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11年10作+7年20作:文書きとしての段階(3/3)【さらば、noteを書く理由(7)】

1、2はこちら。

今は第2部3章の手前

商業的な意味で成果が出なかったことはそれなりに残念だと思いますが、個人的にこの3年はとても有意義だったと感じています。

まずプロットを作ってから書くことの様々な効能を実感できました。
プロットが固まっていさえすれば、執筆自体は仕事をしながらでもひと月でいける、ということも解りました。
編集のひとに向けて、売れることを考えて物語をつくるという意識を経験しました。
色々な意味で実力が上がったことは実感するのですが、それでもBefore Afterで結果が変わらない(こともある)のが創作の世界なんだなあ、ということに改めて気付きました。

あとシンプルに、編集の方にいただいたいろんなフィードバックは新鮮でした。
売れることを考えてるひとは、こういうことを言うんだなあ……みたいなこともたくさんありました(わたしにとっての良し悪しは別の話)。
あと、あくまでその方の感覚でしょうが、わたしは(素人としては)書くのが早く、なにを書いてもある程度読めるものにはなっているそうです。これは今後も多少の自負を持ってよいのでは? という思いに繋がりました(なにを書いてもある程度読める、というのは必ずしもいいことではありませんが)。

一方、特に最初の年によく言われましたが「展開がよくぶっ飛ぶ」という指摘を受けました。これはアドリブ的な書き方の弊害でもありますが、それ以上にわたしは「展開がぶっ飛ぶ」物語が元々大好物なので、「むしろいいじゃん?」と思ってました。
それが一般的には問題になるのだということは、言われなければ絶対に気付けなかったでしょう。

正直、3年もお付き合いいただいた申し訳なさが大きいのですが、わたしとしてはプロの意見をいただけたという意味で、感謝しかありません。


そういう時間を経て、文書きとしての今のわたしは、

「これからどうすっかなあ……」

という状態にあります。
これは「書くのをやめるかどうか」という意味ではありません。わたしの人生にそんな選択肢はないので、いずれ第2部3章に突入する気は満々ですし(今は断章的な感じ?)、今も物語はつくっています。

ただ、商業を意識して書くことには、やっぱりいいことも悪いこともあったなあと感じるんですよね。
それらを踏まえ……これからなにを考え、どういうふうに書いていくのかを、今一度立ち止まって考えるべきときが来てるんじゃないかと思いました。

そしてそこに、もうひとつの「仕事人としての段階」の話が絡むのです。


というわけで……一旦今回で「文書きとしての段階」の話はおしまいです。
次回は仕事の話に進みます。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!


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