウンセラーに自分の母と祖母(母のお母さん)の仲が悪くて、というかいつも母が祖母を怒っていて、とてもキツく当たっていて、それがつらかった、という話をした。私は祖母が大好きだったし祖母も私を好きでいてくれて、いろんな話をしてくれた。
私の母がなぜ祖母にあそこまでつらくあたるのかは、子供の頃よくわからなかったし、今もわからない。母は私の祖父つまり母のお父さんの事は好きだったようだし、見ていてもそれがわかった。きっと単純に馬が合わなかったのかもしれないけど、子供心にいつも、なんでおばあちゃんにあんなに怒るんだろう、なんでいつも怒鳴ってるんだろう、ってわからなくて無力だった。
私が無力だった、というと、カウンセラーは子供って無力だし、無力ってすごくつらい、だって何もできないって事だもの、絶望的…
と言ってて、確かに。。と思った。

カウンセラーは私が前のルームメイトとのトラウマがなくなってきて、元気になってきたけれど、それで何がしたいか、という次の一歩に進めないでいるのが気になっていたらしく、
どうやらその、子供の頃の無力さから、争いを避ける傾向にあるというか、争いが起きないように、自分が我慢するようになってて、何か私が背負っているものがあって、そのせいでやりたい事が見えないんじゃないのかな、と言われた。
そうなのかな、、、。

そして、でも、争いって、、、要するに意見の違いであって、意見が違うって面白いね、って解釈できる関係性でいる事が大事というか。
あー、あなたはそう考えるんだ、面白いね、私はこう思うけどね。というような感じで、意見や感じ方が違くても争いにならない場合もある、というか争う必要なんて本当は無い。違うってだけだから。

そんな話をカウンセラーとたくさんした。そういえばそうだった。私は東京に住んでいた時の友人たちとは、そんな関係でいれたし、そしてそれがとても心地よかった。違うけど、それを尊重しあえて、面白がれる関係性。
家族間は感情的になるから、なかなか難しかったりするよね、とカウンセラーも言っていた。
それがまた仕事でのコミュニケーションでもなかなか難しかったりする。私はここ数年、というかこっちに住み始めてからずっと、いまいちそこら辺のコミュニケーションがうまくできてなかったなーと思った。自分を抑えたり、無理したり、我慢したりせず、かと言って相手に100%合わせる訳でもなく、自分を出しつつも、相手も尊重するような、そういうコミュニケーションを思い出してきた、できてた時もあったよね、最近はやっぱり見失ってたな、と自分では思う。

カウンセラーは、私の子供の頃の未完結な問題?母と祖母の事をまたEMDRとかゲシュタルト療法?でつないであげるといいのかもね〜、それを次回やってみましょう、というところで今回のカウンセリングは終了した。

今回の大きな気づきは、
無力さを感じてた事。それはとてもつらくて、絶望的だったという事。
母と祖母の関係=親子関係なわけで、私も母といつかあーなるのかな、とか私にもし子供ができたら私は祖母側の怒鳴られる側になるのかな、とかって感じていて、どっち側にもなりたくない、と思っていた。そういう負の連鎖を断ち切りたい、みたいな事を10代の頃考えてて、親子関係、というものから距離を置くようになってしまった気がする。

子供の頃の事って、後々いろいろ繋がってくるものだなーとは思ってたけど、鬱や不安障害になってカウンセリングを受けて、大好きだったおばあちゃんの事を思い出すことになるとは思わなかった。いつも母に怒鳴られていたおばあちゃんは最終的に認知症になってしまって、母が全ての面倒を見ることになる、彼女の強い意思で。あんなにもいつも怒ってて怒鳴ってて、なのに私が面倒みる!って張り切ってた…ただの責任感からそうなるのか、、よくわからない。全くわからない。今でもよくわからない。

祖母のことが大好きだったけど、カウンセラーに子供ってお母さんの事大好きだよね、って言われて、確かにね、とも思った。私は母のことも好きだろうけど、なんというか感情はこじれている、確かに。


この日のカウンセリングは正直言ってものすごく疲れた。子供の頃の事、母と祖母の事を考えると、私の脳が疲れたし、その記憶が私の感情を揺さぶって、なんかとても疲労した。
あまり考えたくないような気もしたけど、次回またカウンセラーと話していつかスッキリすればいいとも思う。




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