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カウンセリング vol.2-13

去年の今頃、眠れなくなって外に出れなくなって、お腹も痛くて身体が熱くて、食欲もなくなって集中できなくなって思考できなくなって仕事もできなくなって、、、
直前にあった人間関係の最悪な出来事が原因で、それがトラウマとなって精神的にも身体的にもおかしくなってしまったのだと思っていた。そのためのEMDR治療やタッピング治療などもしてきて、効果はあったと思った。

だけれども、カウンセリングを続けているうちに、もっと自分の奥にあるものに気が付き始めていた。
人間関係がうまく築けなかった理由、うまく生きれなかった理由には、自分軸で生きてない、感受性が強い分他人の気持ちを必要以上に受けてしまい、自分より他人を大事にしてしまう、結果自分が何をしたいかを一番に考えないので、ずっとそうやってきているので、自分が分からなくなってしまっているような、そういう自分に嫌気がさして、そういう自分じゃ流石に生きれない限界がやってきて、そうして私は壊れた気がする。

そして、カウンセラーと話していると、そういう私になったのは、やはり私の子供時代の環境、親が私にどんな事を言ってきたか、家族の雰囲気はどんなだったか。そういった事が確実に影響しているようだ。
私はその事にさえも、気付かないふりをして、大丈夫なふりをして、親のせいじゃないし自分のせいだし、と気にしないふりをずっとしてきたと思う。

毒親という言葉が流行始めた頃から、なんかあんまり良い言葉じゃないなって思ってたし、私も親から受けた影響が少なからずあるだろうけど、自分の親が毒親だなんて、言いたくないし思いたくなかったのかも知れない。今でも感謝はしているし、母親もいろいろ大変だったんだろう、、と彼女の事情を汲んでしまう。
カウンセラーに母親の事を話す時も、
なんか、母親の悪口みたいになっちゃって嫌なんですけどー、と言いながら私は話し始めたそうだ。カウンセラーはその事をびっくりしていた。ここにいもしない、私も知らない、ましてや私はカウンセラーでその私に母親の悪口みたいになっちゃってと気を使って母の実態を話し始める自分に、何か重いものを持ってる、何かが重荷になってて、それがしんどそう、、と思ってたけど、やっと正体がわかった気がする、と言っていた。

今とりあえずの問題は、やたらに介護を私に要求してくる事で、私は介護したくないなんて思わないけれど、私がしなくてはならない、なぜなら長女だから。そしてその介護の必要はいつ訪れるかわからない、もちろん私には決められない(誰にも決められないだっていつ要介護になるかなんてわからない)、私にコントロールできない。その運命を
とりあえず、とりあえず考えないようにして、手放して生きてみようと思う。

自分を1番に考えたい。
自分が何をしたいか。
さて、じゃあどうしたい?何がしたい?

急にはわからないかもしれないけど、もっと気軽なもっと軽やかな自分でいたい。なんでもできる、どこにでも行ける、そういうふりじゃなくて、本当にそうなんだよ、と自分に言い聞かせるように過ごしてみようかと、思う。


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