遠くへ行った恋人を訪ねて(後編)【物語と現実の狭間(3)】
前編はこちら。
誰とも共有できない、したくないことがある
実はそのとき、わたしはかなり派手めな失恋をしたあとだった。立ち直るのに半年はかかったし、彼女の話を聞いて勝手に感情移入したのにはそういう背景がある。
でも背伸びをしてみても、"解ったような顔をする勘違い迷惑ばか"にしかなれなかったんだろう。あのときからさらにそこそこ、いろいろなくしてきた今ならこう思えるのに。
ひとには誰とも共有できない、したくないことがある。
ならそもそも話すなよ、と言うひともいるかもしれないけど、そう割り切れるものでもないのだ。解られたいわけではないけど、誰かにそっと、ひとり言のように話してみたくなることもある。
それは彼女のささやかな信頼だったのかもしれないし、だとすればわたしは見事に踏みにじった。玄関の扉を少しだけ開けてくれたのをいいことに、土足で上がり込んで「茶ぁ出せ茶ぁ!」と叫ぶような真似をしたのである。
自分の幼さと愚かさに詫びの言葉も見つからない。でも彼女は謝罪などこれっぽっちも求めていなかっただろうし、そもそもわたしになにかを期待していたわけでもないと思う。ただ相槌を打って頷いてみせればいいだけだったはずなのだ。
誠に勝手ながらわたしの中にはこのエピソードがくっきりと刻み込まれた。こうして未だに思い出すことがあるし、実はこの話を元に長い小説を書いたことまである。
わたしは考えずにはいられなかった。
中途半端に別れた恋人を思う彼女の心情はどんなものか。
それが抑えきれなくなって、現地へ向かうときの心境は?
半ば勢いで訪ね、顔を合わせたときどんな顔をして、第一声はなにで、相手はどんな反応をするのか?
そのあとどういうやり取りをするのか?
そもそも相手はどうしてちゃんと今後のことを決めずにいなくなったのか?
それは一体どういう男なのか?
結末はどうなって、彼女はどういう思いで帰路につくのか?
等々、疑問はいくらでも浮かんできた。
まさか彼女に本当のことを尋ねることもできないので、自分の中で膨らんだ妄想を供養する意味も込めて創作を利用した。
主人公のキャラは彼女を全く参考にしていないし、寄せたかったわけではないのであらゆる設定は現実にかすってもいない。
ただ、最後まで書き切ったとき、わたしが彼女にどうあってほしかったのかは自分の中で答えが見つかった。
ありきたりで恥ずかしいが、「吹っ切ってほしかった」のだ。
どういう結末になったとしても、傷付いても……自分の行動や選択を引け目に思わず、はっきりと前を向いてほしかった。彼女のような素敵なひとがひと知れず緩やかな絶望の中にい続けると思うと、やりきれなかった。
ちなみに当時のそんな感情を俯瞰的に見て、今のわたしはこう思う。
「大きなお世話だよ。ほっとけ」
振り返ると彼女の早熟ぶりには感心するしかないし、わたしは本当にろくでもないガキだった。
今は違うと言い切れないのが恐ろしいけど……少なくともひとに優しくなりたいとは思っている。
誰かの傷を無神経に癒そうとしたり、できるかどうかも考えないまま早く治療しなよと促すのではなく、気付いていても見て見ぬふりをして、癒えるのをじっと待つ。
相手から「傷があるんだよね」と見せてきたら、「そうなんだね」と頷く。わたしにはどうすることもできないけど、あなたの傷をわたしは知っているよ、と伝える。
そういう優しさが世の中にはあるんだと、あのときのわたしに教えてあげたい。
そして彼女は、たぶんそういう優しさを持っているひとだった。
取り戻すことはできないけど、せめて。
そういうひとに、わたしはなりたいと思うんだ。
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